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夏目漱石 『草枕』 : 「文学」とは 何ぞや?

書評:夏目漱石『草枕』(新潮文庫)

夏目漱石『草枕』。初読である。

私が「活字の本」に親しむようになったのは比較的遅く、高校二年の時に、国語の課題として「読め」と言われて読んだ、漱石の『こころ』に感動してからである。
それ以前は、もっぱらアニメやマンガであったから、「絵のない、文字ばかりのものが面白いわけがない」と、そう合理的かつ頑なに信じていた。だが、『こころ』を読んで「絵に描かないからこそ、描けるものがある」のだと知って、大いに感心したのだ。

そんなわけで漱石の本は、若い時分にあらかた読んでいる。今ここで、小説に限って漱石の作品リストを挙げ、どれを読んだか確認してみよう。
なお、未読は「⚫︎」印で、短編小説はぜんぶ読んでいる。末尾は「刊行年」で、長期連載作品だと、後から書いた作品が先に刊行されているため、『猫』『坊っちゃん』が、『草枕』などより後の刊行年になっている。

【中・長編小説】
『吾輩は猫である』(1907年)
『坊つちやん』(1907年)
『草枕』(1906年)
『二百十日』(1906年)⚫︎
『野分』(1908年)⚫︎
『虞美人草』(1908年)⚫︎
『坑夫』(1908年)⚫︎
『三四郎』(1909)
『それから』(1910年)
『門』(1911年)
『彼岸過迄』(1912年)
『行人』(1914年)
『こゝろ』(1914)
『道草』(1915年)
『明暗』(1917年)⚫︎

【短編小説・小品】
「倫敦塔」(1906年)
「幻影の盾」(1905年)
「琴のそら音」(1905年)
「一夜」(1905年)
「薤露行」(1905年)
「趣味の遺伝」(1906年)
「文鳥」(1910年)
「夢十夜」(1908年)
「永日小品」(1909年)

(Wikipedia「夏目漱石」の「作品一覧」を編集)

見てのとおりで、めぼしいものはほとんど読んでいるので、今回は、未読のものでは最も刊行年の古い『草枕』を読むことにした。

では、どうして今頃になって、読み残しの漱石を読む気になったのかというと、柄谷行人を読んでいると、漱石の名前がよく出てくるからだ。
漱石はあらかた読んでいるから、柄谷を読むに一応のところ困りはしないのだが、いちばん気になるのは、漱石の絶筆である未完の長編『明暗』を読んでいない点だ。未完だから読んでいなかったのだが、やはり、漱石を考える上で、これは読んでおかないといけない作品だろう。
しかしながら、いまさら『明暗』だけを読むのも、いまひとつ気が進まないので、それではこの機会に、未読の作品をぜんぶ読んでしまうかと思い立ったわけである。

また、それに合わせて「ついでに、全作品を刊行順に読み返そうか」とも思ったのだが、どうやらそれは無理そうだ。漱石だけを読むのであれば、2ヶ月もあれば楽にぜんぶ読めるだろうが、私には読みたい本が山ほどあるから、漱石ばかりを贔屓するというわけにはいかない。
となると、他の本も読みながら、そのローテンションに漱石を加えるとなると、ぜんぶ読み終えるのに、2、3年はかかりそうである。だがそれでは、肝心の『明暗』にたどり着くまでに、時間がかかりすぎて本末転倒だ。そんな次第で、やはり未読作品だけを読むことにした。だから、最初は『草枕』だ。
一一しかし、好きな『こころ』や『三四郎』『それから』『』の三部作くらいは読み返したいという未練が、今も残ってはいる。

 ○ ○ ○

ともあれ、『草枕』である。

『草枕』と言えば、冒頭の、

『山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。』

という部分が、あまりにも有名で、私も何度か引用したことがある。
しかしながら、肝心の本編を読んでいなかったから、どの作品の言葉だったかは、そのたびごとに忘れてしまっていたのだが、これでもう忘れることはあるまい。

本作は、漱石の初期作品ということで、『坊っちゃん』を思わせるような、文章の調子が良い作品である。闊達で読みやすい、ということだ。
漢詩の引用や、漢文調の形容などが頻出して、そのあたり、今の若い読者には「読みにくい」と感じられるかもしれないが、私は若い時分に漱石を愛読したせいか、そうした部分もまったく気にはならないし、漢文の調子の良さは、下手な現代文学よりも、かえって読みやすく感じられるくらいだ。難しい漢字や馴染みのない漢詩由来の熟語が出てきてその意味がわからなくてさえ、小栗虫太郎『黒死館殺人事件』のペダントリーと同じで、見ているだけでも楽しい気分になって、まったく苦にならない。

そんなわけで、本書を楽しく読み終えたわけなのだが、しかし、今回の私は、漱石を集中的に読むのではなく、「隙間時間に少しずつ読むための本」ということにした。具体的にいうと、外出時用のカバンのポケットに忍ばせておき、電車の中や、映画の待ち時間などに読むための本にしたのである。
ところが、昔とは違い隠居生活の今は、通勤時間が無くなってしまったため、そのカバンを持って外出するのは、映画を見に出る時か病院へ行くときくらいの、せいぜい月に4、5度ということになった。しかも、それぞれの読書時間はせいぜい30分ほどなので、新潮文庫版で、解説までぜんぶ含めて240ページほどの『草枕』を読了するのに、なんと4ヶ月あまりかかってしまった。

これが、推理小説やSF小説なら、細かいところを忘れてしまい、とうてい楽しめないところなのだが、しかし『草枕』の良いところは、「筋」自体には、さほど意味がなく、「筋」に乗せて語られるあれこれが面白いという作品なので、細切れに読んでもまったく支障はなかった。

私の読んだ、新潮文庫版には、江藤淳による解説「漱石の文学」と、柄谷行人による解説「『草枕』について」の2本が収録されているので、私が特に付け加えるべきこともないのだが、まあ、そこはそれ。思いつくままに書いてみようと思う。

ちなみに、本作の「あらすじ」は、次のようなものである。

『日露戦争のころ、30歳の洋画家である主人公が、山中の温泉宿に宿泊する。やがて宿の「若い奥様」の那美と知り合う。出戻りの彼女は、彼に「茫然たる事多時」と思わせる反面、「今まで見た女のうちでもっともうつくしい所作をする女」でもあった。そんな「非人情」な那美から、主人公は自分の画を描いてほしいと頼まれる。しかし、彼は彼女には「足りないところがある」と描かなかった。ある日、彼は那美と一緒に彼女の従兄弟(いとこ)で、再度満州の戦線へと徴集された久一の出発を見送りに駅まで行く。その時、ホームで偶然に「野武士」のような容貌をした、満州行きの為の「御金を(彼女に)貰いに来た」別れた夫と、那美は発車する汽車の窓ごしに瞬間見つめあった。そのとき那美の顔に浮かんだ「憐れ」を横で主人公はみてとり、感じて、「それだ、それだ、それが出れば画になりますよ」と「那美さんの肩を叩きながら小声に云う」という筋を背景に、漱石の芸術論を主人公の長い独白として織り交ぜながら、「久一」や「野武士(別れた夫)」の描写をとおして、戦死者が激増する現実、戦争のもたらすメリット、その様な戦争を生み出す西欧文化、それに対して、夏にまで鳴く山村の鶯(ウグイス)、田舎の人々との他愛のない会話などをとおして、東洋の芸術や文学について論じ漱石の感じる西欧化の波間の中の日本人がつづられている。』

(Wikipedia『草枕』

要は、語り手の画家が、絵を描くために山中の温泉宿に逗留し、そこで、いささか謎めいた女性「那美」さんと知り合う。絵を描くために、あちこちを歩き回りながら、禅寺の坊さんなど、いろんな人と出会い、あれこれ呑気な会話を交わす中で、何度となく那美さんの噂話になったり、出先で那美さんに行き当たったりしながら、最後は、那美さんの従兄弟の久一が汽車で出征していくのを、那美さんらと一緒に見送るところで終わる、そんなお話である。
つまり、語り手の主人公と那美さんが恋愛関係になるわけでもないし、事件らしい事件が起こるわけでもない。ただ、この、一風変わって謎めいた女性・那美さんを中心に物語が展開し、最後に、元旦那が、たまたま久一と同じ汽車で満州へと旅立っていくのを見つけた那美さんの表情に、初めて「素の顔」が覗いた、というところで終わるのだ。

前述のとおり、本作は、小説家夏目漱石の初期作品なのだが、漱石にはそれ以前に『文学論』という著作があって、当然のことながら「文学」には一家言あった。
で、漱石の「文学論」が、具体的にどんなものなのかは、私は読んでいないからわからないのだが、ただ一つ言えることは、明治維新の「文明開化」に関わる「文学の近代化」ということには、漱石は、諸手を挙げて賛成というわけではなかった、ということである。

漱石が「日本の近代化」を担う優秀な若き人材として、イギリスに官費留学生として派遣されながら、近代化されたイギリスの生活に馴染めず、ノイローゼになって帰国したというのは、よく知られた話である。
つまり、漱石は「近代化」の「負の側面」を我が目で見て、その身に刻んできた人だから、西欧の「進んだ文学」への憧れに発する、日本の「文学の近代化」というものに対しても、無条件に賛成する気になれなかったのは、いわば当然だったのだ。

また、漱石は、育ちの関係で、漢籍にも馴染んできた人だから、漢文学や江戸文学を「古い」といって切り捨てようとする、「近代文学」的な「新しがり屋」の考え方には、抵抗があったに違いない。
大雑把に言って、近代文学とは「人間を描く」文学であり「内面中心主義」的な文学だから、漱石が好んだ老荘的に「超俗的な漢詩」の世界とは無縁のものだし、「筋」の面白さで「女子供」まで楽しませたような、江戸の「戯作」文学なども、近代文学からは「下等幼稚」なものとして退けられた。

だが、漱石にすれば、そうした考え方というのは、あまりにも「乱暴」なものであり、一方的な決めつけに過ぎて、いっそ「無教養」に発するものに映ったというのは、容易に想像できよう。

今の時代に言い換えれば、一一「文学」に比べると、マンガやアニメなんかが「下等幼稚」なものであることは「論を待たず」、また「文学」の内部においても、「人間と人生」という究極のテーマに挑もうとしないような「娯楽小説」は「文学の名に値しない」一一と、そんなふうに断ずるようなものである。

ただ、幸いと言うよりは、むしろ不幸なことに、そうした「思い上がった芸術論」は、「芸術論」として批判され乗り越えられるのではなく、「資本主義経済」の原理に基づく「売れるものが正しい(商品)」という「商品論」によって沈黙を強いられるようになってしまった。だから今日では、こんな大上段に振りかぶった「純文学論」が語られるようなことは、絶えて無くなりはしたのだが、それは「芸術論」として乗り越えられたわけではないのだから、じつのところは今だって、曖昧にくすぶり続けている問題なのである。
しかしまただからこそ、文学の「近代化」が「大勢主流」であった時代に、その流れに抗した漱石の「文学論」は、いまだに古びはせず、むしろ今こそ再検討に付されるべきものだと、そうも言えるのではないだろうか。

で、本作『草枕』は、そうした漱石の「文学論」が色濃くあらわれた「文学論的文学」であり、今風に言うならば「メタ文学」である。

「文学とは、どういうものなのか?」というのを、那美さんという謎めいた女性を通して描いた作品だと、そう言っても良いと思う。

那美さんは、小説の登場人物として、十二分に魅力的である。その「謎めいた」部分に、読者は興味を惹かれるためだろう。
つまり、「内面(心)」がよくわからないからこそ、那美さんは魅力的なのだが、しかし、その那美さんから「出歩いてばっかりで、ぜんぜん絵を描かないのなら、私を描いてくださいな」と所望されながら、主人公は「あなたは、何かひとつ足らなくて、絵にならない」などと素気なく言う。

そして最後は、大陸へ渡るための金を無心に来た元夫を、久一を見送るために来ていた駅の汽車の窓に思いがけなく見つけ、その顔を見送っている、どこか切なげな那美さんの表情に、主人公は初めて「この表情だ。これなら絵にできる」と考えるのである。

つまり、漱石は、那美さんに託して「文学が描くべきものは何か」ということを語ったのであろうと、私は考える。
それは、もちろん「謎めいて魅力的な那美さん」ではないのだけれども、だからと言って、「内面」を「近代文学的」あるいは「私小説的」にじくじくと描けば良いというものではない。一一これが、漱石の考え方ではなかっただろうか。

つまり、漱石は、単純に「漢詩的な超俗的な世界」や「戯作娯楽小説的な世界」を肯定したのではないし、「人間を描く」ということを否定したのでもない。
いや、むしろ「人間は描かれるべき」なのだけれど、それは「近代文学的」な狭い形式にとらわれて考えるべきものではなく、それが真に優れた作品であれば、その形式が「漢詩的な超俗的な世界」であろうと「戯作娯楽小説的な世界」であろうと、やっぱり、それぞれに個性的なかたちで「人間を描いていた」と言えるのではないかと、漱石は、そういう立場だったのではないだろうか。

だから、単純に「謎めいて魅力的な那美さん」というだけでは「文学」にならないし、かといって「別れた夫への気持ちを、こと細かく説明的に描写」すれば、それで「文学」になるというものでもない。
つまり、「文学」というものは、「筋」的な「形式」の問題だけでもなければ、近代文学の心理主義的に「人間を描く」ということでもなく、その両者に跨った部分に存在する「人間」というものを捉え得た作品こそが、「文学」と呼ぶに値するものなのではないかと、漱石はこの作品で、そのようなことを語りたかったのではないだろうか。

ここまで書いて、幸いにもこれは、江藤淳のそれでも、柄谷行人のそれでもないことが書けたと、我ながら感心している。

しかしながら、「文学」とは、そもそもそういうものなのではないだろうか。




(2024年3月12日)

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