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Akine Coco 写真作品集 『アニメのワンシーンのように。』 : ラノベのような 〈バーチャルな風景〉

書評:Akine Coco 写真作品集『アニメのワンシーンのように。』(芸術新聞社)

「アニメのワンシーンのように」美しいという事実を否定する気など、さらさらない。事実「美しい」と思ったから買ったのだ。

書店に積まれていたその表紙見て「こういうアングル好きなんだよな」と見本を手に取り、めくってみると、まさに「こういう写真を撮ってみたい」と思わせる、ストーリー性のある素敵な風景作品が並んでいたので、迷わず購入した。
ところが、家に戻ってから、ひととおり繙いてみると、何か引っかかるものがあって、「この感覚は何だろうか?」と考え始めた。

一一これから書くのは、そういう話なので、「そんな個人的な考察には興味がない」「美しければそれいい」(石川智晶)という人は、ここで読むのを止めていただきたい。私としては、むしろ作者にこの意見をぶつけてみたいという感じだから、それでかまわない。

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まず、最初に思ったことは、タイトルにもあるように、この写真作品は、アニメ作品に描かれた「背景美術の美しい世界」を写真で「再現」した作品だ、ということである。
つまり、これは「自然」を写しているのではなく、「作品」を写した作品であり、言うなれば一種の「メタ・フィクション」なのだ。そこに写されている「風景」は、作品を作るための「道具」や「素材」であって、それ自身を描こうとか、それを対象として、その中から「作者の美」を抽出しようとしたような作品ではない、ということだった。「これが、この風景の中に私が見出した、私の美だ」というのではなく「この作品を通して、あのアニメに描かれていた世界の情感(※ 「情景」ではない)を思い出してください」という、入眠のためのスプリングボードのような間接性を持つ作品なのである。

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喩えて言えば、「ラノベ」のような作品だ。
伝統的な「文学作品=小説」というのは、この世のあらゆるものを含む「自然」の中から、作者がその世界観にしたがって抽出し再構成した物語、だと言えるだろう。一方、「ラノベ」は、少し事情が違う。
「ラノベ」は、「ライトノベル」の略称ではあるし、たしかに「ラノベ」には「軽い」作品が多いのだけれども、しかし内容的には「重い」作品だってあるだろう。ならば、「ラノベ」はすでに「ライトノベル=軽い小説」ではなく、「ラノベ」なのだ、と考えるべきではないか。
そしてその場合、「ラノベ」の軽さとは、「自然」的存在が強いられている「重力」からの解放を意味するのではないか。つまり、「ラノベ」の「軽さ」とは、「自然」の「重さ」から解放されているということであり、アニメやマンガに描かれた世界と同様に、そうした「重さ」としての「拘束」が、ほとんど排除されているということなのではないか。だからこそ、主人公たちは、「自然」の人間にはできないことを、当たり前のようにやってしまうのではないだろうか。

そして、そうした「重さ」を、形式的に欠いたアニメやマンガが当たり前に存在するこの世界の中で育ってきた人間が、もはやそれが「非自然」とすら感じなくなった(つまり「第二の自然」になった)世界こそが、大塚英志が言ったところの「まんが・ アニメ的リアリズム」の世界であり、その「第二の自然」の中でこそ完結する小説形式が「ラノベ」なのではないだろうか。

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同様に、この写真集に描き出された「風景」とは、「まんが・ アニメ的リアリズム」によるものであり、だからこそ、通常の風景写真が「これが、この風景の中に私が見出した、私の美だ」というものであるのとは違って、「この作品を通して、あのアニメに描かれていた世界の情感を思い出してください」というスタンスになるのではないだろうか。

「芸術」というものを、どう定義するかは、人それぞれだろう。正解があるわけではない。
ただ、一般的には、これまでは「これが、この風景の中に私が見出した、私の美だ」といったものであり、言い換えれば「私と世界(第一の自然)の戦いでは、私に味方せよ」の世界だったのだが、本作品集の世界は「私と世界(第二の自然)の戦いでは、セカイに味方せよ」という、そう「セカイ」の世界なのではないだろうか。

作者が何を目指し、鑑賞者が何を求めようと、それはその人の勝手である。
ただし、私には、彼らが求めていることが「何なのか」ということが気になる。そこに引っ掛かりを覚えるかぎり、その「世界」に、無条件に我が身を委ねる気にはならない。それはちょうど(古い喩えで恐縮だが)ウォシャウスキー兄弟による映画『マトリックス』の登場人物たちのおかれた「気分」と似たようなものなのではないか。つまり「気持ちはいい。だが、何か違和感がある。これで本当にいいのか」という感じだったのだ。

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「心地よい夢」なら、醒めない方が良いのか、それとも醒めないではいられないのか。
私としては、いったん目を醒ましてから、その夢見の状況に危険性がないと確認できれば「二度寝すれば良い」というような立場なのだと思う。

(2021年11月14日)

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