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3か月で40冊読了:大切な人を幸せにするために本を読む

体調を崩してじっくりと自分と向き合い続けた、夏真っ盛りから冬の始まり。
家のテーブル、ベッド、かばんの中などいつでも触れるようにしていたのが本。

本スペースは小さいがお気に入りの場所へと育てている

数に波はあれどゆるゆると読書を続けていたが、ここ数か月で40冊も購入し貪るように読んできた。

改めて私にとって読書って何だろう、読書がどう生活に関わってきたのだろう、とふと考えた。


おじいちゃんの本棚

実家の1階には書斎があった。
天井に届く木製の黒い本棚が壁一面、そびえたっていた。
棚は一段ずつ微妙に高さが異なり、背の高い本は寝かせないといけないしそうなると見栄えが良くないし…と不満だったが、ある時に「おじいちゃんが昔手作りしたんだよ」と聞いてそんな高さの違いも愛おしくなった。

本棚には私が生まれる前からあったらしい本がなんとなく種類別、持ち主別に仕舞われていた。

廊下のドアに近いところには枕にちょうど良さそうな分厚さの昆虫図鑑。
父やおじさんの本だろうか。
その横の棚には教育に関する教授法や理論の本。これは祖父母だろう。
窓側の棚には離乳食の本。きっと母が私が産まれる前に買ったものだ。
隣の部屋へ続く引き戸近くの棚には小説や辞書、参考書が並んでいる。
ここは私の学生時代の勉強スペースでもあったのでその名残がある。


積読を盗み読み

書斎には家族何人かの定位置に合わせていくつかの机が配置されている。
廊下に続くドアのそばにあるのが父の机。
そこには仕事に使う本や趣味の本が乱雑にどさどさと積み上げられていた。
私は父がいない隙にこっそりとその本の背表紙を確認し、面白そうなものがあれば盗み読むのが好きだった。
幼いころの私には難しくてさっぱりわからないものもあれば、興味はないが書いてあることはわかりそうなものまでいろいろで、本という名の宝箱を物色する盗賊の気分だった。

そういえば父の積み上げられた中に、フィンランドの教育水準の高さとその理由について書かれた本があった。10年後にまさか初めての海外一人旅へ行くのがそのフィンランドになるなんて当時の自分や家族に言っても信じないだろう。


図書館

実家に本がたくさんあったからと言って読書を強制されたことは一度もなかった。
家から歩いて5分の図書館に行けば貸出の上限20冊まで本を借り、1~2日で読み切ってしまっていた。
父が本屋に行くと聞けばうきうきでくっついていき、広い店内をじっくり吟味して1冊買ってもらうのが楽しみだった。

図書館でも本屋でもシリーズものの漫画はほとんど選んだ記憶がない。
実家にも漫画は全くなかったし、なぜかドハマりして数十冊、時には100冊を超えるシリーズ全てを手に入れないと気が済まなくなることにおびえていた。
しかし図書館で偉人の伝記が漫画になったものは片っ端から読み漁り、借りては返し、借りては返し…で気になる偉人が貸し出し中になっているともどかしかった。


伝えたいことは本に込めて

成長して一人暮らしを始めるころ、父からのプレゼントは本になった。
それはイラスト集だったり、時には詩集だったり。
私が置かれている状況、経験していることについて、父自身が伝えたいことや感じてほしいことが表現されている、びびっときた本を贈ってくれた。

時にはイラスト集だけ、時には本とともに長い手紙を添えて。


本に逃げて、本に救われた

体調を崩して精神的肉体的にしんどかったここ数か月。
私は本をひたすらに読んだ。

読み始めたころは「罪悪感のない現実逃避」だと信じ込んだ。
本から学べることはたくさんある、気分転換しながら学びにもなる、そんな意義をむりやり与えて、本屋に行く度に3~5冊買い込んでは1週間とかからず読み切っていた。

「学びのため」と言っているが、最初から「どんな本でもいい」と決めていた。
猫がテーマの漫画を読むこともあれば、仕事で携わってきた職種に関する本、はたまた小説を読むことだってあった。

とにかく気になった本は何でも読んだ。
そうすることで自分が何に興味があるか、何を知りたがっているのかなど自分で気が付いていない自分のことを本が教えてくれると信じていた。


本棚には植物を飾ってみたり

Kindleから紙の本へ

ある日、父から1冊の本が贈られてきた。
今までのこと、これからの生き方… 私のもやもやを言語化し、受け止めてくれる本だった。
振り返るとどうやらこの本が自分の人生を見直す大きな一歩になっていたのだが、当時はただただ線を引き、びびっときた言葉に〇をつけ、自分の言葉でまとめ直したりしながら読み進めるのに夢中だった。

◎贈られた本とその直後の出来事

「自分の人生を見直す大きな一歩」とは、今後の生き方についてだがこの本によって私の読書にも変化があった。

それまでは極力持ち物を増やしたくないのでKindleで読書していた。
かさばらないし、読書のペースも記録されるので達成感がある。

しかし父から贈られた紙の本を読むことで、私はKindle での読書が「冊数を稼ぐこと」に重きを置いていることに気づいてしまった。そして読んだ内容は記憶に残っていないことも…

自分がしたい読書って何だろう

・新しい知識を得ること
・今後の生活に活かせること
・リラックスできること

これらを考えたときに、Kindleではなく紙の本を読んでいこうと決めた。
(*Kindleより紙の本が今の私に合っているだけで、どちらも良い面があるし一生Kindleは利用しない、なんてことは考えていない)


手のひらに収まるインテリア(左から3つ)、実は鉛筆削り!

大切な人のために本を読む 

紙の本を購入しては読み、購入しては読み... で1~2か月経ったころ。
読み方はしっくりきているが、じゃあ今の私は何のために本を読みたいのだろう、と考えた。
その時出会ったのが喜多川泰さんの「書斎の鍵」という本。

実家にあった書斎のことも、本棚に被る埃の手触りや年季がぎゅっと詰まった匂いまでもが私を一気に10代へと引き戻した。

気づくと「書斎の鍵」を本屋から我が家へ連れて帰っていた。

そして本には「何のために本を読むのか」に対する、私が一番しっくりくる答えが載っていた。

自分の愛する誰かを幸せにするためには、知識も、物事の見方も、今の自分より少しでも広く深い見識を持っていたほうがいい——、だから本を読む。

喜多川泰「書斎の鍵」

大切な人、はパートナーであり、実家に住む家族であり、自分自身であり、これから出会う人たちだと思う。
自分一人の経験だけでなく、本の力とそこで感じたこと、気が付いたこと、学んだことを誰かのために使っていく。

自分が役に立ち相手が笑顔になることで自分もまた満たされる。
それは結局自分の欲求を満たすための行為になるのかもしれないが、誰かを幸せにすることにもなるのだからいいじゃないか。

本の中身はいつどんな形で役立つのかわからない。

だからこそたくさんの引き出しを持っておきたい。



頂いたお礼は知識と経験を得て世界を知るために使わせていただきます。