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#クラウドファンディング
消防士を退職。新たなステージへ。松井修平
シューヘイ(松井修平)は神奈川県横浜市出身の30歳。去年11月、横浜市から千葉県南房総市に引越し、ケント(伊藤研人)らと「人と自然が調和したエコビレッジづくり」を始めた。教育者や社会起業家の育成をして、最終的には持続可能な小さな町づくりを目指している。
エコビレッジオーナーでシューヘイの師匠ケントのnote記事は下記をクリック!
シューヘイとの出会いはインスタだが、ケントとのvoicyラジオ対
「ハワイ島の大自然、オフグリッドで、動物たちに囲まれて今を生きる暮らし方」
<未来の子供たちのために、今、できること!>
祝!2人の友人ハワイ島「Makoa」オーナー郁子さん、自然教育ガイドKai(佐藤昌平)くん、ネクストゴール950万円達成おめでとう!
明日8月26日(金)23時までクラファン挑戦中。残り時間、あと28時間!「これは未来を変えている時間だ!」と思える。現時点で支援総額は1000万円を超えた。「ハワイに日本の炭化技術を!漂着ペットボトルを炭化し、資源循環
「ハワイを愛して15年ハワイ島ネイチャーガイド 佐藤昌平(Kai)」
voicyラジオの収録を終えると、対談相手を一言で表現すると「魂で生きる人」に思えた。ZOOM越しに見た彼の背後に「龍」が現れた気がしたのだ。
「神童」、「天才」、「秀才」、「生命」、「天命」・・・そんな言葉がアタマをよぎったトークだった。収録を終えて、すぐにでも彼の本を出版サポートしたい衝動に駆られたくらい彼の言葉一つひとつが響いた。それがKaiくんこと佐藤昌平さん。ハワイ島在住15年目のハワ
日本とカンボジアで喜びを稼ぎ続ける男、一般社団法人Kisso(NPO法人earth tree)代表理事 加藤大地(後編)
今回のvoicyラジオは、前編・後編と2回に分けて放送した初めての試み。というのも、2年2ヵ月ぶりに日本に一時帰国したカデ(加藤大地)が、過密スケジュールの中、横浜・元町まで来てくれてリアル収録したのが前編6回。ところが収録時間が足りなくて話が終わらなかった。
前編では、「一生に1回くらい」という言葉を何度も聞いた。学校をつくると決意した時、世界一周ハネムーンをすると決めた時、カンボジアに移住を
「人と地球に優しいココナッツ」でセカイを変える!水井裕
売れる商品は何か
よりも
売るべき商品は何か
福島正伸
7ヵ月ぶりにvoicyラジオの放送をしたのは、ココナッツ専門店ココウェルの代表取締役、水井裕さん。
ココウェルは「フィリピンから貧困をなくしたい」「ココナッツでセカイを変える」という想いで2004年に創業した、ココナッツ専門店だ。
去年9月に放送したが、去年1年間、子育てと家事でバタバタしてnoteで紹介できなかった一人。ちょう
未来を作る10万人の子供たちに「魔法の質問」で才能の開花のきっかけを創りたい!by マツダ ミヒロ
質問家 マツダミヒロさんとは2003年くらいからの付き合いで長い。初めて会った時は俺が異業種交流会「東京非凡塾」代表幹事で、彼が「東北非凡会」代表幹事だった。13年前には同時に出版して一緒に出版講演会をしたこともあった。そして、彼は「地球探検隊」隊員(旅のお客さん)でもありジープ島ツアーに参加し、一緒に奇跡のナイトレインボー(ムーンボウ)を共に親子で見た体験もしている。
そんな縁で、今、彼が挑戦
「コロナで思い出したモロッコで本当にしたかった事 岩間ひかる」
以前noteで紹介したモロッコ・サハラ砂漠在住の友人、ひかる。
2020年3月からは一家でサハラ疎開生活中。旅行会社と宿を経営していたからコロナで国境を閉じられ、9ヵ月も収入が途絶えて、今、貯蓄を切り崩して生活している。
そこで、サハラ砂漠にエコファーム創設を目指し2021年1月15日(金)23時までクラウドファンディング挑戦中だ。目標金額を達成した場合のみ、支援金を受け取れるAll-or-N
「モロッコのサハラ砂漠でエコファームを造る!岩間ひかる」
会社をたたむ1年前、2017年11月の今日、モロッコの旅から美香と隊員たち11人と帰国した。成田空港で隊員たち(お客さん)の笑顔を見て、こんな笑顔が見られるなら、もうちょっと頑張ってみようと思えた・・・。
そんなモロッコの素敵な旅の企画をつくってくれたのは、モロッコ在住の友人、ひかる(岩間 ひかる)。
そんな彼女が、このコロナ禍で3月から収入を絶たれ、「サハラ砂漠でエコファームつくる」クラファン
「平和をつくる仕事をつくる 住岡健太」
8月6日 8:15amに、75年前の1945年8月6日をどれだけの日本人が意識しただろうか・・・広島市への原子爆弾投下があった日、一通のメッセージが届いた。
平和をつくる活動をしている友人のケンタからだった。俺は、それで、その日を想うことができた。
おふくろと別れて一人暮らしの父が一人で亡くなった時、遺品を整理していて初めて長崎に生まれたオヤジが原爆手帳をもらっていたのを知った・・・。そんなこ
「競争から応援の婚活へ 脇光雄」
青春は、10代の特権じゃない。
『東京海上日動火災保険』ポスター
コピーライター 磯島拓矢(電通)、
小山佳奈(同)、岩田泰河(同)
ここ最近の対談は、2003年に出会った友人が多い。対談して見ると、2003年という年は、俺を含めて、不思議とほとんどの人が人生の転機を迎えていた時期だった。
64歳になった脇さんも、その一人。
彼が主催する「達人会議」セミナーで多くの人と出会った。