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「人と地球に優しいココナッツ」でセカイを変える!水井裕

 売れる商品は何か
 よりも
 売るべき商品は何か
 福島正伸

7ヵ月ぶりにvoicyラジオの放送をしたのは、ココナッツ専門店ココウェルの代表取締役、水井裕さん。

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ココウェルは「フィリピンから貧困をなくしたい」「ココナッツでセカイを変える」という想いで2004年に創業した、ココナッツ専門店だ。

去年9月に放送したが、去年1年間、子育てと家事でバタバタしてnoteで紹介できなかった一人。ちょうど、「日本とフィリピンの架け橋へ!」を事業目的に去年起業した隊員ねっちのvoicyラジオ放送をしている最中、裕さんのクラファン挑戦がニュースフィードに流れてきた。これは偶然とは思えないと、裕さんに2回目のvoicyラジオ出演をオファーした。

裕さんは一言で表現すると「こころの知能指数」とも言われる「EQの高い人」。今の彼は自分にフォーカスしていない。共感性を持って現実を見据え、事業として社会貢献できるかどうかにフォーカスしている。だから、去年よりもパワーを感じるし、「走ってるな、裕さん!」って想いに真っ直ぐな疾走感を感じる。その証拠に商品開発するスピードが速い。うちと、ほぼ同い年の2歳の息子さんがいる裕さん。ただ理想を追うのではなく、「自分の子どもには身体に良い食べ物を!」と考えているから現実的なのだ。現地フィリピンで雇用を生み出し、彼ら彼女らが製造した体にやさしい加工商品を通じて日本人の健康へとつなげる素敵な仕事をしている。

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台風被害のあったフィリピンを支援するために2度、クラウドファンディングをしている。今、裕さんは2年2か月振りにフィリピンに行っている。台風の被災地リマサワ島での家屋再建プロジェクトの進捗確認のためだ。過去のクラファンでは、ご縁のあったフィリピン人と日本人のハーフで女優・モデルの高橋メアリージュンさんの協力もあって成功、NGO団体からの大きな寄付もあった。

今回が3度目のクラファン。工房から全国に届けられる商品(カレー、アイスクリーム、チーズケーキ)は全てヴィーガンレシピ、原材料にこだわり添加物も一切使用せず、スイーツにもココナッツシュガーしか使っていない。商品開発されたものを一早く食べられる5/21,23のイベント参加権もリターンにあるのがいい。今回、裕さんが挑戦しているクラファンは5月15日(日)23:59まで。ココナッツ専門店発!『おいしくてやさしくてあたらしい』を全国へ届けたい!は下記をクリック!

去年9月に裕さんと対談した時、「こうしていきたい!」と語っていた未来の夢は予定に変わり今、実現しようとしている。それってビジョンが明確だからだ。

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カフェと本社を別々に運営していたが、全国の必要な人に届けるため、カフェを一旦閉じて、去年12月に本社を移転し、3階建てのビルに1Fがラボ(工房)、小さな店を運営し、2Fがミーティングルーム、3Fがオフィスという大きなチャレンジをしている。

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ココナッツから始まり、今はソフトクリーム、洗剤など今後もいろいろな商品展開する意欲を表現するため、「サリサリストア」というネーミングに思いを込めた。

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また、オイルを少量から買ってもらうため、環境に負荷のかからない量り売りもしていく。この7ヵ月の進化を語ってもらった。裕さんの2回目の放送、フォローして聴いてほしい。そして何かを感じたら、裕さんのクラファンを応援、支援してほしい。

去年9月の放送を遡って追記したい。「WithU」コミュニティで裏ボス的存在、一緒にモンゴルを旅した隊員ハナ(向井華子)からの紹介で裕さんとは「ZOOMではじめまして!」だった。

外語大で英語を学んでいたが、大学を卒業してから関心のあった途上国の環境問題を深く追及するため専門学校で学び直した。その時行ったフィリピン短期留学3ヵ月が裕さんの人生を変えた。授業の一環でフィリピン・マニラにある絶え間なく煙が上がっているゴミ山、スモーキーマウンテンを目の当たりにしたのだ。生ごみと日光が化学反応を起こし自然発火している場所。「目も開けていられないほど強烈な匂いのこの場所、スラム街に住む人々がいる!?」リサイクル焼却施設がないことで起こるゴミのリサイクル問題に直面した彼は、「環境問題よりも貧困問題のほうが深刻だ!」と気づいた。

問題を遡ると、農村に行きついた。農村には仕事がないから都会に出る。ところが賃金の安い試用期間で解雇されてしまう。仕事が見つからなくてゴミ山で何とか生計を立てていた。農村に行くとココナッツがたくさんあった。ココナッツ農家は自分たちで製造できないから、アメリカの植民地時代から買い叩かれて輸出される現実を知り、価値の高いバージンココナッツオイルを日本に広めることで「フィリピンから貧困をなくしたい」と考えるようになった。ところが専門学校から戻ると入院。その後も1年間も入退院を繰り返す日々。生まれつき腎臓が悪かったのだ。

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動けるようになった彼は、もともと起業には興味はなかったが、どこかの企業で働くよりは、自分で起業する道を選んだ。最初はココナッツを取り扱う企業を探したが、どこにもなかった。ならば自分でつくるしかないと決意。ココナッツの魅力に取りつかれてしまったのだ。起業に抵抗がなかったのは50歳で起業した父親の影響だ。「父親にできるなら、俺も頑張らないと!」と奮起した。

小2から中3までボーイスカウトをやらされた。高校の時は野球部のキャプテンをやるも、人の上に立つのは向いてないと思っていた。2004年創業時、バージンココナッツオイルから事業を始めたが、ずっと孤軍奮闘だった。一緒に仕事をする仲間が入って来たのは2年目の途中から。1年半、毎週一人でフリーマーケットに出展し200~300円でココナッツオイルを販売した。ホームページも自前でつくった。自営業の人が自分の店に置いてくれるようになった。フリマ、委託販売だけでは生活は成り立たず、創業から5年くらいまで夜アルバイトをしていた。フリマに出展していると、ココナッツオイルだけでなく、リップクリーム、石鹸と現地フィリピンで製造する輸入商品が増えていった。長年お世話になったフィリピンの人は母親と同じ年齢。2、3ヵ月に1回、フィリピンに行って新たな商品を提案しても、品質の基準が違うから、その擦り合わせが大変だったという。

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創業8年目くらいからスタッフが増え、10周年、メディアで大きく取り上げられた。ココナッツオイルブーム到来である。TV「世界ふしぎ発見!」でも紹介されて生産が追い付かない。ブームはいずれ落ちるからと判断、スタッフを増やさなかった。多くの企業が参入し供給過剰になったが、他の商品は扱わずココナッツ一本に絞っていたココウェルは生き残った。10周年、15周年と年を追うごとにファンを確実に増やしていった。

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20周年目前、現地フィリピンでは失業者、路上生活者が増えている・・・「フィリピンから貧困をなくしたい」「ココナッツでセカイを変える」から始めった活動は、今、「高品質のココナッツを使ったからだにやさしい商品を全国に届けたい!」に。新たなチャレンジを応援したい。

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 誰かと一緒にいる
 ということの何よりの効用は、
 その誰かの笑顔や喜びに
 直接触れられることだろう。
 ただ、それよりもさらに大きな喜びは、
 その誰かの苦しみや悲しみを
 分かち合えることなのかもしれない。
  「幻影の星」白石一文



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