一人旅 Episode-14 「小泉八雲で感じる精神世界 松江」
足立美術館
昨晩もぐっすり寝れました。
スーパーホテルいいかも。
チェックアウト手続きなしでホテルを出て、松江駅へ。
歩いて3分。まだ朝早いので、人通りは少ないです。
また、松江駅へ戻ってきますので、駅のロッカーに、荷物を預けます。
日本は、大中小とサイズごとにロッカーがあるのがリーズナブルだなと思います。
切符を買わず、ICカードで支払います。
普通電車米子行。午前中は、安来駅に行きます。
友人が薦めてくれた「足立美術館」へ行くのです。
安来駅から無料バスが出ており、車がない場合、このルートが一番良いです。
「やすき」と読み、どじょう踊りで有名な「やすき節」の安来です。
(引用:しまね観光サイトより)
また、このあたりは、「たたら製鉄」と呼ばれる古代製鉄法が盛んで、映画「もののけ姫」の舞台と言われています。
安来駅から20分ほどで、足立美術館に到着します。
大きな駐車場がありますが、車もバスも少なく、例年と比べると3割くらいほどの来場ということです。
「足立美術館」は、何といっても横山大観のコレクションです。130ほどあるそうです。
特に「紅葉」はすごいです。
深紅の赤に、自然な様々な「青」が組み合わさっていて、見ていて飽きないです。
それと、「庭園」です。
米国の日本庭園専門雑誌『ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング』が行っている日本庭園ランキングでは、初回の2003年から「16年連続日本一」に選出されています。
遠くに見える山の借景も含めて完成されています。
このパターンは、京都嵐山、天龍寺庭園で見たことがあります。
四季折々にさまざまな表情がみえるそうで、まさに日本絵画といえる作品と感じられます。ちなみに、庭園には入れません。絵画に人が入ると作品でなくなりますから。
庭園マップ(引用:足立美術館サイトより)
ゆっくり回って2時間くらいです。
歩き疲れて、喫茶室に入りました。ゆっくり庭園が眺められます。
「喫茶室 翆」窓側の席がおすすめです。
この席のために行列が出来るそうですが、私の時はそのまま入り、ならばず座れました。メニューはすべて1,000円。わかりやすい。
私は、当時特別メニューの「白玉あんみつ」を注文しました。大変おいしかったです。
30分ほど庭園を眺め、心身共に癒しました。
もういちど、「紅葉」を見に行き、「この、青がすごい」と思いながら、退館します。
ミュージアムショップで、複製画や図録を確認してみましたが、やはり、あの青は再現できていません。実物を見ないとダメです。
ここに来て、じっくり見ましょう。
ちなみに、私が好きな青は、エメラルドグリーンみたいな葉っぱの青です。とてもきれいです。
入館するときに、帰りのシャトルバル(時間ごと)のカードをゲットします。その時間の席は確保されているわけです。時間に合わせ、バス停に向かいます。
安来駅で、松江行を確認すると、もうすぐ特急やくもが到着するようです。
急遽、特急券と乗車券を購入し、ホームで待ちます。
自由席はガラガラです。わずか15分で松江に到着しました。
お昼前に、松江に戻ってこれたので、これから松江の町をぶらぶらして、ランチのお店を探します。
松江観光
松江めぐりマップ(引用:松江観光協会サイトより)
松江駅から、松江城を目指しながら歩き、京店通りあたりで、ランチを考えています。平日ということもあり、歩いている人は少ないです。
今日もいい天気です。
思えば、この旅行期間中、雨は降らず、気温も例年に比べ高く、過ごしやすかったです。
ありがたいです。感謝。
やはり、お蕎麦屋さんが多いのですが、昨日食べたし、衝撃的においしかったし。
なんか違うものを食べたいなあと思っていたら、「8,000,000」の文字が見えました。
八百万で「やおよろず」です。薬膳スープカレーのお店です。珍しい。
このタイミングで、体調を整えるのはいいかも。
札幌で食べた「スープカレー奥芝商店」美味しかったなあ。
身体にはよかったです。でも。。。
詳細はこちらで↓
さて、京橋川を越えますと、もう「松江城」が見えてきます。
県庁がある「三之丸」から城郭をみます。
石垣が立派です。
「二之丸」に入りますと、興雲閣があります。
明治天皇の行在所に使用する目的でつくられ、明治36年完成しています。
結果的には天皇の巡幸は実現しませんでしたが、 明治40年、皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の山陰道行啓にあたって、同年5月22日から25日まで御旅館となり、迎賓館としての役割を果たしました。
ちょっと立ち寄り、ここから松江城天守閣を見ます。
さて、「本丸」に入ります。
松江城は、全国に現存する 12 天守の一つで、入母屋破風の屋根が羽を広げたように見えることから別名「千鳥城」とも呼ばれています。
2015 年 7 月、国宝に指定されました。
ごく最近の指定ですが、これは2012年5月に「慶長十六年」と記された祈祷札2枚が再発見され、その後の研究により天守が慶長16(1611)年完成であることが明確になったことが決め手になったようです。
「牛蒡積みの石垣」と呼ばれる石垣がすごいです。石組にしてはもっとも頑丈な積み方で、400 年を経ても崩れず現存しています。
お城の階段はほとんど急角度です。木がすべすべになっており、ストッキングをはいている女性は滑りまくっています。
天守から、松市街や宍道湖を一望できます。
本丸に戻って改めて見ると、「しゃちほこ」も大きくて立派です。木造らしいです。
本丸の北側、かつての北之丸方面を歩きます。
江戸時代の雰囲気を残す通りで、日本の道100選に定められている「塩見縄手」にたどり着きます。
こちら側のお濠は自然と調和しており、正面の荒々しい雰囲気とは違います。落ち着きます。
武家屋敷が立ち並んでいる一角に、小泉八雲記念館に入ります。
以前から、小泉八雲という人は気になっており、大変楽しみしていました。
小泉八雲
本名パトリック・ラフカディオ・ハーンは、1850年6月27日にギリシャ西部のレフカダ島で生まれ、16歳の時、遊戯中に左目を失明。
19歳の時、父母に代わって八雲を養育した大叔母が破産したことから、単身、アメリカに渡っています。
ニューオーリンズ時代に万博で出会った日本文化、ニューヨークで読んだ英訳『古事記』などの影響で来日を決意し、1890年4月に日本の土を踏みます。
同年8月には松江にある島根県尋常中学校に赴任し英語教師に。
さらに熊本第五高等中学校、神戸クロニクル社の勤務を経て、1896年9月から帝国大学文科大学講師として英文学を講じます。
著作家としては、翻訳・紀行文・再話文学のジャンルを中心に生涯で約30の著作を遺しました。
「耳なし芳一」や「雪女」は広く国内外で知られており、こうした作品を収めた『怪談』を亡くなる1904年に書き上げました。
ご存知の通り、怖い話満載ですが、日本の土壌が長年育んだ祖先信仰や自然との共存と恐れが日本人の本質として表現されている、素晴らしい芸術作品です。
日本を知るうえで、日本を客観的に見るのではなく、日本人の内部、深層心理から知ろうという試みは、日本を知るうえこの上ない方法だと思います。
現に、1904年の著作『Japan-An Attempt at Interpretation』は、太平洋戦争中、アメリカ合衆国の対日本心理戦に重要な役割を果たしたとされています。
当時のアメリカ軍准将であり、ダグラス・マッカーサーの軍事書記官・心理戦のチーフであったボナー・フェラーズは、当時のアメリカ合衆国が利用できる、日本人の心理を理解するための最高の本であったと述べています。
また、哲学者の西田幾太郎は、
「ヘルン氏は万象の背後に心霊の活動を見るといふ様な一種深い神秘思想を抱いた文学者であつた。かれは我々の単純なる感覚や感情の奥に過去幾千年来の生の脈搏を感じたのみならず、肉体的表現の一々の上にも祖先以来幾世の霊の活動を見た。
(中略)氏の眼には、この世界は固定せる物体の世界ではない、過去の過去から未来の未来に亙る霊的進化の世界である。」と述べ、ハーンの神秘主義を指摘しています。
「怪談」の中でも有名な物語 「耳なし芳一」があります。
下関で訪れた阿弥陀寺、今の赤間神宮が舞台です。こちらをご覧ください。↓
盲目の琵琶奏者が、全身に経文を書き平家の落人の怨霊封じをしますが、耳にだけ経文を書かなかったばかりに怨霊に耳を切り落とされてしまう話です。
ハーンはお経に霊力があると信じていました。
彼は日本体験を通じて、仏教的な霊魂観や、霊や死者に敏感な日本人の心性を見出しました。
そこから、日本人の大切にする祖先崇拝やそうした風景に対する懐かしさはどこから来るのかという深層文化の一つにたどり着いたといえます。
本質は、内面にあるのだなと感じます。
小さい記念館なのですが、そういうことをずっと考えていていたので、すっかり長居してしましました。
お濠沿いにてくてく歩いていきますと、武家屋敷があり、立ち寄りますが、さきほどのハーンの呪縛が解けず、ボーっとしたまま、見て回ります。
そして、またお濠沿いに歩いて行って、町へ戻ります。お濠を船が進んでいきます。
「堀川めぐり」です。乗りたかったなあ。
八雲記念館で時間を使いすぎました。
最後は、バスに乗って、松江駅へ戻ります。
今日も歩き続けました。1万8千歩!
最後にトラブル発生
さてさて、あとはもう飛行機に乗って、東京に戻るだけ。
飛行機は、羽田空港行ANA390便米子空港を20:55に出ます。
それに間に合うように、松江駅から19:25に出るバスに乗ります。
片道1,000円。約50分の道のりです。
雨が降ってきました。風も強いです。ビュービュー。
旅の終わりを告げているようです。
無事、米子空港へ着き、チェックイン。
あとは、搭乗アナウンスを待つばかりです。
行きしな同様、コロナ禍における後方からの順番搭乗になります。
アナウンスが流れました。羽田からの飛行機が遅れているそうです。確かに、風が強いままです。
しばらく待っていますと、スマホに欠航案内の表示が!
どうやら、米子あたりの風が強すぎて、降りられないとの判断で、飛行機が関西空港に降りることになったようです。
こうなりますと、二つのアクションが必要です。
ひとつは、明日のフライトへの振り替え申請と、今日のホテル確保です。
フライト切替は、ここが激震地なので、空港カウンターでやるとして、まずは、ホテル確保です。
楽天トラベルサイトから、GOTOを使い、米子駅前のホテルを予約しました。残り2部屋でした。セーフ。
そして、カウンターへ急ぎます。オー、すでに50人くらい並んでいます。急いで最後尾から並びます。
そして、並びながらも、スマホで振替できないか、ANAサイトでポチポチします。なんかダメそう。
こういう時の、スーパーフライヤーズメンバー専用の電話!
かけてみたら、このコロナ禍で、コールセンターが時間短縮対応。もう終わっていました。
仕方ないので、もう順番が来るのを待ちます。
周りの人はかなり殺気立ってきました。
みなさん、明日の予定がありますから、当たり前ですよね。
30分後、ようやく順番が回ってきました。
明日の11:25発のフライトに切り替えてもらいました。
チケット確認して、さて次はどうやって米子駅まで行くか?
電車、バス、タクシー。と悩んでいると、向こうの方から、米子駅行のバスが間もなく出ますとの声。
バスチケットを買い、乗り込む。ここに来て、ようやく精神的にも落ち着いてきました。
旅の終わりで、思いもよらないトラブルでしたが、おかげで鳥取県でも宿泊することができました。
なかなか寝付けませんでしたが、明日はゆっくり9時過ぎのチェックアウトなので、寝坊します。 疲れた。