本能寺の変1582 【 重史 41 】 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【 重史 041】 『日本史』
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*加筆修正
【 重史 041】 そ第78話⑥
①明智は、何らかの根拠フンダメントを作ろうと欲した
②過度の利欲と野心が募りに募り、
③それが天下の主になることを、彼に望ませるまでになった
④企てた陰謀を果たす適当な時期を、ひたすら窺っていた
『日本史』
しかし、このことが、世間に知られることは、なかった。
だが、それは密かになされたことであり、二人だけの間の出来事であっ
たので、後々まで民衆の噂に残ることはなかったが、
フロイスは、以下のように見ていた (①~④) 。
①この事件が、「本能寺の変」のきっかけになった。
あるいはこのことから、
明智は、何らかの根拠フンダメントを作ろうと欲したかも知れぬし、
②光秀は、欲深い野心家。
③天下の主になることを欲していた。
あるいは〔おそらくこの方がより確実だと思われるが〕、
その過度の利欲と野心が募りに募り、ついには、それが天下の主になる
ことを、彼に望ませるまでになったのかもしれない。
④光秀は、計画的だった。
誰にも、胸中を明かさず。
ベストタイミングを窺っていた。
ともかく、彼はそれを胸中深く秘めながら、企てた陰謀を果たす適当な
時期を、ひたすら窺っていたのである。
(『日本史』)
【引用】そ第78話⑥
⇒ 次へつづく
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