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本能寺の変1582 テーマ別 光秀の年齢 第74話② 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

テーマ別 光秀の年齢 第74話② 

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テーマ別 光秀の年齢

テーマ別 光秀の年齢 第74話② 

  【参照】◎P74 ◎第74話

 事態急変。
 ここで、状況一変。
 時の流れが、急激に、加速し始めた。
 事態は、思わぬ方向へ。

 光秀は、窮地に追い込まれた。
 このことにより、光秀は、絶体絶命の窮地に陥ることになる。

 信長の脳裏には、武田勝頼の首。

 信長は、絶対的な武力を手に入れた。
 信長は、容赦しない。
 武田の滅亡。
 「戦わずして、勝つ」
 信長は、絶対的な武力を手に入れた。

 これすなわち、「武田効果」。
 最早、風前の灯火。
 毛利は、武田と同じ道を歩むことになる。 

  此の如く、卅日・四十日際に一偏に属するの事、
  我ながら驚き入る計りに候、
          (「松井友閑宛黒印状写」「織田信長文書の研究」) 

 信長は、絶大な自信を得た。
 武田滅亡 → 「武田効果」 → 毛利滅亡 → 天下布武は成る。
 そのことが「油断」を生み、光秀に「隙」を与える結果となった。
 すなわち、武田を滅亡させたことが、逆に、「本能寺の変」の主要原因の
 一つになったと言えよう。
 



 ⇒ 次へつづく

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 「本能寺の変」
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