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好き探しをしていたら「やりたいこと」に繋がった(好きについて1か月考えた③)

https://note.com/mina_career/n/nced2555d765e

前回↑の続き

タイトルを変えてLINEメモを再開。

すると、
「食パン」「食パン」「食パン」
と続く4回目の「食パン」を書く気は
起こらなかったのに

そうだ、この後「食パン食べたい」を
メモしよう。

と書く気が起きた。

LINEにメモするのに飽きたのではなく、
パンを食べた後にメモすることに
面白みを感じなくなったけど
この後の行動はメモできた。


休職に入って毎日無気力。

明日何しようか考えたくもなく、
将来のやりたいことの前に明日のやりたいことも
分からなくなった。

でも3時間後のおやつの時間に
「パンを食べる」
という予定を立てることが出来た。

他にも「おやつを食べたい」というメモを
数日連続でしていた。

語尾が「たい」にするとなぜかかける事にも気づいた。

実際のスクショ(最初の書き始めから10日程経過)

実は"好き"なこととやりたいことは同じ軸にあるんじゃないか。

と何かひらめいた。

好きなことメモを分類すると
(好き!と感じた瞬間にメモしていたから当然なのだけど)

新しい刺激を感じ"た"時間
美味しいものを食べ"た"時間
自分の事だけを考えてい"た"時間
自分の体にとっていいことをし"た"時間

になっていることにも気づいた。

好きなことって実は
自分が心地いい、と感じたことで
やりたいことはまたその瞬間を
やりたい!と思うことなんじゃないかと
当たり前のような今まで気づかなかったような
哲学的なような解答に
辿り着いた気がした。

分かりにくいので図

そう考えると
就職してやりたいことを考える時に
「過去を振り返ろう」という手法を用いたり
大学時代どうだった?と自己分析を過去を元にしたり

過去の自分が楽しい美味しい嬉しいを思い出さないことには
もう一回再現したいこと、つまり
やりたいことは出てこないんだと思った。

また、
「経験を増やせ!!!」
「いいからやれ!!!」

というのも、そりゃ、
自分の「うわ、これ楽しい!!!」
が多いとそれだけ「もう一回やりたい!!!」
を感じる出来事は増えないから
理にかなっているなと思った。


好きなことが分からんくなったらチャンスな気がした。

やらなければならないで埋め尽くされるのも分かる。

好きなものを感じるシャッターを下ろしていては
毎日の行動の
右足を出すのか左足を出すのかを
自分の好みじゃなくて
誰かの真似をして踏み出すしか
判断材料がない。

ただ、好きなものを見ようとすると段々

30分後にやりたいこと
1時間後にやりやいこと
夕飯前にやりたいこと
明日起きたらやりたいこと
3日後やりたいこと
1週間後やりたいこと
1か月後やりたいこと。。。。

と、軸を伸ばせばいいだけだから
やりたいこと見つけにもなると思った。

好きが分からないじゃなくて
見てなかった。

だって鈍感だから。しゃーない。

→続き

。。mina。。

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