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小学校の頃がいちばん楽しかった

馬鹿にされることを覚悟で、あえて言う。
小学校の頃がいちばん楽しかった。

なんじゃ、その後の人生はおまけかい?お前のピークは小学校かい?と言われることを承知の上で、あえて言う。いちばんと言う言葉は感情的なものだ、という分析に私はいちばん賛成したい。ホント、理性なんて要らないのだ、あの時代に。

私は10歳で、時は昭和40年代で、場所は世田谷で。近所にはあちこちにまだ原っぱがあって。(原っぱには昔畑だった名残りの肥溜めというものもあって、ウンの悪い子がたまに洗礼を受けていた。)私達小学生は、学校が終わるのももどかしく近所の原っぱに直行し、ドッヂボール、釘さし、戦争ごっこ、雨が降るとどこかの家に潜り込んでトランプしたり、焼き芋を焼く焚き火のために家の前の道路を封鎖したり、、(その頃はまだコンクリート舗装されていない道も多かった)

そう。
世界は私達のものだった。

ひとクラス35〜40人だったが、いつもその内の10人くらいとつるんでいて、妹や弟まで金魚の糞のようにつながってきて、身体中掘り立てのジャガイモのように真っ黒くなって、遊んだ。乗れるようになったばかりの自転車で、原っぱから原っぱへ梯子して、遊んだ。暗くなってボールが見えなくなるまで、お腹が空き過ぎてフラフラしてくるまで

とにかく、遊んだ。

受験戦争もまだ始まっていなかったから、塾などという洒落たところへ行く子も多くなかったし、共稼ぎ家庭もほとんどなかったから、お母さん同士も気心知れて、どの家の玄関もちょっとだけ空いていて、いつも誰かが誰かの家に出たり入ったり。テレビは数チャンネルしか無かったし、スマホゲームも、インターネットなどというものの影も形もなかったから、私達はいつも誰かと一緒にいた。Twitterも、LINEも、インスタも、な〜んもなかったのに

私達は、たくましくつながっていた。

一緒に遊びを発明したり、知らない世界のドアを恐る恐る開けてみてビックリしたり、転んだり、笑ったり、ぶつかったり、喧嘩したり、仲直りしたり、毎日の出来事をみんなで作って、みんなで分け合った。泥だらけの手で焼き芋を焼いて、あっついあっついと言いながらそのホカホカを分け合うように。

あれが楽しくなくって、なんであろう。
「なにか面白いことない?」というエンドレス好奇心に私達はお互いがエサだったし、栄養だった、あの時代。青春と呼ぶにはちと早過ぎる、世界を知るにはちと無邪気過ぎる、男でも女でもない、蝶になる前のサナギは、み〜んな泥だらけで美しいのだ。

あれからざっと半世紀経って、町で蝶達がすれ違うことがある。

それぞれの羽根(くたびれた羽根や、キラキラ飾った羽根)の下にサナギだった頃の顔をみつけて、3秒だけタイムマシンに乗る。

何もなくて全てがあった場所に行くために。

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