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『わたしを束ねないで』④
『わたしを束ねないで』①②③ の続き
④束ねることからの解放
さて、私は現在アラフォーと呼ばれる年代で独身なのだが、30代後半になるにつれ、③で語ったような他人からの不躾な言葉の数々を、段々と投げかけられなくなってきた。
ゼロになったかと言われれば、ゼロとまではいかないし、恐らく心のうちで思われているのだろうが、直接言われることがなくなってきた。
「多分、"そういう"人なんだろう」という謎の
『わたしを束ねないで』③
『わたしを束ねないで』① ② の続き
③アラサー女の生きづらさ
あえて一般表現として「アラサー」としたが、実際自分が体感したのは30を過ぎてからだった。
①の教科書で初めて読んだ時、束ねられる違和感とそうなってしまう不思議さを思い、
②では束ねられる事の安心感と束ねられない側の焦燥感、不安感を感じていた。
30歳を過ぎてから、この詩を思いだした私は束ねられる窮屈さを実感していた。その上、周り
『わたしを束ねないで』②
『わたしを束ねないで』① の続き記事
②大学中退から社会人へ
中学の教科書に載っていた『わたしを束ねないで』の詩が
次に頭によぎったのは、大学を中退する時だ。
最終的に大学の中退を決めたのはもちろん自分だが、単位取得が足りない中、なおもモラトリアムを満喫する甘い考えでいた私に、決断を迫ったものは、実際のところ学部の再編の圧であった。
大学の中退とともに、「大学生」という自分を束ねていた輪から
『わたしを束ねないで』①
詩人の新川和江さんの『わたしを束ねないで』という詩。
教科書に載っていたその詩の表題でもある「わたしを束ねないで」というフレーズが、私の頭にはずっと残っていた。それを成長とともに反芻するうち、感じることや考える事柄が変わっていったのでそれについてここに書き記したい。
教科書に掲載があるとはいえ、全文を載せるのは抵抗があるので比喩の少ない部分を抜粋する。
①教科書で読んだ時期(中学3年)
当時の