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ライブを、音楽を楽しむのに「正解」はない
GWに開催された音楽フェス『ビバ・ラ・ロック』にて、星野源さんが「あの、(身振りを交えながら)こういうやつ、この時間だけはやめましょう! 好きに踊ってください!」と呼びかけたとの記事を見かけた。
「星野さんが“こういうやつ”と表現したのは、サビなどの盛り上がるところで、“観客が手を上げて前後に振る”行為についてです。主にJ-POPのアーティストの公演でよく見られるファンの“ノリ”ですね」(音楽ライター)
何かを好きな人同士が、そのコミュニティでしか分からないノリで一体感を得るのはとても気持ちがいい。
それ自体に何の文句もない。
アーティスト側から「皆で手をあげてね」「こういうレスポンスをしてね」「振付を真似してね」という指示があれば、なおのことそれをする事に異論を唱える必要はない。
ただ、星野さんの言わんとするところは分かる。
音楽や芸術についてまでも「暗黙の了解」や「正解」がある節については、私も思うところがある。
楽しいなら手をあげてノるべき、立ち上がるべき、声を出すべき。
「楽しんでいる人たち」の「最適解」をその場にいる全員が演じるべき、というその圧を感じたことのある人は多いのではないだろうか。
まるで何かに操られるかのように手をあげ、下げるべきところで下げていないと「知らない」感じがして恥をかいた心地がしてしまう。
下手をするとファンの通例も知らずになぜここにいるのかと、周りのファンから白い目で見られる可能性すらある。
こうなるともう正直、楽しむよりも「正解」に合致した動きをし続ける事に必死になる。
特にフェスにおいてはその人だけのファンではない事も多い。
より「このアーティストのノリ方はこれでいいのかな?」と不安になったりもする。
星野さんはその圧からの解放を願っていたのだと思うが、記事にあるようにそれを「自由の強制」と取った人もいるようだ。
みんな一緒の動きで気持ち悪いと言う人も、
みんなと同じ動きで何が悪いと言う人も、
「みんな」に囚われすぎてやしないか。
なかなかあの場で誤解なく言葉を発するのは難しい。
周りに迷惑をかけない範囲で、音を楽しんで。
不正解はないよ、みんな同じ動きをしなくても、結果として同じになってもいいよ。
自由に楽しんでね。
言いたかったのは、こういう事ではないか。
楽しみ方は色々ある。色々あっていい。
集団行動における協調性は、音が鳴り終わったあと、退場時にぜひ遺憾無く発揮してほしい。
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