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【後編】心理学歴10年の人間が人間という生き物を語る

人間という生き物は自分の中の感情や思考が入り組み合いもつれている、知恵の輪の様なとても複雑な存在です。

「自分はこうしたい」

という感情

「自分はこうでありたい、こうするべきだ」

という思考が人間の中には存在して、月の様に美しい一面と鼈の様に汚い一面が共存しているからです。

だから人間という生き物を言葉で表すのなら「月と鼈」という言葉が一番ふさわしいと僕は思います。


という様な事を昨日の記事ではお話しさせていただきました。


今日はその続きで「確かに人間は複雑で面倒くさい生き物なのだけど、実はこのポイントを抑えれば人間はとても簡単な存在になるんだよ。」という事を今日はお話しさせていただこうかなと思います。



心理学歴10年、まひろです。

僕の記事では心理学を10年間勉強することによってわかった、人間の本質的な行動原理である「自然の法則」を元にビジネスメソッドの発信をしています。

要するにまひろは心理学の知識を使ってビジネスのやり方を発信している者です。


皆さんは知恵の輪ってやった事ありますか?

まひろは知恵の輪が大好きで東急ハンズで置いてあったりするとつい立ち込んで、最後去って行く時は全部分解した残骸しか残っていないとても迷惑な客だと思うのですが、人間は確かに複雑で面倒な生き物なのですが解き方がわかればスッと簡単な生き物になる、そんな存在です。



人間の行動を支配する3つの視点


ではそれを話して行くのにまずお話しするのがこの「人間の行動を支配する3つの視点」です。昨日の記事でもそれについてちょこっとどけ触れたのですが、覚えていらっしゃる方?

多分数名の記憶力が良い方は覚えられていると思うのですが、昨日僕はこんなお話をしました。

精神分析学では人間の行動は「イド」「エゴ」「スーパーエゴ」と言われる3つの観点から支配されています。

「あ〜なんかこいつボヤいてたな」ぐらいに覚えてくださっていればそれでOKです。


イド

簡単に説明しますと「イド」とは生物としての本能の事です。

例えば「眠たいな」「トイレ行きたいな」「お腹すいたな」「ムラムラするな」こんな生物としての本能の行動原理のことを言います。まあ言ってしまえばそこらにいる野生の動物の行動です。


スーパーエゴ

なんか名前だけ見るとめちゃくちゃカッコ良いですが「スーパーエゴ」とは自分の中の第三者目線の事を言います。

例えば、満員電車で男性の前にめちゃくちゃ色気があって美人な女性が立っていたのなら、イド(生物としての本能)的には男はケダモノになるのが自然なのですがでもほとんどの男性はそうはならないですよね。

それはなぜかというと「今ここでケダモノになると社会的に死ぬ」「捕まりたくない」「そんな人間になりたくない」という第三者目線が働くからです。この様な第三者目線を「スーパーエゴ」日本語で「超自我」と言います。


エゴ

「エゴ」とは「イド」と「スーパーエゴ」の采配を決める操縦士の事です。

これは聞いたことがあると思います。多くの人は”哲学”の定義の「エゴ」を使いますが。

精神分析学では例えば先ほども出しましたが、満員電車で男性の目の前に色気があって美人な女性が立っていたとしても人間には「襲いたい」「社会的に正しくありたい」という「スーパーエゴ」「イド」の両方の感情思考が発生します。

「エゴ」はその二つの思考と感情の采配を決め、最終的に自分がどうするかを決断する自我の事を言います。

「襲いたいけど、社会的に正しくありたい。まあだから見るぐらいならセーフかな。」みたいにね?



人間はこうやって意志を決めて行動に移す


上に書いたことをまとめると


人間は自分の中の「イド(生物としての本能)」「スーパーエゴ(第三者目線)」の2つの感情思考の意見を「エゴ(時が)」が最終的に折り合いをつけ意志が決まり、そしてそれが行動に反映される。


と精神分析学のフロイド説では言われています。

でもなんか「イド」「エゴ」「スーパーエゴ」の三つが人間の行動を支配するみたいにまひろはカッコつけて言っていますが、実は大切なのはこの仕組みではなく、この3つの視点の共通点です。

一見、人間は生物としての本能の欲や社会的な目線や自分の理想が自身の中で絡まってそしてそれらを自我という視点が采配を決めるという複雑な生き物に見えるのですが、本質を見抜けばそれらの感情や思考はある1つの”モノ”のためだけに存在しています。

みんなこの”モノ”が好きだし一番大切だし一番重要だし一番愛しているからこそ、こうやって複雑な思考や感情を心の中で巡らし渦巻いているんです。


じゃあその”モノ”とは何か、それは全ての思考や感情は「自分自身」の為のみに存在しているという事です。



人間の思考や感情は全て「自分本位」の一点である


これは昔から僕が様々な記事でお話してきたことなのですが、ようやく今になってきちんと解説します。


『人間は常に自分の欲に従って行動している』


これが人間という生き物だと僕は過去の様々な記事でお話ししてきました。側から見れば優しい人も厳しい人も薄情な人もケチな人もみんな同じで、本質を見れば全員ただ自分の欲に従って行動しているだけなんです。

例えば、優しい人って人のために行動できる人の事を多くの人は指しますよね。

でも、なぜその人が人のために行動をするのかというと、どんな経緯や理由があるにしろ、最終的にそうすることが自分にとって一番得があることだと思っているからです。

逆に、人に厳しい人もその人が他人に強く当たるのは、そうすることが自分にとって一番得があると思っているから行動をします。


人間は自分が自身にとって得のない事または害があると判断した事をしない。

例えば、全く見た目がタイプでもないし一緒にいても何も会話が生まれないし、お金は全額奢らされる人間とあなたは遊びに行きたいと思いますか?

別に仲良くもない人とわざわざ遊びに行こうとは思いますか?


大半の人は思わないですよね。それはなぜかというとそんな人と一緒にいても自分に全く得はないし、むしろ害しかないからです。


だからいくら他人からどう評価されていようが、自分にとって得があるから人間は行動を起こす自分が大好きな生き物なんです。例外なく。


これを通して何が言いたかったのかというと、人間は一見確かに色々な感情や思考が入り組んでいてとても複雑で面倒なのですが、その本質自分にとって得なことしか望まないの一点です。

誰もが自分が大好きなんですよね。どんなに自分のことを嫌っている人でも、自己肯定感が低い人でも。


だからここで余計なことを言っておくと「相手のため」という考えは多くの人にとても受け入れられやすいです。人を動かしたり、影響を与えたいときは常にこの理念がなくてはいけない。



心理学歴10年の人間が語る「人間とはどういう生き物なのか」


という感じでここまで「人間という生き物は一体どういう生き物なのか」という事を心理学という人間の心理を追求する学問を約11年間追ってきたまひろがお話してきましたが、あなたは何を感じましたか?


色々複雑な思考や感情を巡らしたりして色々考えながら頑張って生きているのに結局は自分のためにしか考えていないし行動できない人間を、あなたは汚いと思いますか?

僕は最初そう思っていました。「なんて汚い生き物なんだ、あんな優しいふりをしたり人の為とか、都合の良い言葉が世間では溢れているけど結局はみんな自分の為にやってるだけじゃないか。」みたいにね。

と言ってももう5年も6年も前ぐらいの話なのですが、しかしそれも自分が通った道なので僕の話を聞いて、もしそう感じた方がいらっしゃるのならその気持ちは大いにわかります。


人間は思考や感情の本質は確かに自分本位の為だけ、行動も。

だから人間という生き物は汚い存在でもあります。これも一つの事実であり捉え方です。汚い鼈のように、近くで見た凸凹の月のように。


でもね、その欲の中には「大切な人を守りたい」や「人を喜ばせたい」や「成長したい」などの素敵な自分本位な欲も含まれていたりします。僕自身なんかも「家族や友人を幸せにしたい」という感情が存在しています。

しかし、これも紛れもない自分本位な感情です。言ってしまえば、ただ単に自分にとってその人達が好きだから大切だから、自分が勝手にそう考えていたり思ったりするだけの自分本位な思考であり感情です。それ以上でもそれ以下もなく。

それからやがて最終的には、人間とはそんな自分の身を呈してでも守りたい・幸せにしたいという思考や感情を作る、人間とはそんな生き物でもあります。


僕はそんな人間の一面をまるで夜空に輝く月のように、鼈が美容の食材のように感じます。



昨日の記事でも話したように、そんな綺麗な面も汚い面も人間には存在していて、月でも鼈でもあります。

だから僕は「良い面だけを見ろ」という偽善発言をするわけでもなく、「悪い面だけを見ろ」という性悪発言をするわけでもありません。僕は宗教をやっているわけではないのでね。


こんな綺麗な面・汚い面”どちらも”含めて「人間」という生き物なんだよ、という事を僕はこの記事を通して今まひろの記事を読んでくださっている読者の皆様に伝えたかったのです。


だからまひろ的にも「僕の記事を読んでくださった読者の皆様には人間を好きになって欲しい」みたいな偽善的で好感度が上がるような思いは、この記事に込めていませんし、無理にそう捉えてくださる必要もないと思っています。

そんなの、受け取り方はあなただけの貴重なものなのですから。


が、あえてまひろの本当に個人的な意見を言わせていただくとすれば、どうせこの世界で生きていくのなら人間とは長い付き合いになっていくのですから、嫌いすぎても好きすぎても、疲れるし飽きるだけじゃないですか。

そして自分自身もそんな人間のうちの一人なのですから、ちょっとぐらいは贔屓してそんな自分も含めた人間という生き物を好きって言ってあげてもいいんじゃないかなって少し思ったりします。


だから昨日も冒頭でまひろは人間の事はめちゃくちゃ好きでもないし、めちゃくちゃ嫌いでもない。どちらかと言われればちょっと好きかなぐらいだと言ったのです。

最終的には「大切な人を守りたい」「人を喜ばせたい」「成長したい」なども含んだ自分のしたい事をして生きていけば、人生は絶対楽しくなるし充実します。

だから変な罪悪感や正義感は持たず、自分の思うように行動すれば良いのです。せっかくの人生なのですから、それぐらいの贔屓をしてもバチは当たらないでしょう。


そしてそれが人生においての一番の成功だとまひろは思っています。



それでは、あなたの人生がより豊かになるように僕は心の底から応援しています。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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