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不安との付き合い方

「先週の仕事の内容が気になって不安・・・。本当にあの対応で良かったんだろうか」
報告もしているのに、何も指摘もされていないのに、何かダメだったんじゃないかと不安になる。絶望的になる。
大げさだけど、仕事向いてないとか、辞めたいとさえ思ってしまう。

なんて私はダメなんだろう。
当たり前のことができないんだろう。

自己否定の沼に落ちていく。

このまま消えてしまいたい。

大げさだと思うんです。誰かが言うように、自意識過剰だとも思うんです。
「考えすぎ、気にしすぎ、まじめすぎ。」
「プライド高いんじゃない?」
「もっと気楽に、肩の力抜いて!」

私だって、そうも思うんです。毎回。
だけど、不安の沼から這い上がれない。
そんな気分。

気持ちの切り替えは昔からへたくそ。
一つのことが心に引っかかると、気になって落ち着かない。
休日も楽しめない。

それが私でした。


今日の私の中にも、そんな自分はまだいる。

だけど、これまでと少し違うのは、
その不安な気持ちとちょっとだけ仲良くなれたこと。

自分との付き合い方を少し変えてみたこと。

仕事の内容に不安を持つ気持ち。
その気持ちを否定しない事。
「いつまでも悩んでバカみたい」
「いい加減切り替え上手になりなさいよ」
「あんたっていっつもそう」
「悩んでれば何か解決するわけ?」

そんなひどい言葉を投げかけるのを一旦辞めた。

「どうしたの?」
「不安なんだね。不安だよね」
「気持ちの切り替えって、なかなか大変だよね・・・」
「一緒に考えようか。何が問題かな?何が苦しいかな?」
「あなたはこれまでも、乗り越えてきたよ」
「問題があっても、私はあなたの味方。大丈夫」

わたしにかける言葉を変えた。否定じゃなく寄り添う。味方になる。
私を突き放さないこと。ここまで私の人生を生きてきて、今日もここにいるのはわたしなんだから。

それでも、あの情緒の不安定さや自己否定の嵐はやってくる。それはわたしが私を過剰に守ろうとしているから。傷つくことから。
昔の自分を思い出して、傷ついたら、失敗したら、あの時みたいに一人ぼっちになって、生きていけなくなると思っているからかもしれない。

自己否定のあの沼は、泥沼じゃなくて、私を守るシェルターなのかもしれないと思う。

そう思うと、わたしにありがとうとも思えてくる。守ってくれてありがとう。
だけどもう、シェルターはそんなに必要ないよ。
私は大人になったから。
自分で選んで、自分で決めて、自分で行動できる大人になったから。
そして、私は今、自分の意思で逃げることも立ち向かうこともできるようになったんだよ。だから大丈夫。安心してね。



カウンセリングと心理療法を通して、それ以外にも、YouTubeや書籍を通して人や心理学を学び、自分自身と向き合う時間をたくさん持った。
自分を変えたかった。他の人のようになりたかったし、ならなきゃダメだと思った。私の性格は最悪だと思った。みんなの輪を乱すと思った。
だけど、頑張って社交的でコミュ力あるようにふるまっても、何かうまくいかなかった。袋小路。何をやっても、うまくいかない。力付きて、意識を失うように眠るか、不安にさいなまれて不眠になった。
きっとみんなも、頑張って頑張ってるんだ。私はメンタルが弱いんだ。
変えなくちゃ・・・

そして気づいた。
"変えなくちゃいけないのは、性格や人格じゃなくて、自分との付き合い方なんだ"

自分との付き合い方、それは、自分を知ること。考え方、価値観、これまでの経験、リソース、資質、特徴、行動パターン。そして、体もゆがむように、ココロもゆがむ。それが認知の歪み。捉え方の歪み。
私が自分に対して変えられるのは、捉え方や行動パターンを変えること。
環境や人間関係を真摯に選ぶこと。

人生を自分のものとして生きる為に必要なのは、自分自身だ。
私という存在そのものが、私の最大の資産、価値ある事。
私のココロとカラダが私の資産。
その資産を使って、私の人生を生きていく。
ならばより自分自身でコントロールしやすい「心と体」に、メンテナンス(調整)していくひつようがある。
人生で集中すべきことの一つだと思う。

自分への違和感を見るのは苦しい。
そこには少なからず傷がある。
ありのままの私はダメって。
だけど認めてほしいって。
だから私たちは、意識を反らす。
そのために、他人や物を利用したりする。
自分以外の他のものに集中する。
それもほとんどは無意識に。
それも否定できない。

だけど、ココロのどこかでは何かに気づいている。
私のすべては、私の中にあるから。

自分と向き会いたいとき、一人では苦しいこともある。
だから私は、どんな人も積極的に専門家の手を借りるのもありだと思ってる。
身体はストレッチしたり、動かしたり、調整するのに、ココロの調整はなぜだか嫌煙されがち。
まだまだ根性論、気合の問題にされがちだけど、ココロにも調整する方法はたくさんある。

それを学んだから、私は今生きていられるんだと思う。

大丈夫そうに見えて、大丈夫じゃない人もきっと沢山いる。
私たちは時々、自分を見失うほど
ギリギリで生きているから。


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