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実家通信

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週に一度、都内の実家に泊まりで通っています。 こちらのnoteマガジンには、認知症で要介護認定を受けた母と過ごす時間の記録、ぼやきを含めたつぶやきなどをまとめています。 実家から…
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祝・卒業

祝・卒業

母が実家を卒業してから、ひと月以上が過ぎた。
思いもよらない展開にはなったけれど。

その後、しばらくはいろいろな事情で実家通いが続いたけれど、ひと月が過ぎて、ついに私も実家へ行くことがなくなった。

今後、積み上がったモノの整理や片付けには行かなくてはならないだろうし、時にはきょうだいで集うこともあるかもしれない。

けれど、機能不全が起こりつつあった家族の見守りと、寄り添いのために始まった「実

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母親と産土さまと

母親と産土さまと

このつぶやきが3週間も前だったとは。
この翌日、夏至を迎えたのだな、とこの間を振り返る。
いろいろあった3週間。母はがんばって生きている。

この前の面会の帰り道、産土神社に立ち寄った。
母の入院している病院の、すぐ近くなのだ。

私が自分の産土神を知ったのは、ほんの数年前のこと。たまたま鑑定できる方とご縁がつながり、調べていただいた。

その時は、産土さまが生まれる前から私を守ってくれていたなん

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母の面会へ。ちょうどリハビリ中でベッドの上で必死に身体を動かしていた。必死とはこのこと。ほんの数週間前までウロウロ徘徊していた母が夢のよう。母をみながら自分の身体が思いどおり動くこと、物を噛んで飲み込めること、声を自由に出せること、肉体という宇宙の神秘に気づく。すごいことなんだ。

世にもウザくてうれしい日

世にもウザくてうれしい日

怒涛のひと月のあとには、怒涛の3日間が待っていた。

母が実家を卒業、施設に入居しホッとしたのも束の間、2日後に誤嚥性肺炎の症状で救急搬送された。

その時間、4人きょうだいの中で連絡がついて駆けつけることが可能だったのが私(だけ)。

病院につくと母は超重症な状態、その場で人工呼吸器をつけるかつけないかの判断をしなければならなかった。

しかもドクターの話では、88歳という母の年齢や今の状態から

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卒業の日

卒業の日

怒涛のひと月が過ぎた。
綱渡りのような、決して落とせないバトンリレーのような。

人間はこんなにももろく
そして、たくましいのかを感じたひと月だった。

悲しくて辛くてイライラして腹が立って切なくて
眠いけど眠れなくて。

でも同時にそんな中

家族、きょうだいみんなの優しさや陽気さや
瞬発力やあれこれを工夫する創造性やら。

緊張感の続く、大変な状況でしか生まれない底力が、この時期を支えてくれた

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2本の足で立つ

2本の足で立つ

この数週間で母の介護のフェーズが変わった。

認知機能が衰えても、身体はしっかりとしていたのだが、風邪をきっかけにみるみると衰えてしまった。それはもう坂を転げ落ちるようなかんじで。

数日前にできたことが、今日はできない。
日に日にできないことが増えていく。
これまで杖も使わずに歩いていたのに、2本の足で立つことが、だんだん大変になっていく。

それでも生きている限り、食べなければならないし、食べ

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母がデイサービスでカーネーションをいただいてきた。まだ数回しか訪れていないのに、スタッフの方々が寄せ書きしてくれた感謝状も添えられていた。「いつもありがとうございます」「お会いするのが楽しみです」「優しい笑顔とお声が大好きです」「これからも一緒に楽しみましょう☺︎」有り難くて泣く。

夕食後、実家に一つだけある苺スプーンで苺をつぶしイチゴミルクを作っていたら母が自分もそうしたいと言う。スプーンを渡したら「こりゃ便利」と嬉しそうにつぶしている。練乳と牛乳をかけてあげたら「こりゃ美味しいわ!」とまるで初めて食べたかのように無邪気に喜んでいる。’忘れる’ことも佳き。

紆余曲折ありつつもついに母が初めてデイサービスに(半日だけだけど)1人で参加してきた!途中で帰ってこなかったのは初めて!お昼ごはんもいただいてきた。有り難くてサクラサク気持ち。帰宅した母に「今日は何したの?どうだった?」と聞いたら「まったく人付き合いも大変だよ」だって。ウケるー。

今日は父の命日。あれから19年。あの日も桜が咲いていた。そのせいか桜が咲くと少し寂しくなる。父が全てだった母は、毎年この日のために精を尽くし韓国式の祭礼の準備をしていた。今年は何の日かもわからなくなり、祭礼もあっさり省略となった。これでいいのだ。お母さん、これまでご苦労だったね。

すっかり歯も弱くなってしまった母は、固いものを嫌がる。入れ歯だから歯ではなく、歯茎が弱くなったということか?母の最近のお気に入りは、ネギトロ、茶碗蒸し、プリン、あんパン、蒸しパン、はんぺん…などなど。付き合って食べていたら、なんだか私も頭フワフワしてきたような。おせんべ食べたい。

食べてもらうしあわせ

食べてもらうしあわせ

最後に母が作ったものを食べたのはいつだったのだろう。
料理好きだった母が、料理をしなくなり半年近くが過ぎた。正確にはできなくなって、だが。

今でも私たちが「お母さん、このキャベツ切ってくれる?」「これ菜箸で炒めてくれる?」とお願いする形で作業をしてもらうことはある。
すると、迷いなく手は動く。何十年やってきたことだ。体が覚えている。

料理をするということは、思っている以上に様々な段取りや手順が

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久しぶりの晴れ。抑うつ状態の母を促し散歩へ。よかった。その気になってくれた。お日さまのおかげ。歩き出すと前より更に歩幅が小さくなってしまったよう…それでも88で杖もなしで歩いているからいいのかな。あれこれ思いが巡る。ふと足元に黄色が目に入る。タンポポだ。何はともあれ春はくるのだ。

こんなことしてていいよ

こんなことしてていいよ

母の抑うつ状態が続いている。

「認知症になったら、人が変わったようにずっとニコニコしているの」
いつだったかそんなお友達の親御さんの話を聞いたこともあり、たとえ何もわからなくなっても、穏やかに微笑んでいてくれればいいなぁと思っていたが、現実はそうではなかった。もちろんこれからそうなることもあるのかもしれないが。

最近の母は
「お母さん、こんなことしてていいの?」
「お母さん、ここにいていいの?

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