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世にもウザくてうれしい日

怒涛のひと月のあとには、怒涛の3日間が待っていた。

母が実家を卒業、施設に入居しホッとしたのも束の間、2日後に誤嚥性肺炎の症状で救急搬送された。

その時間、4人きょうだいの中で連絡がついて駆けつけることが可能だったのが私(だけ)。

病院につくと母は超重症な状態、その場で人工呼吸器をつけるかつけないかの判断をしなければならなかった。

しかもドクターの話では、88歳という母の年齢や今の状態から考えると、おそらくつけたら死ぬまで外せないだろう、口から食べることもできず、施設にも戻れず、余生は病院だという…

その上、呼吸器をつけてもただの時間かせぎにしかならないこともあると。

神さま、あんまりですーーー



私なら、、、どうする?
じゃなくて、母のことなのだ。

悩む時間はなかった。
母は絶対みんなに会いたいはず。
ただそのことだけを思って、人工呼吸器をつけてもらう選択をした。
時間かせぎでもいいから、少しでも生きていてほしかった。

かなりの時間が過ぎ、やっと来てほしかったみんなが揃った頃、母は重症管理室という病室に移された。

改めて、病室の担当ドクターからのお話し。

「救命自体が難しい状態」
「もしもの時、心臓マッサージはするかしないか」
そんな話しだった。
弟と2人で、今度は迷わずノーを選択した。  

その後、辛い辛い面会をして
急変時の連絡先をおいて、病院を出た。

眠れぬ夜のはじまり。



眠れぬ夜があけて翌朝、ドクターから着信。
飛び上がって電話に出たら、気になるところもあるが,改善しているところもあり、今後の状態次第で、呼吸器を外せる可能性もあるかもしれないという。

え?!一生つけるんじゃなかったの?!

身体中の力が抜けた。 
母、頑張ってくれたんだ!!!

午後、面会にいくと、前日よりはほんの少し顔がすっきりしてみえた。嬉しかった。

面会のあと、こんな時だけどせっかくだからと、三姉妹と弟のお嫁ちゃんと、めったにないメンバー…というか、多分初めて4人だけでお茶をした。

この時間は、絶対に母から私たちへのプレゼントだな、と思った。
忘れられないあんみつの味。



翌朝、再びドクターからの連絡。

なんと母は劇的な回復をしていて、十分な数値が出たので、午前中に呼吸器を外す準備をするという!!!!!!!

奇跡が起きたー!!!!!

どうやら誤嚥性肺炎による呼吸不全ではなかった可能性もあり、それに合わせて治療方針を変えていくとのこと。

先生〜なんであんなこといって脅かしたの?
と少しだけ思ったが、そんなことよりも有り難くて有り難くて涙が溢れた。
お医者さんて、病院って本当にすごい!神!

母もすごい!

護られているんだ。
神さまはいるんだ。




今日も午後、一般病棟に移った母に面会してきた。

呼吸器は外れていて(涙)それでも
まだまだ管だらけで、入れ歯もなくてフガフガだったけど…
母と会話ができた!

もう2度とできないと思ってたのに!!

足をマッサージすると「気持ちいい(ふがふが)」と反応したり「泊まっていけるの?(ふがふが)」と聞かれたり。
泊まって行くから心配しないで、とウソついた。

まだそんなことが心配なのかよー! 
もうかんべんしてよ!
ウザくて嬉しくてたまらないよ!
心の中で叫んでいた。

どんな姿になっても、母は母のままだ。

それが嬉しくて、愛しくてたまらない、イマココ。

この先どうなるかはわからないけど
私の今この瞬間のたまらない気持ちを記したくて。

今日は面会の帰り道、プリンを食べた。
格別に、格別に美味しかった。

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