対岸からのお手紙ガチ回答~「保守と左翼の違い」より~
※全文を無料で公開しようと思い執筆したのですが、若干踏み込んでしまった部分があるため、100円の壁を設けております。いかすみさんにおかれましては、TwitterのDM等からご連絡いただけましたら、無料での共有をさせていただきます(DMが解放されていなかったので)。
先日、小山・せっかくのゴールデンウィークをひろゆき氏とのレスバで全消費・晃弘氏の『「哲学」のはじめ方』を受けて「"教育勅語"と"人生哲学"」を公開したところ、対岸からお手紙が届きました。
私は保守・右派的な思想をもっているため、ご自身を「左翼」とされるいかすみさんは、私から見て対岸にいらっしゃるわけです。
対岸から贈り物があるときはそのほとんどが石やナイフ、火炎瓶なのですが、今回は違います。
純粋な疑問や、ご自身のお考えを冷静に述べていらっしゃいました。
そこで、稚拙ながら、私の方からもお返事を書かせていただこうと思った次第です。
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さて、まずは「国家とは」についてですね。
たしかに、「近代国家」と呼ばれるものは明治以降に成立したと言えるでしょう。
しかし、「国家」と呼んでいたか否かに拘わらず、現在でいうところの「国家」に値する「共同体」は存在していたと考えるのが自然です。
朝廷が支配していたり幕府が支配していたり、その支配者や支配範囲は時代によって変化し続けてきましたが、「政府」が「支配」するという国家的共同体は、ずっと昔から運営されてきました。
「日本の国家観念はいつから出てきて、それは日本人にとってリアルに感じられたのはいつ頃なのだろう?」という点について、そこを専門としているわけなので正確なことはお答えできませんが、現在の我々のような認識とは異なるとしても、「そのような共同体に属している」という意識はあったと考えるのが自然だと思います。
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お次はここについて。
これは、「 "日本古来" がどこからを指すと考えているのか」によって答えが変わるかと思います。
日本の歴史は神武天皇が即位されてから現在まで2683年と言われているわけですが、儒教が日本に伝来したのは5~6世紀ごろと言われています。
それ以前に「孝行」的な考え方が日本に存在したのか否かは不明ですが、少なくともこれ以降、日本人はこの考え方を受け入れてきたわけです。
そして、日本人の根幹たる「神道」はそもそも非常に寛容 言い方を変えれば "なんでもあり" であり、日本の歴史を見ても、やはりこの寛容性からさまざまなコト・モノを受け入れることによって発展してきました。
そのため、私は発祥が日本であってもそうでなくても、日本人が古くから、永く大切にしてきた事柄なのであれば、「日本古来」として問題ないと考えています。
また、"筆者は「孝行」教育勅語の徳目の一つに挙げているが" とのことですが、「爾臣民父母に孝に」と渙発せられたのは、畏れ多くも明治天皇にあらせられます。
このような前文を踏まえて考えるに、畏れ多くも明治天皇におかせられても、「父母に感謝し孝行する」というのが日本古来の精神であるとご認識されていたのではないかと考えるのが自然でしょう。
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そして、いかすみさんは私の記事から以下の箇所を引用し、その下のように述べていらっしゃいます。
まず第一に、「人権」とは当たり前ですが「権利」のことであり、それすなわち「概念」であることは前提です。
そして、その「権利」はどこへ行っても主張すれば通るものではなく、それを認め、保障してくれる存在があって初めて行使できます。
そのため、たとえば母国が消滅した人々は人権を保障してくれる存在を失い、人権思想を擁護する国に保護されればある程度は認めてもらえますが、やはり大きく制限されることは間違いありません。
もちろんすべての人々が人権思想の恩恵を受けることができればそれに越したことはありませんが、現実問題として、世界はそのように都合よくはできていないのです。
「中国の人権は中国が保障しているのなら、チベットやウイグルの人権問題にどう日本人は関与できる権利があるのだろうか?」とのことですが、これは非常に難しい問題ですね。
人権思想を擁護する我々日本国民の感覚からすれば、チベットやウイグルで行われているとされる迫害・ジェノサイドは信じられないものでしょう。
中華人民共和国は一刻も早くこれらの人権侵害をやめ、チベット人やウイグル人の安全と権利を保障すべきであると私も思います。
そして、我々はそれに声を挙げることはできます。
「我々はこう考えていますよ」と。
市場経済的に不買することもできます。
圧をかけることもできます。
しかし、直接的に介入することはできません。
国連憲章の解釈をこねくり回して介入することも可能かもしれませんが、国連憲章そのものがそもそも第二次世界大戦における戦勝国に都合よくつくられたものであり、あれが "道理" であるわけではありません。
そして、実際に介入すれば、ほぼ確実に戦争になります 経済面においては、すでに米中は戦争に突っ込みつつあります 。
そのため、実際のところ、我々が中華人民共和国内の人権問題に直接介入する術はほぼないに等しいと言えるでしょう。
残念なことですが。
だからこそ、チベットやウイグルの人々は、現在進行形で人権を著しく抑制されているのです。
我々西側の人間は「人権は普遍的に護られるべき権利だ」として中華人民共和国に改善を迫りますが、それは "強制的な介入" にならない範囲に留まります。
そして、西側がウイグル問題等にここまで言及しているのは、
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