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【雑記集】※いたって個人の感想です。

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雑記・随筆も、書くのが楽しいですね。いや、雑記や随筆こそ、書くのが一番楽しいかもしれません。 そしてこの誰に宛てているわけでもない文章が、漂流して、まったく見知らぬ(かもしれない…
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#個人的な考え方

「生きた心地」がする・しない

「生きた心地」がする・しない

「生きた心地がしない」と言える時は、まだ生きている。

そのセリフはむしろ 「生きている証」のような気がする。

「生きている心地」なんて 「元から存在しない」「知らんわ」「考えてみるすべもない」 っていう時は、 もしかすると実際、半分死んでいるかも?とも思う。

自分の「生きた心地」――最近、どうだろう?

「生きた心地がしない」というのは、「生きた心地にさせてくれ!」という ある種の「訴え」「

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自分の存在しない世界と同じ

自分の存在しない世界と同じ

土井善晴先生のお言葉を、本日はいくつかメモ書き。

私も同感。
何だか、頭で考えてばかりだと、「理屈中心」の思考回路になるが、その「理屈」って、所詮狭い自分自身の頭の中の世界しか見ていないところもあるものね。
「常に変化している外界」とか、キャッチしにくいというか。
「計算では弾き出せないことで溢れている」のが、この現世という気もするし。

土井善晴先生のお言葉
その②

「きれいかどうか」を後回

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「ま、どうでもいいか?」で新たに開く扉も結構ある

「ま、どうでもいいか?」で新たに開く扉も結構ある

「ま、どうでもいいか?」で生じるその「隙間」から、 新たに生まれるものは結構存在するし、 むしろそっちのほうがかえって良いものだったりすることも多い。

もうこれから私は、ほとんどの物事を、「どうでもいい」「どっちでもいい」 でいこうと思う。(それは極端すぎますよ。笑)

また、そのほうが、予定調和にならず新鮮だったりもする。

何かを「具体的に」望み過ぎると、それに縛られてしまって、「予定外のサ

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「現世」は「旅先」みたいなものなのか

「現世」は「旅先」みたいなものなのか

水木しげる先生曰く、
「この世は通過するだけのものだから、あまりきばる必要はない」
とのことです。

なるほど、そう考えたほうがむしろ(私にとっては)、この世が素敵なところに思えてくる不思議。

そうかそうか、「現世」は旅先みたいなものなのか。

ならば、「出来る限り楽しく」でいいような気がしてきた。
(水木先生の言葉に、勝手に解釈を付け足していく私。笑)

「自意識」より「無意識」整えたい

「自意識」より「無意識」整えたい

成程、鏡で自分の顔を見る時は何かしらの「自意識」が働いてしまうというのは、確かにその通りのようである。

で、鏡に自分の顔を映していない時間の方が、日常の大半、ていうか、「ほとんど」なので。

他人に見られるのも、主にそっちの時間の顔がメインになるわけだから、「自意識」働かせていなくてもいい顔でいられるように、 「無意識」から、つまり「心根」から、整えておきたいものだ、なんてことを思った。

「無駄にしますまい」意識だな

「無駄にしますまい」意識だな

疲弊した時、風邪等でこまめにダウンする人の方が、きっと大病にはならない、 という理屈と同じか。
――一見悪い反応でも、 反応しなくなる状態よりかはよっぽどいいのだ。
アレルギー体質の人のほうが長生きをする、なんて事もよく聞くしな。

すべてのものが、「無駄」にはならない。
いや、 すべてのものを、無駄にしますまい。

「ちょっとでも多く得してやろう」 とか 「ぜったい損したくない」 ではなく。

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「批判」や「指摘」を「攻撃材料」にはしないようにしたい

「批判」や「指摘」を「攻撃材料」にはしないようにしたい

「批判」「指摘」は大事なものなのに、 中にはそれをどぎつい味付けや口調にして、「攻撃」に使う人も多くて、 その印象からか、逆に多くの人が「批判」「指摘」を、妙に遠ざけて遠慮しあってしまう気がする。

最低限の思いやりとか個々人への尊重とかを失わない「批判」「指摘」は、そんなに難しいものだろうか? (と、これは完全に自問自答を含んでいる。)

もっと、明るくカラッと、スカッと、あっけらかんと、 皆が

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勝たなければ負けないし

勝たなければ負けないし

「絶対負けたくない」とか 「必ず勝者になってやる」とか、そういうこだわりみたいなのを捨ててしまえば、 少なくとも、 負けることも敗者になることもなさそうだ。

勝ち負けって、いらないかも?
と、個人的に思った。

――負けもそうだが、 何なら勝ちだって (かわりに誰かが「負け」になったってことでしょ?)、 別に自分はそんなに気分よくない。
いい子ぶっているわけではない。
だって、誰かからそれで「妬

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「居心地」もまた変わっていく

「居心地」もまた変わっていく

「居心地のいい場所が失われてしまった」 と感じる時、実は 「自分の居心地(の感じ方)のほうが変わってしまった」 というケースも多い気がする。

――「心地」とかそういう感覚的なものだって、記憶には残る筈なのだ。

だからこそ、「失った」とか「失われた」とか捉えてしまうと、折角残されたその「感覚の記憶」をも、失ってしまいそうだ。

「感傷」まではいいけれど 、「悲嘆」に入って「絶望」とか「怒り」にま

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「幸運」のほうを見るようにしよう

「幸運」のほうを見るようにしよう

「運が良かった」というその要素については、
「運が良かったんだよっ!!」って、自分に何度も念押しして忘れないように言い聞かせるくらいのほうが良い。

と、いいますのも。

人は「運が悪かった」ことのほうは、殊更強調して話したり記憶に強く刻んだり繰り返し思い出したりするけど、 比べて、運が良かったことのほうは、満足したのか、先に何故か忘れていくんだよな。(へんなの。笑)

何だかんだ言っても、「私

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「無心」になることで見えるものがありそう

「無心」になることで見えるものがありそう

この世のすべてのものごとに、理由があるわけではないのだ。

ってか、 理由が見当たらないもののほうが、面白い事が多い気がする。

「無心になる。」

それがこの秋のテーマだなー。
※(お金とかを)無心する、ではありません。(笑)

自分の行動に、いちいち全て、理由とか、目的とか、なくたっていいでしょう?
「その説明」って、誰のためにするものなの??

それでも説明を求められるなら、あえて、こう答え

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「バカげたこと」には「バカみたいだ」といちいち思える自分でありたい

「バカげたこと」には「バカみたいだ」といちいち思える自分でありたい

「バカげたこと」に 「バカみたいだな」と、心だけでも反応できなくなったら、 終わるな、自分。
……だから、いつまでも「底意地ワルく」いたいです。(笑)

たとえば。(あくまで一例に過ぎない。)

何だかあまりにも「お金至上主義」で、それ中心にほとんどすべての判断がなされるものだから、肝心のところに考えが到らないというか。

確かにお金はとても便利なんだけど、しかしそれはあくまで単なる道具の一つに

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「明るい方へ」

「明るい方へ」

とにかく楽しめ、と、思う。

「人は楽しむために生まれてきた。」
それでいいではないか、と。

とにかく明るいほうへ。
――この世にいる時間なんて限られているから、自分の全身全霊をかけて(笑)、明るいほうへ。

「そうでないもの」は、 自分の真後ろにあってもわかる事が多い。(ある意味「自分を脅かすもの」だから察知できるのだろう。)
例えば闇のように真っ暗いものは、別に見ようとしなくてもそこにある

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あと正解と不正解は同時に成立する場合もあるしね

あと正解と不正解は同時に成立する場合もあるしね

もう、 「世の中がどうかしている」 よりも、 「私のアタマがどうかしている」 のほうが、 簡単でいい、いっそのこと。
(もうどんどん「どうかしている自分」でいこうと思う。笑)

――そんなこの世の中の、そこにいるすべての人に好かれるのは、やはり無理だ。(少なくとも私には。)

すべての人に好かれようとすることは、結局、 四季の花を一つの季節に咲かせようとした花壇みたいに、 残りの三つの季節の花をす

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