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雑記・随筆も、書くのが楽しいですね。いや、雑記や随筆こそ、書くのが一番楽しいかもしれません。
そしてこの誰に宛てているわけでもない文章が、漂流して、まったく見知らぬ(かもしれない…
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#個人的な考え方
自分の存在しない世界と同じ
土井善晴先生のお言葉を、本日はいくつかメモ書き。
私も同感。
何だか、頭で考えてばかりだと、「理屈中心」の思考回路になるが、その「理屈」って、所詮狭い自分自身の頭の中の世界しか見ていないところもあるものね。
「常に変化している外界」とか、キャッチしにくいというか。
「計算では弾き出せないことで溢れている」のが、この現世という気もするし。
土井善晴先生のお言葉
その②
「きれいかどうか」を後回
「現世」は「旅先」みたいなものなのか
水木しげる先生曰く、
「この世は通過するだけのものだから、あまりきばる必要はない」
とのことです。
なるほど、そう考えたほうがむしろ(私にとっては)、この世が素敵なところに思えてくる不思議。
そうかそうか、「現世」は旅先みたいなものなのか。
ならば、「出来る限り楽しく」でいいような気がしてきた。
(水木先生の言葉に、勝手に解釈を付け足していく私。笑)
「自意識」より「無意識」整えたい
成程、鏡で自分の顔を見る時は何かしらの「自意識」が働いてしまうというのは、確かにその通りのようである。
で、鏡に自分の顔を映していない時間の方が、日常の大半、ていうか、「ほとんど」なので。
他人に見られるのも、主にそっちの時間の顔がメインになるわけだから、「自意識」働かせていなくてもいい顔でいられるように、 「無意識」から、つまり「心根」から、整えておきたいものだ、なんてことを思った。
「バカげたこと」には「バカみたいだ」といちいち思える自分でありたい
「バカげたこと」に 「バカみたいだな」と、心だけでも反応できなくなったら、 終わるな、自分。
……だから、いつまでも「底意地ワルく」いたいです。(笑)
たとえば。(あくまで一例に過ぎない。)
何だかあまりにも「お金至上主義」で、それ中心にほとんどすべての判断がなされるものだから、肝心のところに考えが到らないというか。
確かにお金はとても便利なんだけど、しかしそれはあくまで単なる道具の一つに