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「居心地」もまた変わっていく
「居心地のいい場所が失われてしまった」 と感じる時、実は 「自分の居心地(の感じ方)のほうが変わってしまった」 というケースも多い気がする。
――「心地」とかそういう感覚的なものだって、記憶には残る筈なのだ。
だからこそ、「失った」とか「失われた」とか捉えてしまうと、折角残されたその「感覚の記憶」をも、失ってしまいそうだ。
「感傷」まではいいけれど 、「悲嘆」に入って「絶望」とか「怒り」にまで転じてしまうと、 思い出が台無しになるよなー。
(……という、至極個人的感覚の話でした。)
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何事も、いっそ自分の思い通りになど「ならない」ほうがいいのかも?くらいに、最近の私は思っている。
(ま、それでもなったほうがいいけれどもね!!!笑)
(しかし、)
自分も何かに首根っこつかまれているような状態は好まないから、 ならば、自分自身もまた何か(有形無形問わず)の、その首根っこをつかんで離さないみたいな、そんな真似は、しないほうがいいのだろう、と感じている。
(そういうのを、殊更息苦しく感じるタチみたいです、私。笑)
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