- 運営しているクリエイター
2022年8月の記事一覧
忘れたいことから忘れていく人もそりゃいるよね
(タイトル――自分はたぶん、そう器用ではないだけでね。笑)
かなり前の記事なのだが、そのコメント欄で、よくコメントをくださるフォロワーの方に、ついつい「グチ」をこぼしてしまったことがある。
――本当にスミマセン、今回の記事の内容は、その「グチ」の話なのです。
(最近、「グチ」ネタが多いでしょうか?私。笑)
自分、大学生の頃(なので相当昔話ですが、笑)、「親の事情」で、結構目も回るような忙しさの
「罪悪感」を「肯定」する?!
「この世のほとんどの人は自分の味方である。」
と、思いこめるタイプの人っている。
そういう人のほうが、少なくとも人間関係は、ツキが回ってきやすいと思う。
――率直に言って、うらやましい。
自分はたぶん、その逆のタイプなのである。
歳を重ねる中でそんな「被害妄想的」感覚を、少しずつ、自分自身でなくすようにはしてきたけど、それでもまだ、自分の「根の部分」は変わらない気がする。
「被害妄想的」―
世界は人々が(無自覚にでも)望んだとおりに進んでいく
結局、人間社会のほとんどもまた、「弱肉強食」の論理で回っているように、私には見える。――そして、結果的に多くの人がそれを受け入れてきた、ということは、(無自覚にでも、)多くの人がそれをどこかで望んでいるということなのではないか、と、私には感じられてしまう。
「いや、そんなこと、私は望まない、望むはずがない」そう言う人もいるだろう。
――が、それは案外「強者」側の理論だったりする。
つまり、そん
自分の「機嫌」は自分で何とかするしかない
いや、タイトルの通りでいいのだと思う。
だってそもそもが、自分の機嫌、言うなれば「心の状態」を、誰かに「掴まれている」「握られている」なんて、一人の人間としてあんまり気持ちの良いことではなくないですか?――ってまあ、自分自身がそういう「他人に操られる」みたいなことが(良いこともそこに含まれたとしても)、元々あまり好きではない、ということもあるけれど。
「自分の機嫌を良く変えてくれるもの」――楽
「客観的視点」を失うと「不機嫌」になるのかも
「何故自分がこんな目にあわねばならないのだ?」
不機嫌の多くは、突き詰めるとこういう気持ちに行きつくのではないだろうか。
さて、ここで、「こんな目」が自分にとって、不当なものなのか否か、あるいは、仕方ないとも思えるものなのか、それともやはり絶対そうとは思えないものなのか、等々を、まず真っ先に考えてみるといいのかもしれない。
で、
考えた上での答えがいずれになったしても。
とりあえず、「不機