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忘れたいことから忘れていく人もそりゃいるよね

(タイトル――自分はたぶん、そう器用ではないだけでね。笑)

かなり前の記事なのだが、そのコメント欄で、よくコメントをくださるフォロワーの方に、ついつい「グチ」をこぼしてしまったことがある。
――本当にスミマセン、今回の記事の内容は、その「グチ」の話なのです。
(最近、「グチ」ネタが多いでしょうか?私。笑)

自分、大学生の頃(なので相当昔話ですが、笑)、「親の事情」で、結構目も回るような忙しさの生活をしていたんです。
ま、その生活自体はそもそも自分が選んで始めたことだから、別に親は「責められる」いわれはないんですけど……でも、世の平均的な家なら、「そんな忙しい学生生活」は、送らなくてよかっただろうなあ、という「思い」は正直、少し私の中にあるんですよね。現に兄の大学時代は「私のような学生生活」にはなっていないというのもある。これを兄弟間の「不公平」と考えればまあ「不公平」だよなあ、と。――そしてまたこれは、私の中での、ちょっとした、親に対して残っている「わだかまり」ともいえるものでもありまして。

で、問題はここからなのですが。

母も高齢のため、最近、結構忘れっぽくなっているわけです。
で、なんと、私の「その当時の生活」のことを、忘れていたんですよ。――私なりに相当必死でやりくりして切り抜けた、その頃の生活のことを、です。(前後のことは憶えているのに、そこだけ「都合よく」(と、自分は感じてしまったが、笑)抜けている、ということです。)
その話をした時、なんと、「そうだったっけ?」と、言ったんですよね、うちの母。
――「そうだったっけ?」って、えええええっ???(笑)
自分、思わずその時は、「え、ホントに忘れちゃったの?!」「そういうことも、忘れてしまうものなの?!」と、母との電話口で本人に直接言ってしまいました。――そうでなくても忘れっぽくなっている人に、責める(つもりはないのだがつい)ような大き目のリアクションは、よろしくないのは重々承知なのですが。

正直言うとですね、相当、ムッときてしまったんです。(母に対してのその後の会話内では、その感情があからさまに表出し続けないよう、必死で隠しましたけど。笑)

そしてこうも思いました。
「自分が(逆の立場で)親だったら、子供がした(あるいは「に、させた」という考え方もできるかもしれないから、)そんな「必死の生活」を、ボケても、死ぬ間際まで忘れないと思うけどなあ。」と。


「プッシュ」


で、ま、その母とのやりとりがあってから、ずいぶん日にちは過ぎまして。

今になって、ふと、思い返しているのが。

「これって、自分の感覚のほうが、重すぎ、カタすぎ、マジメすぎなのかも??」ということなんですよね。


その時の母のリアクションに、何故、自分は「ムッとした」のか。――あるいはここには、「ある種のショック」が含まれていたのかもしれない。――
私は多分、母も自分と似ていて「重すぎ、カタすぎ、マジメすぎ」なタイプかと思いこんでいたんですよね。

でも。
実際には、違ったみたい、と。(笑)

「自分が忘れたいことから忘れていく」
そんな、ある意味「自分本位」な人なんだなあ、と、思ったわけです。
(やはり、身内に対しては厳しくなるというか、その「人間性」みたいなものについて、つい私は「期待」をし過ぎてしまったんだと思います。笑)

でもですね。

「自分本位」で、いいんじゃない?

と、何だか今になって、急に思えてきたんです。
――いや、それくらいのほうが、むしろありがたいんではないの?と。

うちの母が、真面目過ぎて、自分で自分をそんな死ぬ間際まで責めて、その「罪悪感」が、抱えるストレスの一端になってしまっていたら、健康状態はその分悪くなることもあり得るわけですよね。――で、その悪くなった健康状態の面倒を見る責任は、私にもあるわけです。――つまり、「私が抱かせた罪悪感」は、私に別の「手間(って言い方もアレですけど)」という形で、返ってくることになったかもしれないわけです。

うむ。
――こう考えると。

「その人が、忘れたい事から、忘れていく」
とっても結構なことじゃない?と。
そもそも、人の記憶力について、とやかく思う自分がどうかしている。(それも、老いた親に対してまでね。つまり、「いつまで根に持っているんだ」ってことでもあるよね?これは。笑)

「自分だったら、子にかけた苦労は、死ぬまで忘れないよ」だなんて。
――重いよ、「美談」にはなってもね。
「美談」って、時に、重くなる場合もありますよね、背負い続けていくにはね。(笑)

なので、自分ももっと、人に物理的迷惑をかけない範囲では、「自分本位」「自分勝手」な「あ、カル~い(笑)」ものの考え方に、これからは少し、シフトしていこうかと思います。――だって、「マジメ」でストレスをためて、それで健康を害してしまったら、損するのは結局自分な上に、下手すると、他人様にまで余計な要らない迷惑をかけるようになるから。

「自分本位」で、その分、ストレスが少なくなるなら、そのほうがいいと思った。
――という、本日の、「自論・極論(我ながら今回は本当に思います。笑)」でした。

でも、最後にもう一つ、「ホンネ」みたいなものを、付け足すとするなら。

それでも自分は、「重すぎ、カタすぎ、マジメすぎ」に、ものごとを捉えてしまう人のほうが好きですね、やっぱりね。(笑)
――自分の「根」の部分が、どうしてもそうなものだから。
自分の「根」「素」の感覚に近い人に、好感とかシンパシーとかを、どうしても持ってしまうんですよね。

(でも、「重すぎ、カタすぎ、マジメすぎ」が、いいことだとは思ってませんよ、やはり!
「ストレス」と「心身の不健康」に繋がるものは、毒だとは思いますからね!)