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「罪悪感」を「肯定」する?!

「この世のほとんどの人は自分の味方である。」
と、思いこめるタイプの人っている。

そういう人のほうが、少なくとも人間関係は、ツキが回ってきやすいと思う。

――率直に言って、うらやましい。
自分はたぶん、その逆のタイプなのである。

歳を重ねる中でそんな「被害妄想的」感覚を、少しずつ、自分自身でなくすようにはしてきたけど、それでもまだ、自分の「根の部分」は変わらない気がする。


「被害妄想的」――あるいはこれは、「人に責められる」ということに「敏感過ぎる」ということかもしれない。

「怒らせる」「人の気に障る」「悪く思われる」というようなこれらのことを、「極度に」避けようとしている、そんな自分がいる気がする。

少しでもそんなことがあれば、他人も、そして自分自身も、自分に対して「全否定に転じる」というような、そんな感覚といえばいいのか。――自分でもこれは「極端過ぎる感覚」だという自覚は、いつからか感じていたので、直すようにはしてきたのだが、多分成長過程のどこかで身に着けてしまったこういうものは、そうそう簡単にそこから抜け出す、変える、というのは、(完全には)できないものである。

この記事を書いていて、ふと、思ったのだが。
(なので、今回のこれは、この記事の続きとも言えるかもしれない。)

「罪悪感」というものを、もう少し、「肯定」してみたらどうだろう?と。

「いつでも細やかに気を遣える人間でなくて、ゴメンね。」
とか。

「余計になるかもしれない配慮、やさしさ、思いやりは、持たないことにしているから、ゴメンね。」
とか。

こういった軽い「ゴメンね」感は、悪いものではなくて、「人に対して寛容であるため」には、むしろ大事なものではないだろうか?

そもそも、完璧でもないくせに、どこかで「完璧な人を演じよう」「完璧に見せかけよう」みたいなところが、自分にはあるのかもしれない。
で、そうやって必死に「完璧に」なんてやっていると、いつの間にか、他人に対する視線もまた、(外にはそれを出さないようにしても「内心で」、)厳しくなったりもするものだ。

「他人に対する視線が厳しい」
→「自分はこんなにきちんとやろうと心を砕いてまでいるのに!」
それを繰り返すと→「ストレスの蓄積」「不機嫌」
と、なりがちである。

あるいは、
「他人に対する視線が厳しい」
→「他人も自分に対して厳しい視線を送っているはずだ(と、思いこむ)」
または
→「他人からの視線も厳しいものがきて当然だ、それに備えなきゃ」
と、なりがちである。

さて、これはそもそも「自分に合っているだろうか?」ということである。

こういう「厳しい視線の送り合い」が、合っている人も中にはいるとは思うが。

しかし、自分は、こういうの「合っていない」のだと思う。
(だからしんどくなってくるんだよな?笑)

ならば、少しの「罪悪感」を、やはり、むしろ大事にすらして、「肯定」して。←ここが大事なのだ。
「罪悪」感だけど、「悪いもの」としない、ということだ。

「罪悪感」を、「潤滑油」にするといえばいいのか。

「あなたが完璧ではないように、私も完璧ではないんですよ~、テヘヘ。」
みたいに、
「あなたの不完全を許すから、私の不完全も許してね」にシフトするように心がけたほうが、いいような気もしてきたのである。(自分の場合はね。)
(※個人差がこれはあると思いますが。)

こういう感覚を心がけたほうが、「ギクシャク」ではなく、自分自身、そして他人に対しても、「なめらか~」になる気がする。

これまで、「罪悪感」に対してもまた、自分は過剰に反応していた気もする。

「罪悪感なんて、1ミリも感じたくない」と。
で、少しでも自分の中に発生し、それが認められると、もう、許せないというか、アレルギーみたいに「過剰反応」をしてしまうのだ。――少なくとも、これまではそういうところがあった気がする。
ちょっと罪悪感が発生しただけで、自分という人間自体をあたかも全否定し出すような勢い?というか。
「謙虚」は素晴らしいことだけど、――それを通り越して、「卑屈」にまでなって、「ゴメンナサイ!ゴメンナサイ!許してください!」みたいになる感じ?というか。

なんだろうなあ、こういう「ネガティブな空気」って、総じてあんまりいいことがない気がするんだよなあ。

つまるところ。
他人に対しての「不機嫌」等々も含め、ネガティブな空気がそこに発生するくらいなら、いっそ、その「過剰反応」ごと、即ち根っ子から、取り除くようにできないだろうか、と、そんなふうに思ったわけなのである。

ネガティブな空気は、他所、つまり他人からの、ネガティブな感情などを、呼び寄せてしまうものだと思うから。

「類は友を呼ぶ」ように、「類は似たような感情を呼ぶ」というところだろうか。

自分の不機嫌は、自分で発生させないようにしないと、誰もそんなの止めようがないのだから。
――その原因を、一つ一つ潰していく、これは壮大なプロジェクトなのである!

「ストップ!不機嫌」キャンペーンに、ますます勤しんでいきたい、今日このごろの自分なのである!!(笑)