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自分の「機嫌」は自分で何とかするしかない

いや、タイトルの通りでいいのだと思う。

だってそもそもが、自分の機嫌、言うなれば「心の状態」を、誰かに「掴まれている」「握られている」なんて、一人の人間としてあんまり気持ちの良いことではなくないですか?――ってまあ、自分自身がそういう「他人に操られる」みたいなことが(良いこともそこに含まれたとしても)、元々あまり好きではない、ということもあるけれど。

「自分の機嫌を良く変えてくれるもの」――楽しいこと、好きなもの、気持ちいい環境、等々、そういうものも確かに存在して、その力を借りることは大いにあるけれど。
でも「それを借りに行く」もまた、やはり自分自身だ。
誰かが「はいどうぞ!」と用意してくれるものでもないし、「自分から求めに行くその行為」から機嫌の回復は始まっている気もするし。

イライラしない。
ギスギスしない。
おおらかに。
明るく、楽しく、爽やかに!

っていう、こういうことは、やはり自分で何とかするしかない。
どう考えても、「人にどうにかしてもらう」ものではないのだ。

つまり、(前記事からの流れですが、)「機嫌の良さ」が、「福」を連れてきてくれるのだと仮定するならば。
「神頼み」などをする前に「自分頼み」ということである。

自分の「福」は、まず自分でなんとかしようと試みる。
それには、自分の「機嫌」を、自分でなんとか良い方向へ持っていく、ということが肝要のようである。

「機嫌の悪さ」からは、周囲の人――少なくともその「心」は、逃げていってしまうものだと思う。
「現世の人の心」すら逃げ出していく場所に、はたして「福」が、寄ってきてくれるかどうか。(「それでも私の場合は寄ってくる」と思える人は相当「ツワモノ」だから、まあ、それはそれでいいと思いますけど。――かえってうらやましいです。笑)

「上機嫌は、作れる!」――何かこれに似たようなCMのキャッチコピーがあった気がするが(笑)、私も、この精神でこれからはいこうと思う。

繰り返します。――さあ、みなさん、ご一緒に。

「上機嫌は、つくれるっっ!!!」
(しつこい。笑)