見出し画像

「ムッとする」「イライラする」という選択肢はナシにする

昨日の続き。

まとめるなら、
「割り切って受け入れる」か、
そうでなければ
「我慢せず行動に移すなり
溜め込まず言葉で伝えるなりする」
のどちらかの
「二者択一」にしようと思う。

つまりそれは、
上記の二択から
「さっさと」(これ大事)
選ぶことにより、
「ムッとする」とか
「イライラする」とか
そういう
「我慢して怒り」の選択肢を
今後一切
存在させないようにしよう、
ということである。

何故なら。

【理由1】
ムダだから。
(笑)

「ムッ」「イライラ」「カッカ」
いずれをするのも、
ただただ、
集中力を失うわ、
パフォーマンス落ちるわ、
そして、
時間の無駄になるわで、
どう考えても
いいことが一つもない。(笑)

【理由2】
健康を損なうから。

イライラ、ムカムカとするたび、
日頃どんなに他の点で
意識して積み重ねていても、
その健康は切り崩されていく。
そして、少しずつでも、
確実にそのたび
「健康寿命」も削られていると思う。
(これ、具体的に
目に見えるといいのだが、
数値で測定できるものではないから
怖いですよね。
今すぐにはわからないし。
――って、そりゃそうだ、
「寿命」の話だもの。笑)


【理由3】
他人と自分とは、
常識、価値観、感覚、
ものの考え方、捉え方、
気になるポイント、
気が回る範囲、等々、
「全て」が違うから。

私の「当たり前」は、
別の人にとっても
「当たり前」とは限らないのだ。

「いくらなんでも
そんなの当たり前でしょう?」は、
「通じない」と思うことにする。

ならばやはり、
自分が正しいと思うことなら、
一つ一つ、ハッキリ、
「口に出して伝える」を
しないといけないのだろう。

「それくらい察してくれよ」とか
「常識で考えれば
それくらいはわかるだろ?」とか
そういうの、
今後は一切ナシでいく。

で、「伝える作業」について
面倒な気持ちのほうが大きくなるなら、
「仕方ないこと」と気持ちを切り替え、
「割り切る」でいく。


『笑う門には福来る』
という言葉は、
実に言い得ていると
私は常々感じているのだが、
これってやはり、
「顔で笑って心で怒って」
ではダメなのである。
(そりゃそうですよね。笑)

しかし、
「怒り案件」は、
否が応でも必然的に
そして
どこにだって存在する。
――「イラッ」「ムカッ」の
その元となり得るもの自体を
この世からなくすことは
まず「不可能」「無理筋」なのだ。

この世の半分は
「理不尽」でできている。(笑)

で、あるとするならば。

これはもう、
上記のような考え方で過ごすのが
吉なのだと思う。

都合のいい時だけ
神とか引っ張り出すのは
私の悪いクセだが。(笑)

「これはテストなのだ。
『神みたいなもの』に
きっと試されているのだ。
――それでもおまえは
上機嫌を保てる人間か?と。」

と、そう思うことにしようと思う。


で、
そのテストに合格したらきっと、
何かしらの「福が来る」、
――と、
思いこんでみようと思う。(笑)