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【神戸新開地〜福原】シンカイチの人と思い出

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『定年後』(中公新書/2017)で25万部超えの大ベストセラーをかっとばし、『定年準備』『定年後のお金』『転身力』とヒット連打で、最新刊『75歳からの生き方ノート』(小学館)を出… もっと読む
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第17回 神戸・新開地「この街から離れる」

第17回 神戸・新開地「この街から離れる」

さまざまな人を見て育つ

私が育った新開地・福原界隈は、当時は神戸でも有数の映画や興行を中心とした娯楽の街であり、かつての遊郭街を背景にした歓楽地でもあった。

繁華街や歓楽街は普通の人にとっては遊びに行くところ、楽しみを求めて訪れる場所だろうが、私にはそこがホームグランドだった。

歓楽街に住む人々にとっても日常生活があり、商店主、職人、飲食業・サービス業に従事する人たちや、街のアウトローも隣り

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第16回 神戸・新開地「喜楽館の漫談、R-1へエントリー」(下)

第16回 神戸・新開地「喜楽館の漫談、R-1へエントリー」(下)

喜楽館での初舞台

1月5日(金)18時から、上方落語の定席である神戸・新開地の喜楽館を借り切っての催しが始まった。
演芸関係の出し物が続いて、プロのシンガーが登場。その後に、数人が素人のど自慢に挑戦して優勝者を決めるというプログラムだった。

幕が開いて、主催者のあいさつの後、社会人の落語、漫才に続いて、私の登場となった。舞台袖で待つ時も、慣れない漫談ということもあって少しプレッシャーを感じてい

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第15回 神戸・新開地「喜楽館の漫談とR-1へエントリー」(上)

第15回 神戸・新開地「喜楽館の漫談とR-1へエントリー」(上)

喜楽館の舞台に立ちたい

昨年の11月30日に、帰阪のために東京駅から新幹線に乗車して、スマホで音楽を聴いていると、学生時代の友人N君からSNSで「Y君が11月2日に亡くなった」と連絡が入った。
N君に喪中はがきが届いたそうだ。
「体調を崩していたのかな。ショック」
「4年前に会った時には元気だったのに」
「あんないい奴が早くに亡くなるなんて」
「彼の分も楽しく生きよう」
「偲ぶ会をやろう」
など

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第14回 神戸・新開地「楠中学の校区と大倉山公園」

第14回 神戸・新開地「楠中学の校区と大倉山公園」

歴史ある広大な大倉山公園

大倉山公園(中央区楠町4丁目)は、明治を代表する実業家の大倉喜八郎(1837~1928)が神戸市に寄贈した土地を整備したものだ。

主に湊川神社の北側に展開する面積は約7.9ha、1911年(明治44年)10月に開設された。大倉喜八郎は明治維新の動乱の中で御用商人として活躍し、一代で大倉財閥を築いた人物である。

この界隈は、私が通った楠中学の校区である。野球部に入部し

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第13回 神戸・新開地「湊川神社の啖呵売」

第13回 神戸・新開地「湊川神社の啖呵売」

湊川神社正門横の大楠公墓所

神戸市中央区にある湊川神社は、南北朝時代の名将、楠木正成を祀っている名社で、地元の人たちは「楠公《なんこう》さん」と呼んできた。
1336年に、正成はこの地で足利軍との湊川の戦いで自刃した。

神社は私が通っていた橘小学校とは道路を挟んで隣接していた。とくに思い入れのあるのは、神社正門の横にある大楠公墓所。正月3が日でも訪れる人はそれほど多くない。

明治5年(187

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第12回 神戸・新開地「初の神戸新開地ツアー」

第12回 神戸・新開地「初の神戸新開地ツアー」

喜楽館の体験バックツアー企画

毎月一回、京都を散策する会に参加しているが、「地球沸騰」とも言われた今年のあまりの暑さに、8月の例会は京都を歩き回るのではなく、上方落語の定席・喜楽館での落語鑑賞を中心とした神戸・新開地ツアーを実施することになった。
当然ながら地元出身の私が世話役を務めた。

8月22日(火)11時半、集まったのは60代、70代の男女メンバー10人。神戸市兵庫区の新開地本通りにある

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第11回 神戸・新開地「『御堂筋いくよ・くるよ』作戦」

第11回 神戸・新開地「『御堂筋いくよ・くるよ』作戦」

不思議な偶然のチカラ

前回に紹介した2本の連載を続けながら会社員から転身した人たちをテーマに書籍化を考えたが、編集者と出会える機会がなかった。
一番フィットするのは、日本経済新聞の読者層だと想定していた。日々ビジネス中心の仕事をしているものの、実際は自らの生活を充実させたい会社員に私の発信はより届くと考えたからだ。

ある日、紀伊国屋書店梅田本店で書籍を購入した際に、たまたまカウンターにあった「

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第10回 神戸・新開地「著述家『楠木新の誕生」となった2本の連載」

第10回 神戸・新開地「著述家『楠木新の誕生」となった2本の連載」

「こころの定年」の連載に没頭

2007年3月に朝日新聞で「こころの定年」の連載が始まり、土曜日ごとに自ら書いた文章を紙面で読むことはこの上ない喜びだった。同時に毎週一本ずつ貯めた原稿が減っていくのは、プレッシャーでもあった。

そのため原稿案をできるだけストックすることを心掛けた。余裕をもって執筆したかったことと、会社の仕事とバッティングするのを避けたかったのである。
また内心では、連載を長く続

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第9回 神戸・新開地「『楠木新』が生まれるまで③」

第9回 神戸・新開地「『楠木新』が生まれるまで③」

話す仕事も、放送作家への道も、地元のことを書ける場もすべてない

50歳を区切りに「うつ状態」からは回復して体調は戻った。
仕事も楽になって時間もできたので、自分の好きなことに取り組んでいこうと考え始めた。
ところが実際にすぐにできることはなく、逆に何をしてよいのかわからない状態に陥った。
いかに自分が会社にぶら下がっていたのかを思い知らされたのである。

最初に頭に浮かんだのは、「サラリーマン向

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第8回 神戸・新開地「『楠木新』が生まれるまで②」

第8回 神戸・新開地「『楠木新』が生まれるまで②」

行き詰まりの中で休職

2000年のこと、45歳で大手保険会社の支社長だった私は、保険の内容確認や調査を行う関連会社の人事担当部長に出向になった 。

この会社の役員は主に本社で部長クラスだった人たちが常務や専務で転籍していた。みなさん気のいい人たちで、職場の雰囲気は悪くなかったが、自分の将来を考えた時には納得がいかなかった。
毎日毎日、受け身の仕事をして、新しいことにチャンレンジする雰囲気も感じ

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第7回 神戸・新開地「『楠木新』が生まれるまで①」

第7回 神戸・新開地「『楠木新』が生まれるまで①」

50年前は憧れだけで終わっていた

私は2022年から自宅近くの関西学院大学に週に一度聴講生として通っている。
先日、授業を終えて教室から出ると、1回生の男子学生から「今の授業は、何のために受講しているのですか?」と声をかけられた。「カルチャー論に興味があるからです」と答えた。

その学生は面白いと思った人がいると、声をかけて話を聞いてみるそうだ。
たとえば、学内で個性的な服装をしている人がいれば

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第6回 神戸・新開地「新開地の芸人たち②」

第6回 神戸・新開地「新開地の芸人たち②」

なぜ、明石家さんまは、松之助師匠を選んだのか?

私と同じ神戸新開地界隈で育った笑福亭松之助師匠(以降、敬称略)の自伝や落語のDVD、出演した映画などを参照する中で、「なぜ明石家さんまは松之助を師匠に選んだのか?」という疑問にぶつかった。

お笑いタレント、テレビ司会者として他の追随を許さない立場を確立した明石家さんまは、必ずしも多くの弟子をとらず、当時は華やかな人気を得ていなかった松之助をなぜ師

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第5回 神戸・新開地「新開地の芸人たち①」

第5回 神戸・新開地「新開地の芸人たち①」

笑福亭松之助と横山ノック

明治以来の神戸港開港の経緯から進取の気風が生まれ、芸人やプロ野球選手、著名な日本画家、ミステリー作家、映画評論家などの面々が神戸・新開地近くのエリアにひしめいていたことを第4回連載で述べた。

また大正期に三井物産を遥かに上回る売り上げを挙げる商社に発展した鈴木商店の発祥地は今の神戸駅近くの弁天浜であり、戦後に流通革命をもたらしたダイエー創業者の中内功は神戸新開地の薬局

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第4回 神戸・新開地「神戸の成り立ちと進取の気風」

第4回 神戸・新開地「神戸の成り立ちと進取の気風」

「新開地で産声をあげる」

「新開地で産声をあげる」と冒頭の小見出しにある本の著者は、上方落語界の重鎮だった笑福亭松之助師匠(1925年~2019年)。
著書(*1)の中で自身の人生のこと、芸のこと、日々のことを書いている。

明石家さんまの師匠としても知られている松之助氏は、兵庫県神戸市湊東区(そうとうく・のちの兵庫区)で、土木建築関係の職人だった父親と、店を持てない髪結いだった母親との一人息子

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