見出し画像

第13回 神戸・新開地「湊川神社の啖呵売」


湊川神社正門横の大楠公墓所

神戸市中央区にある湊川神社は、南北朝時代の名将、楠木正成を祀っている名社で、地元の人たちは「楠公《なんこう》さん」と呼んできた。
1336年に、正成はこの地で足利軍との湊川の戦いで自刃した。

神社は私が通っていた橘小学校とは道路を挟んで隣接していた。とくに思い入れのあるのは、神社正門の横にある大楠公墓所。正月3が日でも訪れる人はそれほど多くない。

大楠公墓所にある光圀公銅像

明治5年(1872) に神社が創建される前から楠木正成の墓碑があった場所で、徳川光圀が1692年に部下を遣わして建立した。
小学生の頃に、なぜテレビで観る黄門さんの銅像があるのか疑問に思っていた。

幕末には吉田松陰や坂本龍馬、高杉晋作、西郷隆盛など多くの勤王の志士がこの大楠公墓所を訪れた。現在の元町商店街から続く西国街道のすぐ近くだったので、京や江戸との往復の際に立ち寄ったのだろう。
小学生の時はこの墓所を起点にして友達と一緒に遊んだり、一人だけでぼ~っとしたりした。私の秘密基地だった。

境内で乳母車に乗って鳩を追っている私の写真がある。
そういえば、私が小さい頃は境内に多くの鳩がいたが今はいなくなっている。
現在は楠公会館や神能殿などの建物ができているが、当時はまだ空き地も広く、防空壕の跡が残っていた。

子供の頃の湊川神社での写真、1歳2か月の時

余談ではあるが、この頃の奇妙な記憶が私にはある。
大楠公墓所の近くにあった公衆電話ボックスに入って、受話器を勢いよくガチャンと置くと返却口から10円玉が落ちてくることがあった。当時の10円は価値があったので、湊川神社から神戸駅周辺の電話ボックスを巡ったことを覚えている。

公衆電話は、一度に10円硬貨6枚の投入が可能だったようだが、電話の中に引っかかっていた10円玉が落ちてきたのだろう。ただこの話題を語る人と今まで出会ったことはないのが不思議だ。

話芸でモノを売る人たち

当時の境内では、『男はつらいよ』の寅さんを怖くした雰囲気の中年男性が、まず地面に石で線を引く。
「さあ~さあ~、お立ち合い!御用とお急ぎでなかったら、話を聞いておいで」などとダミ声で口上をまくしたてる。彼の講釈が面白いので人が集まってくる。

その時は怪しげな塗り薬を売っていた。
たしか蛇に腕を噛ませてその軟膏を塗ると治るので、何にでも効くという触れ込みだった。

「そこにいる、ぼくちゃん前に出ておいで」と大勢の客の中から一人の男の子を線の中に招き入れた。
同級生のM君だった。勢いのある口上とともに彼のこめかみにその軟膏を塗ると、ホクロが見事に取れた。それを見た何人かの見物客が軟膏を買っていた。

小学生の私でも、M君は「サクラ」ではないかと疑い、「これだけは、先生にも友達にも話してはいけない」と自分に言い聞かせたことを覚えている。

この湊川神社から神戸駅周辺の相生町あたりが「(湊川)新開地が現在のやうになる迄は、驛から楠公さんのトコがイッチ賑かダシタンヤ」と『シブキー神戸新名所の巻』という薄手の冊子に書かれている(川西健一 昭和2年・1927)。

『シブキ-神戸新名所の巻』の記事 

この『シブキ』は、奥付では「非売品で八十部限定となっている」。
検索では、神戸市立図書館に3冊、神戸大学付属図書館に1冊あるほかは主だった図書館にも所蔵されていなくて研究者でも入手は難しい。
昭和初期の華やかなりし神戸の風景を知るためには格好のテキストになるというー『神戸の花街・盛り場考』(加藤 政洋 のじぎく文庫/2009))

相生町には相生座と朝日座、湊川神社前にも大黒座という劇場があって、神社の境内にも夜店が出て、勧商場(一つの建物の中に種々の商品を陳列し、即売した所)が設けられるなどしたという。

かつての神社の境内は今よりもはるかに賑わっていた。
私が小学生の頃は、新開地周辺では「話芸でモノを売る」人たちがいた。
記憶はやや不鮮明であるが、神戸松竹座の角の所で夜になると布地を売る人や、湊川公園において口上でモノを売る人たちがいた。そしてなぜか、私は彼らの口上というか話術に引き込まれたのである。

かなり以前からこのあたりでは香具師の口上は、盛んで一般的なものであ
った。林喜芳の『わいらの新開地』(冬鵲房 、1981)では、「少年を過ぎた頃には『もう一ペン香具師を・・・。』と見残した香具師の口上に聞き入ったり、十銭均一の古本を根気よく探しまわった。この、人を引き止めるコツがさかり場にはあって、常に雑踏混雑、日頃の不愉快な思いもいつのまにか忘れさせた」(P142)とある。

西条凡児の漫談

新開地は映画の街と呼ばれることもあるが、その前は、芝居小屋や劇場が並び栄えた場所なので、興行を中心とした娯楽の街でもあったのである。

私が小学生の頃に通っていた神戸松竹座で、漫才や落語よりも西条凡児(1914―1993)の漫談に魅了されたことにもつながっている気がするのである。

西条凡児は、すでに知っている人は少なくなっているが、上岡龍太郎(1942―2023)は「凡児先生というのはですね、まさしく大阪の一人しゃべりの基盤を作った人です」と高く評価している(戸田学『話芸の達人 ―西条凡児・浜村淳・上岡龍太郎』青土社2018/8/23)。

小学生の私でも理解できる身近な話からいろいろな話題に展開する漫談に接して世の中には本当にすごい人がいるのだと驚いたのである。

西条凡児は小学生の頃に神戸に来て、兵庫区の湊山小学校に通っていた。また漫談に取り組む前の漫才時代には、新開地の千代之座で芸を磨いた。だからこそ彼の言葉やしゃべり口がより馴染みが強くなったのかもしれない。

残念ながら、大阪府立上方演芸資料館(ワッハ上方)にも、西条凡児の漫談の音源は残っていない。

同じ神戸松竹座に出演していた人形のハリス坊やを操る腹話術の川上のぼるや、初代森乃福郎も漫談に近かった。彼らには本当に楽しませてもらった。

『凡児無法録―「こんな話がおまんねや」漫談家・西条凡児とその時代』の書影。西条凡児のすべてが書かれたといっても良い書籍。「序」には、上岡龍太郎、桂米朝、森繁久彌が言葉を寄せている

生命保険会社の新入社員当時に上岡龍太郎、九十九一らの漫談に親しんだことや、大空テントさんの姿に羨ましさを覚えたことは、この第7回のブログにも書いた。
一人芸に小さい頃から興味を持っていたのだ。

千日前のマルエイでのエルジンの腕時計

「ジャパネットたかた」の高田社長がテレビに頻繁に登場した頃に、このような湊川神社や新開地の思い出が甦ってきたが、同時に大阪ミナミの千日前にあったマルエイというたたき売りの店も脳裏に浮かんだ。

マルエイは今のビッグカメラ、昔のプランタンなんばから道を挟んで南隣にあった。いまは「ザ・めしや」になっている。

ややコワモテのガタイのよい腹巻をしたオジサンが、店先に並んでいる商品をしゃがれた声の口上ひとつで売りさばく。
寅さんが、ごく普通の品物を、巧みな話術で客を楽しませ、いい気分にさせて売りさばく商売手法=啖呵売たんかばいのようなものである。

店頭の客が帰りそうになると、「ちょっと待て! 今ここにスリがおる。今動いた奴は犯人だ」と叫んで帰らせないようにするなど、客とやり取りをしながら話が進んでいく。
20代後半に転勤で名古屋から大阪勤務になってからは、難波あたりに出た時はマルエイに行って、1時間でも2時間でも彼の話を聞いていた。むしろこの店に行くために自宅の西田辺から出かけることもあった。

この店のメインの販売は腕時計だった。
「スイスの名門アロマの時計やぞ。何っ、ガスコンロ? それはパロマや!」
「お前ら分かってるか? この時計、スイスで作成されたもんや、この店の奥で作ってるんとちゃうぞ。裏は餃子の珉珉や!」(珉珉は今も現存)
などとと言いながら人を引き付ける。

10万円くらいの値札のついた腕時計の入った箱をいくつか店頭に並べて、7万、5万、3万、2万とどんどん安くしていく。
途中で「今日の客は貧乏人ばっかりや」「お前らエエ時計を腕にはめたことがあるんか?」と語りかける。

客がかなり安くなったと思うタイミングで、「ちょっと待て!」と言って、4000円とかの値札のついた財布とか双眼鏡をつけて「エエィ、すべてまとめて1万3000円!」と叫ぶ。
そこで客は釣られて買うという塩梅である。

ある日、アメリカの時計メーカー「エルジン」の腕時計を目の前において、スイスの時計メーカー「ロンジン」の話を織り交ぜる。
そして「ロンジン、エルジン、エルジン、ロンジン、エルジン~」と何度も語り、「これくらい言うたら、もうどっちがどっちか分からへんやろ」と言いながらエルジンの時計を勧める。

私はこの口上を聞いて手を挙げて購入を決めた。
エルジンの時計に財布が付いていたが、子どもが小さい頃だったので。財布を地球儀に代えてもらって1万3000円で購入した。

このような啖呵売の伝統は今も残っている。24年4月に、神戸新開地の上方落語の定席、喜楽館の中入りでのことだった。落語家のグッズを販売するのに、桂ぽんぽ娘さんは、会場から購入の手が挙がると、「いいんですか⁉ 原価やすいと思いますよ⁉」などと笑いをとると、また次の手が挙がるという連鎖が続いていった。

「誰から買うか」という基準があってもいい

購入したシルバー色のエルジンの腕時計は長持ちした。
スタイルも気に入っていて結局20年以上は私に付き合ってくれた。

その後も何度かマルエイに立ち寄ったが、しばらくすると啖呵売のオジサンはいなくなった。
店にいた人に聞くと病気で亡くなったという。
近くのなんば花月に出演してもやっていけるほどの力量は充分あったように思えた。
店はそれからまもなくして閉じられた。

私は50代に高級時計メーカーの大阪店から会社員向けのセミナー講師を依頼されたことがある。
その店の営業担当の女性マネジャーは、同じ会社の同年齢の同じ課長職でも、数十万円の時計を購入する人もいれば、一万円以下の時計で満足している人もいる。自分たち営業のポイントは、前者の人を探し出すことであると強調していた。

その顧客の選別のために開かれたセミナーだった。
私はそのエルジンの時計を身に着けて講演をした。
彼女は「楠木さんは物欲のない方ですね」と私が店が求める顧客ではないことをすぐに見破っていた。

余談であるが、セミナーが終了した閉店間際に、時計販売店の社員が二人で同時に指差し確認しながら時計を片付けていたのが印象的だった。紙と人が中心の生保会社から見ると、高級時計の在庫管理の厳しさを感じたのである。

物を買うときに、値段が高いか安いか、機能的かどうか、デザインがどうかという基準で購入するのが一般かも知れない。

しかし私は「誰から買うか」も一つの大切な要素ではないかと考えている。

エルジンの腕時計はあの素晴らしい口上というか話術を思い出させてくれて、リスペクトするオジサンの形見でもあった。腕にはめていることに誇りすら持っていたのである。

エルジンの次の腕時計も浅草に長期滞在して遊んでいた定年後に、商店街の楽しいおばさんに勧められて買った。
そのシチズンの腕時計には、やはり満足している。

子どもの頃の湊川神社や神戸新開地での体験が、「誰から買うか」の気持ちを強化しているのかもしれない。
その理由を考えてみると、他人や組織に頼らずに自分の腕一本で顧客と対峙している姿がかっこいいと思ったからだ。

湊川神社でホクロのとれる軟膏を売っていた中年男性や、マルエイのおじさんも、神戸松竹座の漫談家にもそれは共通していた。
漫談は、歌舞伎や落語や浪曲、講談といった伝統芸能に比べて、師匠や過去の出し物に頼ることはできない。

安定した大企業で働いていた当時の私は、彼らの独立した姿勢に対して何か憧れと引け目のようなものをずっと抱えていた。このような感情を持った会社の同期入社のメンバーはほとんどいなかった。
神戸・新開地界隈で生まれ、育ったことによるものだろう。

父とのキャッチボール

湊川神社の話に戻ると、私の小学生の頃は境内で父親とよくキャッチボールをした。
自分の運動不足の解消のために私を誘ったのだろう。

父親が70代後半に亡くなるまで、私は彼とほとんど心が通じ合うことはなかった。
自分勝手で、家族や親族にも迷惑をかけ続ける存在だった。

ただ不思議なことに、境内で回転しながら向かってくる軟式ボールや、それを受けたミットの音は今でも覚えている。唯一、親子の感情が通じる場だったのかもしれない。
キャッチボールは、互いに投げ始めているうちに相手との呼吸が合ってきて親密さが増してくる。壁に向かってボールを投げていることとは全く違った心持ちになる。

米映画の『フィールド・オブ・ドリームス』(ケビン・コスナー主演 1989公開)でも、邦画の『異人たちとの夏』(大林宜彦監督 1988公開)でも、父親と子どものキャッチボールするシーンが描かれている。その場面を観るたびに、湊川神社でのこの思い出がいつも蘇る。

『フィールド・オブ・ドリームス』では、主人公が「それを作れば彼が来る」という”声”を聞いた農夫レイ・キンセラ(ケビン・コスナー)が、その声に従い、自身のトウモロコシ畑を野球場にして彼の夢を貫く物語である。
ラストシーンでは、心が通わなかった元プロ野球選手である主人公の父親が現れて、グラウンドでキャッチボールを楽しむ。

映画『異人たちとの夏』は、最近訃報が伝えられた劇作家の山田太一さんの作品を映画化したものである。
中年のシナリオライター(風間杜夫)は妻子と別れ、マンションに一人で暮らしているが、ある日、彼が12歳のときに交通事故死した両親に浅草で出会う。彼は両親に甘え、父親とキャッチボールをする場面がある。どちらの映画もファンタジーの要素が入っている。

私も来年で70歳になる。父親に対するわだかまりはいまだに残っているが、親族から顔が父親によく似てきたと言われる。
また現在まで健康で過ごせているのも両親から受け継いだ身体のおかげだと思うと、最近は、父親に対する感情をひと言で説明するのが難しい気分になっている。

湊川神社の参道にて


私は著述業を目指したときの筆名として、「楠公さん」と呼ばれる湊川神社から楠木の名を選んだ。
通った中学校の名前も「楠」である。

中高年以降になると、昔の懐かしい場所がより大切に思えてくるから不思議だ。
湊川神社は子どもの頃から最近まで私の中の重要な場所であり続けている。

                                  




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?