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第10回 神戸・新開地「著述家『楠木新の誕生」となった2本の連載」

「こころの定年」の連載に没頭

2007年3月に朝日新聞で「こころの定年」の連載が始まり、土曜日ごとに自ら書いた文章を紙面で読むことはこの上ない喜びだった。同時に毎週一本ずつ貯めた原稿が減っていくのは、プレッシャーでもあった。

そのため原稿案をできるだけストックすることを心掛けた。余裕をもって執筆したかったことと、会社の仕事とバッティングするのを避けたかったのである。
また内心では、連載を長く続けることにつながるだろうという読みもあった。

書き溜めた原稿が一番積み上がったときは2か月分近くになって、担当の記者も呆れていた。しかしこのストックが後に良い結果をもたらした。

この年の夏季休暇は、東京でのインタビュー三昧になった。
月曜日から金曜日までの5日間、東京、神奈川、千葉にわたって12人に話を聞く計画を立てた。取材する人に対する事前の調査や質問メモの作成、アポの時間や話を聞く場所の選定、交通機関の乗り継ぎや所要時間の確認、宿泊する場所も自ら手配した。そういう準備も煩わしさは全く感じず、むしろ楽しい気分で取り組んでいた。

また新聞に登場した転身者が読者から反応をもらったという連絡があると、自分のことのように嬉しくなった。

「父と娘の就活日誌」の連載も始まる

「こころの定年」の取材のために東京を訪れた9月に、ダイヤモンド社のM氏を夕刻訪ねた。『ビジネスマンうつからの脱出」(創元社)を書いたときに、取材に来てくれてからの付き合いだった。

「まもなく始まる大学3回生の娘の就活に何らかの形で絡んでみたい」という話をしたら、M氏は即座に娘の就職活動をルポしてみませんかと薦めてくれた。 
私は人事部員として採用責任者を務めた経験があったので、アドバンテージがあると直感した。大学内には、企業の採用者の視点がないことが課題だと思っていたからだ。

まもなくしてM氏は、web雑誌「ダイヤモンド・オンライン」の編集長に連載の了解を取り付けてくれた。
web雑誌の方が字数などの制約も少ないので自由に書けるだろうという配慮もあった。

「こころの定年」の連載も重なるので、当初は2週間に1本のペースを考えていた。ところが、M氏は「動きのあるテーマだし、書籍化を考えれば毎週の方がいい」と勧めながら、彼自身が原稿をチェックしてフォローすると言ってくれた。

幸いにも「こころの定年」の原稿の書き溜めが相当程度あったので、乗り切れる見通しがついた。毎週の締め切りに追われていては引き受けることはできなかった。

「父と娘の就活日誌」というタイトルで、2007年10月から2008年の5月上旬まで毎週連載を続けた(https://diamond.jp/category/s-jobhunt)。 
父親が娘の就活を取材するという例のない内容だったからか、読者からのアクセスは好調だったようだ。知人の新聞記者もリアルな連載でとても面白いと励ましてくれた。

結果として娘や家族とのコミュニケーションも充実した。
私たちが育った貧しさの残る時代とは異なり、親は働いて稼ぐだけでは子どもに存在感を示すことはできない。自分たちの父親がやっていたことをそのまま真似ても上手くいかないのである。

同時に娘たちの世代は、豊かさの中で目標が見えにくくなっているように思えた。そのため「自分の好きなことを探さなければならない」と考えて、息苦しさを抱えていることが垣間見えた。貧しさを解消するために突き進んでいた私たち世代のほうが気楽であったと思い直したのである。

この2本の連載の結果、下記の書籍につながった。
『就職に勝つ! わが子を失敗させない「会社選び」』(ダイヤモンド社)2009/3/13

『会社が嫌いになったら読む本』(日本経済新聞出版)2009/8/1 

『就活の勘違い 採用責任者の本音を明かす』 (朝日新書) 2010/9/10


私の会社選択は正しかった?

娘の就活に伴走していると自分のことも思い出す。
36年間の会社生活での出来事はほとんど覚えていないが、45年前の自分の就活のことは比較的記憶に残っている。

当時は、就職協定があって4回生の10月1日から一斉に会社訪問が始まった。前日に先輩から電話があって、淀屋橋の交差点にある某都市銀行の大阪支店を訪問した。

大阪・北船場の淀屋橋〜北浜周辺は大手金融関係の会社が密集している

大学の先輩二人が丁寧に応対をしてくれたが、何か私はとまどった。子ども時代から慣れ親しんだ神戸新開地界隈のオジサンたちとのギャップを感じたのである。また整然と立ち並ぶメインストリートのビル群に圧倒されたこともあったかもしれない。

「何か違うなぁ。オモロそうじゃないなぁ」とつぶやきながら、淀屋橋駅の改札口近くの公衆電話から実家に電話した。
「就職活動は辞めて留年するわ」
その時の母親の反応は覚えていないが、就活前は「とにかく仕事がラクで給料高いとこに行かなあかんでぇ」と彼女は私に繰り返していた。

翌年の5回生の10月1日には、「そろそろ働こう」と本気で活動した。短期決戦なので淀屋橋にある金融関係の5社程度しか廻れなかったが、4日目にS銀行の内々定が出た。

2回目の訪問から小さな会議室に一人通されて、感じの良い先輩行員が次々に部屋を訪れる。
「一緒に働こうぜ」「期待しているよ」「君は評価されている」と言われて(ホンマかいな)、「来年4月からお世話になります」と採用責任者と握手をした。

「これで就活は終わった」と帰宅して床に付いたが、夜中に目が覚めた。「あんな格好いい先輩ばかりがいるのはおかしい」(おそらく新開地のオジサンたちと比較していたのだろう)と考えると眠れなくなった。

一人の先輩の「ウチの銀行は、常に君の能力の2割増しの仕事を与える」との発言が気になりだした。「とにかく仕事が楽で、給料が高い会社」という条件に反していたからだ。

翌朝は、S銀行に断りに出向いた。
就活は一旦仕切り直しになったが、S銀行の近くにあったN生命保険会社の面接を受けて何とか就活は終了した。

重厚な日本生命本店のビルディング並ぶ淀屋橋南

実は、4年ほど前に、拙著『定年後』(中公新書)を読んでもらった縁で、定年退職した人たちの会食の場に招待されたことがある。たまたま私の横に座った男性は、「本の執筆は会社に了解を取っていたのですか?」と聞いてきた。「いえ、会社には何も言わずに書いていました」と答えると少し驚いていた。

彼と話していると、S銀行の定年退職者だと分かった。しかも私がスムースに入社していたら同期になっていた年次だった。
「S銀行に入行していたら、働きながら執筆はできていたでしょうか?」と聞いてみると、彼は「絶対に銀行は許していないでしょう」と答えた。
私の当時の会社選択は、誤っていなかったのである。

だれかれとなく話を聴けるアドバンテージ

朝日新聞の「こころの定年」の連載を始める前に、プロの編集者にアドバイスを求めたことがある。
「お金になるかどうか分からないのに、あなたのように100人以上の転身者から話を聞いている人はいない。新聞記者も今はそういう仕事に取り組む余裕はないでしょう」
その編集者の発言を聞いて少し自信を得た。

今回紹介した2本の連載だけではなく、メンタルヘルス、会社員の働き方・生き方、大学生の就職活動、定年後の準備や過ごし方についても人の話を聴くことから始めている。

私は自分の見解に加えて、一定数の人の話を聞いて納得した上で初めて執筆できると考えている。
私のような人間にとっては、誰彼となく話を聞けるというのは大きなアドバンテージになる。

『定年後』(中公新書)を執筆するときには、平日の午前中にマクドナルドで100円のコーヒーを飲んでいる定年退職者にもよく声をかけていた。
担当の編集者は、「本当にそんな場所で話が聞けるのですか」と驚いていた。

また、ペンネーム「楠木新」の名刺作成を依頼した「はんこ屋さん21」の店長が、会社員からの転身者だと分かっていろいろ話を聞きこんだり、『経理部は見ている。』(日経プレミアシリーズ)を書く時には、「なぜ、タクシーのレシートには、時刻が入っていないのか」を知るために、乗車するたびに運転手にこの問いを繰り返した。軽く100人以上から話を聞いた。後ろの座席から少し運転席に身を乗り出して尋ねると、彼らは具体的な事例を含めて面白いように語ってくれた。

3年ほど前に知人の女性ライターからメール連絡があった。神奈川県の某駅前のベンチに午前中から所在なげに数多くの年配の男性が座っている。
彼らの話を聞きたいが切り出せないので、一緒に取材をしてくれないかという依頼だった。
「おっちゃんに話を聞くために、わざわざ新幹線に乗って行けない」(笑)と断ったが、話しかけることができない人もいるのである。

外見を見ているだけでは頭の中で推量しかできない。しかし相手とやり取りさえできれば、情報量は半端なく増えるので文章に落とし込める。

関西の庶民的な地域で育った人間は、全く知らない人に話しかけることはそれほど抵抗を感じない。実家が商売人の場合は特にそういう傾向がある。人と人との間にある垣根が低いからである。
私が育った神戸・新開地、福原の人は多くの人がそうだった。

さきいかの屋台。新開地・福原エリアに含まれる東山市場は今なお健在だ


先日も新開地のスーパーで、買い物に来ていたおばちゃんが「賞味期限ぎりぎりだけど、この食品大丈夫かな?」といきなり私に聞いてきたときには驚いた。

生命保険会社での飛び込み営業でも個人宅のチャイムを押せない人や、室内の様子が分からない事務所のドアをノックできない人もいるが、私はあまり気にならない。
むしろどんな人が出てくるのか、次にどういう展開になるのかを期待している気分もある。

人と人との間の垣根が低い分、お世辞や建前は言えないし、それらを聞くと気分が萎える。
そのため大きな組織の管理部門あたりでの立ち回りはうまくできない。簡単なことを難しそうな顔で語る上司の発言に我慢ができなくなるからだ。

また総じてコンプライアンス意識も高くないというデメリットもある。

ある時間貸駐車場を京阪神で展開する不動産会社の担当者によると、ロック板にタイヤを乗り上げたまま料金を払わない違反行為の状況を調べると、神戸・新開地あたりはかなり多い方だという良くない話を聞いたことがある。

ただ、取材を通して文章を書く立場の人間にとっては、誰とでも本音で語れる新開地界隈で生まれ育ったことはメリット以外の何物でもないのである。

                                   











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