許す強さ


ガシャーン。

リビングの方でものすごい音がした。

音がした方を見ると、どうやら長男(3歳6か月)が食事中に皿をひっくり返してしまったようだ。

彼はだんだんと涙目になっていった。

わざとやってしまったわけではないことは、すぐに分かった。


台所で洗い物をしていた妻が、「もう、何やってんの…!」

と声を荒げて長男のもとへ駆け寄ろうとした。


僕がやるから、といい皿を拾う。

「大丈夫?どこか痛かったところはない?」

と長男に声をかける。

相変わらず目には涙がたまったままだが、大声をあげて泣き出すことまではしなかった。


「どうしてお皿こうなっちゃったのかな?」

決して声は荒げずに、長男に聞いてみた。

『ちょっと失敗しちゃったね。』

僕が小学3・4年生の時に担任だった先生の事を思い出した。


それは、僕が給食当番の日に、給食を床にぶちまけてしまったときの事だ。

もちろん故意でやったわけではない。

いたって普通に、給食のワゴンから、配膳台へと移動させていただけだ。



ものすごい音が教室中に響いて、自分でも何が起こったのか分からず、ただ立ち尽くす事しかできなかった。


すぐに僕の回りを他のクラスメイト達が取り囲んで、

「あーあ。」「なにやってんだよー。」「おい、ふざけんなよ。」

と言ってきたが、その言葉に返答できる程の余裕は僕にはなかった。


泣いてしまう事も、お道化る事も、ごめんと謝る事さえもできなかった。


「大丈夫?やけどしてない?痛いところない?」

すぐに先生が駆け寄ってきて、僕にこう声をかけた。はやし立てるクラスメイト達にわざと聞こえるように。

彼らはその言葉に少し拍子抜けしたようだった。僕も含めて。

もちろん、怒られるもんだと思っていたから。


「誰か袋と雑巾もってきてー」と先生がいうと、女子数名が動き出した。

僕をはやし立てていた奴らは相変わらず、僕と床にぶちまけられた給食のまわりで突っ立っていた。


「誰でも間違う事ってあるじゃない?

あなたたちは間違ったこと一度もないかな?先生は何度もあるけど。

考えてみてごらん、もしこれやっちゃったのが自分だったらーって。

どんな声かけてもらったら嬉しい?」


はやし立てた彼らは黙ったままだった。


「許す強さをもとうよ。

そりゃ分かるよ、給食こんなんなっちゃたら、”どうすんのー”ってなる気持ちもね。

でもさ、失敗しちゃっただけじゃん。許してあげようよ。

責めたら給食が戻ってくるの?」

「こない…。」と小さな声で、彼らが答えた。


そこへ、袋と雑巾をもった女子数名がやってきた。

「ありがとねー。ちょっと手伝ってくれたら嬉しいなー。」

と先生が言うと、彼女らは張り切って床を掃除し始めた。


そこでようやく僕は、先生と、クラスメイト達に”ごめんなさい”と言うことができた。

「いいのいいの、学校は間違うところだから。

きちんと反省することが大事。同じことは繰り返さなければいいの。

次は失敗しないように気をつけよう。

それと、給食室の人たちに謝りにいっておいで。一人で行ける?」

僕が”大丈夫です”と答えようとすると、さっき僕をはやし立てていたうちの一人が、「俺も一緒に行く!」と言い出し、結局僕は男子数人で給食室まで謝りに行った。

その時、とても嬉しくて、心強くて、温かくて、涙が出そうになったのを覚えている。

給食室の人たちが少し給食を分けてくれて、その間、教室に残っていた他のクラスメイト達は、隣のクラスで余った分をもらいに行ってくれていた。

おかげで、その日の給食のおかずが一品減ることは免れた。少し量は少なかったけれど、それに対して文句を言う人は誰もいなかった。


帰りの仕度をしている間に僕は、床を掃除してくれた女子たちと、給食室についてきてくれた男子たちと、隣のクラスへ給食の余りをもらいに行ってくれたクラスメイト達に、ありがとうとごめんねを言った。

誰もがみんな、笑顔で、”気にしなくていいよ!””大丈夫だから!”

と温かい言葉をかけてくれた。

素直に感謝の気持ちを伝え、謝罪をしたこと、そして、何よりもクラスメイトたちが許してくれたことで、僕の気持ちはだいぶ軽くなった。



その先生が、児童たちの失敗を叱ることは決してなかった。

しかし、人を傷つける言動をした児童の事は、厳しく叱った。

『人を傷つけていい理由なんて、絶対に存在しない。』

今でも、その先生の言葉は胸に焼き付いている。

「ごめんなさい。」

僕が床を拭いていると、長男が謝ってきた。

「大丈夫だから。次は失敗しないようにしようね。」


余裕をもとう。それは許す強さになるから。

そしてそれは最大の優しさだから。

優しさって相手を許して、受け入れる事だから。


許された人はきっと、許せる人になる。

そんなことを思いながら、長男の頭を撫でた。






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