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歴史が原点

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昔から趣味を聞かれると『歴史』と『嫁』って言ってます その『好きな歴史』について書いています よかったら見てやって下さい
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秦の商鞅(しょうおう)から学ぶ『法』のチカラ。その4=変革

秦の商鞅(しょうおう)から学ぶ『法』のチカラ。その4=変革

前回の続きです。
今日は今回の本題である『変革』についてです。

こんにちは。
ケイジ4世のターンです。

▼前回の記事はこちらです

✅着手の手段法を新しいものにしても実行力が伴わなければ、結局机上の空論になってしまう恐れがあります。

そこで商鞅はある手段にでます。

三丈もの長さの木を都の南門に植え、
『この木を北門に移せば十金を与えよう』
と布告しました。

三丈は三十尺で、この時でいうと

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秦の商鞅(しょうおう)から学ぶ『法』のチカラ。その3=分析と提案

秦の商鞅(しょうおう)から学ぶ『法』のチカラ。その3=分析と提案

前回の続きです。
今日は今回の本題である『現状位置把握と提案』についてです。

『法』についてお話しようかと思いましたが、辿り着けませんでした。

こんにちは。
ケイジ4世のターンです。

▼前回はプレゼンについてお話しました。

✅観点✅現状把握
その頃の秦国といえば、『西の外れにある夷狄(いてき)の国』とみられていました。
というのは風習も夷狄に近く、例えば『妻の共有』というのが挙げられます。

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秦の商鞅(しょうおう)から学ぶ『法』のチカラ。その2=仕官(プレゼン)

秦の商鞅(しょうおう)から学ぶ『法』のチカラ。その2=仕官(プレゼン)

前回の続きです。
今日は商鞅にその後とプレゼンについてです。

こんにちは。
ケイジ4世のターンです。

▼前回の記事はこちらです。

▶️そして、そして。
✅秦と商鞅秦はその昔、『春秋五覇』に数えられる秦の基礎を築いたとされる『穆公(ぼくこう)』が没した際に多くの有能な家臣が殉死をしたため国力がその後低下していました。
それが紀元前650年くらいです。

春秋五覇とは、先に紹介した『管仲』が使え

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中国4000年の歴史?ホントは?

中国4000年の歴史?ホントは?

こんにちは。
ケイジ4世のターンです。
(もうターンはいいかなぁ。いや。言い続けることが大切ですね。)

ターンです。

今日は私の好きな中国の歴史についてお話しします。

日本人なので、日本史はもちろん好きなんですけど、やっぱり中国史ですかね。特に三国志くらいから前。

✅まずはここが凄い日本では『卑弥呼』が有名です。
卑弥呼が君臨していたのは紀元後250年くらいからたされています。
で、卑弥呼

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商人▶️『呂不韋(りょふい)』▶️投資=その3(投資)

商人▶️『呂不韋(りょふい)』▶️投資=その3(投資)

こんにちは。
ケイジ4世の歴史のターンです。

▼前回の関連記事はこちら

大国秦の丞相にまでなった『呂不韋』ですが、その後もその才能を遺憾なく発揮しています。

秦王についた『荘襄王(そうじょうおう)』は周王朝を即位一年目で攻撃し、800年続いた周王朝の歴史に幕を閉じさせています。
これも呂不韋の助言によるものとされています。
また、趙に残された趙姫と嬴政(えいせい)を呼び戻します。

人質生活

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商人▶️『呂不韋(りょふい)』▶️投資=その2(呂不韋)

商人▶️『呂不韋(りょふい)』▶️投資=その2(呂不韋)

こんにちは。
ケイジ4世の歴史の時間です。

今日は引き続きで『天下を取った商人』の話です。

▼前回の記事『商人』はこちらです

秦の始皇帝の曾祖父である昭襄王の時代。
紀元前260年くらい。

(日本では弥生時代ですね。高床式住居で米食ってます。)

奇貨(きか)昭襄王の太子(跡取りのこと)で安国君(のちの孝文王)には20人くらいの子供がいて、その中の1人に『嬴異人(えいいじん)』という人がい

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商人▶️『呂不韋(りょふい)』▶️投資=その1(商人)

商人▶️『呂不韋(りょふい)』▶️投資=その1(商人)

こんにちは。
ケイジ4世の歴史のターンです。

『商人』という人、言葉が、いつどこで生まれたか?

中国🇨🇳の歴史の中で『殷(いん)』という時代。紀元前1600年くらいです。

『夏(か)』を倒して王朝を作ったというのが『殷』という国で最古の王朝らしいです。

殷の首都が『商(しょう)』とあるようです。
ちなみに元々が『商』という国だったともあららます。

中国🇨🇳ではいくつかもある国の名

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知彼知己 百戰不殆 ▶️ 己を知る、、。

知彼知己 百戰不殆 ▶️ 己を知る、、。

こんにちは。
ケイジ4世です。

先日書いた『孫子の兵法』にある『知彼知己 百戰不殆』について『彼を知り』については私見を書きました。

で、その時長くなりすぎた感があったので『己を知れば』の部分についての私見をまたまた書いていこうかと思います。

この章の全文はこうです。

『知彼知己 百戰不殆』
『不知彼而知己 一勝一負』
『不知彼不知己 毎戰必殆』

で、意味がこう。

『彼を知り己を知れば

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知彼知己 百戰不殆 = 知るということ

知彼知己 百戰不殆 = 知るということ

こんにちは。
ケイジ4世です。

『彼を知り己を知らば百戦して殆うからず』。『孫子の兵法』の中であまりにも有名な一文です。

『孫子の兵法』とは日本人には『風林火山』の方が馴染みが深いかもしれませんね。

武田信玄公の果たしてに使われていて、もしかすると『風林火山』は武田信玄のオリジナルと思っている人も少なくないかも知れません。

実は中国の『孫子』が書いたとされる書物から引用しています。

『孫

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