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「介護booksセレクト」④『医療の外れで』 「支援の現場における当事者性」

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。
 おかげで、こうして書き続けることができています。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/ 公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

「介護books」

 当初は、いろいろな環境や、様々な状況にいらっしゃる方々に向けて、書籍を毎回、複数冊、紹介させていただいていました。

 自分の能力や情報の不足を感じ、これ以上は紹介できないのではないか、と思い、いったんは「介護books」を終了します、とお伝えしたのですが、それでも、紹介したいと思える本を読んだりすることもあり、今後は、一冊でも紹介したい本がある時は、お伝えしようと思い、このシリーズを「介護booksセレクト」として、復活することにしました。

 いったん終了します、とお伝えしておきながら、後になっていろいろと変更することになり申し訳ないのですが、よろしくお願いいたします。

 今回も、1冊を紹介したいと思います。

『医療の外れで  看護師のわたしが考えたマイノリティと差別のこと』  木村映里

 臨床心理士になろうと考えて、私自身が、大学院に通い出したのが2010年でした。それ以前には、2002年に、今はなくなってしまったヘルパー2級(訪問介護員)の資格も取得したのですが、それ以来、支援職と言われる人たちとも接することが増えてきて、さらには、臨床心理士になろうとして学び始めてからは、心理職という名前の支援職の人たちとも知り合うことが多くなり、自分もその一員になりました。

 個人的な感覚に過ぎず、それが正しいかどうかも分からないのですが、その間、ずっと、苦手と感じる人たちがいました。その方々が悪いというのではなく、勝手な自分の印象に過ぎません。そこに共通している感じが、最初はあまり言葉で説明しづらかったのですが、そのうち、臨床心理学を学んだこともあり、少しずつ明確になってきました。

 基本的な構造として、支援職や心理職として「相談を受ける側」に位置していて、その向かいに「相談をする側」の人がいる。そして、その立場は、絶対に入れ替わることはない。そんな風な信念を持っているような人が、私は苦手であることに気がつきました。

苦手と感じる理由

 そう感じる理由は、そんなに偉そうに言えるようなことでもなく、胸をはれるような事でもないと思います。

 私は、元々は家族介護者でした。それも、そんなにちゃんと介護をしてきたかどうかは、今でも自信は持てませんが、どちらかといえば、ずっと「相談を持ちかけたい側」でした。

 仕事として「相談を受ける側」に立つこともあるようになったのが、臨床心理士の資格取得をしてからですから、(ヘルパー2級は、家族の介護をするのに手一杯で、仕事として生かしたことがありません)すでに50歳を超えていました。

 それが2014年ですから、それから、どれだけ仕事をしたとしても、「相談を受ける側」にいる時間が、「相談をする側」だった時間を上回ることはないと思います。

 だから、余計に、どんな人であっても、なんの落ち度もなくても、ある偶然が重なれば、すぐに困窮したり、追い込まれたりすることがあっることは、身に染みているような気がします。

 そうした記憶が、どんな状況であっても、「相談を受ける側」に立ち続けるという確信を持った人に対しての、微妙な苦手意識につながっているのだと思います。

 もちろん、そうした確信を持った人が悪いわけでもなく、私自身も、家族の介護をする、という経験がなければ、こういう感覚になっていない可能性もありますし、支援する側は、さまざまなタイプの人間がいた方がいいと、思っています。


 ただ、「医療の外れで」を読んで、そんなことを改めて思い出し、さらに考えることができたのは、著書の視点の豊富さにあるのだと思います。

マイノリティの視点

 著者は、看護師であり、医療者のプロとして社会で働いています。

 それと同時に、著者自身が性的マイノリティであり、うつ病の経験もあり、一時期は生活保護を受けようと思っていた時期もあるようです。

 様々な当事者性を持つ人、だと思います。

 ただ、様々な当事者性があることの難しさもあります。私自身も、介護の当事者だったことがあるとはいえ、そのことで、全ての介護者が分かるわけではないのに、過剰に分かるのではないか、と思われることもあります。同時に、その当事者性によって、視点が中立性を欠くことになり、支援など専門職にはマイナスになる、という見られ方があるのも知っています。

 それに加えて、自分のそうした過去の困窮状態「弱い」と見なしてしまうことがあれば、その後、克服したと思い込みすぎることによって、今、現在、そうした困窮状態にいる人たちに、異様に厳しくなってしまう場合さえありえます。


 そうした当事者性を持つことのマイナス面から、なるべく自由になり、経験や当事者性が、支援に生かせる(そういう有用性みたいな言葉だけでは捉えきれないのだと思いますが)ようにするためには、一定の過程が必要になると思います。

 基本的には、自分が感じたことだけに流されず、考え続け、その上で出た一応の結論にさえ、さらに検討を加え続ける。そうした、かなり負荷のかかる作業を続け、やめないことで、やっと当事者性をプラスにできる可能性が見えるのではないか。

「医療の外れで」の著者が、思考の持久力を示してくれることで、そんなことを、改めて考えさせてくれます。

暴力に関しての考察

 介護の現場でも、暴力のことは問題になることが少なくないと思います。認知症の場合は、また違う要素が加わるのかもしれませんが、医療現場でも、特に看護師が暴力をふるわれることは、想像以上に多いようです。

 著者も、その被害に遭っています。だけど、それは通常の傷害事件とは違う複雑さを持つことも、医療だけでなく、介護の専門家であっても、ご存知の方も多いのではないか、と思います。

 他者を暴力で支配することの分かりやすさと同時に、殴ったことを後悔する瞬間だって確かにあるのに、それでも止められないジレンマ、本当の怒りの対象が目の前の相手ではない何か、病気や生活の不安だったりすることも薄々分かっているのに、適切な表現を持てないその息苦しさを、叩かれた痛みの中に確かに感じます。そしてその、瞬間的な激昂を抑える力を育む障壁となった、貧困や地域性、虐待の連鎖といった、本人だけではどうにもならない環境に思考を巡らせると、どうにもやるせない気持ちになります。

 さらには、医療側の対応についても、医療従事者の一人として、暴力をふるう側の視点も含めて、とても粘り強く考えを進めています。

「毅然とした対応」がもし「医療従事者によって暴力と捉えられる行為をした相手には一切の診療を拒否する意志」を意味するのであれば、それは一歩間違えれば、社会から排除され続けてきた人々をさらに排除することになってしまうのではないかと思うと、私はこの「毅然」という文脈には乗れない、と感じます。

 医療者側、患者側、どちらの視点にも立とうとしながら、その矛盾するような行為を諦めずに続け、考え抜くことの大切を示してくれているようです。

 「一回でも怒鳴ったら診療拒否」という抑圧的な現場ではなく、かといって看護者が諾々と暴力に耐える日々でもない医療現場の在り方がどのようなものか、私の中で結論は出ていません。ただ、ケアを提供する存在である我々もまたケアを必要としているのは、間違いない事実のように感じます。暴力を受ける現象自体が避けられなくとも、「あなたに悪いところはなかったの?」なんて周囲から絶対に言われないこと、「怖かったね」と気持ちを肯定されること、人としての感情を殺されないこと。  

コロナ禍での「医療従事者差別」

 この書籍が出版されたのは2020年の11月ですから、すでにコロナ禍という言葉が定着していた頃で、医療者への応援、ということと、医療者への差別、の両方が広がっていた時期でもありました。(この原稿は、2020年6月頃に書かれているようです)。

 感染のピーク時、私達医療従事者への差別は、途方もないものでした。子どもを育てる看護師は、病院勤務で感染しているからしれないからと、保育園から子どもを休ませるよう言われました。 

 差別に関しても、かなり明確に自らの考えも示しています。

 私を含め、あらゆる人の中に差別心は存在するでしょう。大切なのは「差別心や軽蔑心を持たないことではなく、それを当事者に投げつけないこと、当事者から何かを奪わないこと」です。思考や思想の自由と、当事者を傷付けない配慮は両立するはずです。

 そして、著者自らが、医療者として「差別」される立場でありながらも、その「差別への抗議の声」の中にまで、将来のさらなる「差別への危険」まで鋭敏で繊細に察していることに、ある種の凄みも感じましたし、著者自身にも負荷がかかるような考察をしていることに、信頼も敬意も高まりました。

 日本看護倫理学会が出した「人類が直面している脅威の最前線で働く医療従事者が報われないどころか、その家族ともども理不尽な扱いを受け、差別されている実態があります。最前線で働く医療機関の職員は、自身の健康が危険にさらされるような過酷な状況で頑張っているのに関わらずです」という声明を読み直した時、なるほどこれが苛立ちの原因か、と思考が合致しました。
「危険で過酷な状況で頑張っているから差別しないで」は、反転すれば「頑張っていない人は差別されても仕方ない」という主張と同義になります。それは、自分からみて頑張っているように見えるかそうでないかで他者の価値をジャッジする行為であり、客観的に見て生産性の低い他者であれば差別しても良い、尊厳を奪っても良い、という認識に繋がります。「生産性がない」と揶揄された経緯のある同性愛や、生活保護をはじめとする、差別を受けやすい属性への差別を強化する危険性を、確実に上げて行きます。

様々な視点

 性的マイノリティ。生活保護。精神障害。性暴力。

 おそらくは、介護の現場でも遭遇しながらも、場合によっては見えにくく、差別や排除や誤解に繋がりそうなこと支援者として、少しでも、そうした当事者性を理解しようとする方にとっては、とてもお勧めできる書籍と思い、こうして紹介することにしました。


 さまざまな当事者視点を提示してくれる、というだけでなく、著者が1992年生まれで、執筆時に20代で、看護師としても6年目というキャリアで、初心を忘れていない支援職が書いた、という意味でも、奇跡的なタイミングでの、貴重な記録だと思います。



(他にもいろいろと介護のことを書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、ありがたく思います)。


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