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現代の世界と、詩への希望
シュテファン・バチウという亡命詩人について、知っている人はほとんどいないと言っていいかもしれない。
私も、知らなかった。
この詩人のことだけでなく、この詩人が生まれたルーマニアについても特別な関心を持っている人は、ほとんどいない。
だが、私は、阪本佳郎くんから、このルーマニア出身の詩人について深く探究していることを知らされた時、非常に興味深いと思った。
なぜなら、辺境とか周縁世界という
偶然性の仕打ちを受容する生存の美学。
明治時代になって、浮世絵などの日本文化が、二束三文の値段で海外に持ち去られたように、日本人は、日本にあるものの価値を知らず、欧米のものに価値があると思い込んで、高い値段を払ってまで手にいれてきた。そして、欧米から褒めてもらって初めて、自分のところにあったものの価値に気づく。
そうしたマインドを謙虚と言うこともできるが、卑屈でもありえる。お墨付きマークのついた強いもの(権威)に取り入ったり、へつら
ピンホール写真の写真展について
来年の初めに、東京のオリンパス関連のOMシステムギャラリーで写真展を開催することになったのだけれど、これまでの人生で、自分の写真の写真展は初めてのこと。
本はたくさん作ってきたのでイメージを掴みやすいのだが、写真展は、プリントサイズとか、額装のこととか、経験がないのでイメージできないことが多い。
普通の写真展のように、だいたいのサイズが決まっていて、普通の額装にして壁に飾るだけなら、どの写真を
闇の深さと、色相の繊細かつ豊かさ。
嵐山から嵯峨野は、観光客で溢れかえっているけれど、清涼寺あたりまで来ると、それほどでもない。
私が、京都に移住することになったきっかけの一つが、11年前、風の旅人の第47号で、染色家の志村ふくみさんのロングインタビューのために、この清涼寺のすぐ近くの志村さんのアトリエに来たことだった。
早めにやってきて、その待ち時間のあいだ、清涼寺で、ぼんやり時間を過ごしていた。
当時、志村さんは90歳だっ
縄文人には見えていて、現代人には見えていないもの。
先ほど書いたことの補足だけれど、今回、北海道でもオーロラが見えた。
私は、自分でも縄文土器を作り続けていた時期があったのだが、縄文土器の文様は、オーロラのようなプラズマ現象ではないかという気がしていた。
縄文人は、実際にオーロラ現象をよく見ていたのではないかと思うのだ。
というのは、縄文遺跡は、東北から北海道にかけて多い。そして、貝塚の貝の種類や貝塚のある場所から、当時の海岸線が現
人間の目には見えない宇宙の真理
太陽フレアの大爆発によって、低緯度でもオーロラが見られたというニュースが、各地から届いている。
その場にいた人たちがスマホで撮影したオーロラを、世界中のどこでも見られるわけで、地球上に起きていることを人類全員が共有化できる時代になっていることを、つくづくと感じる。
素人が撮ったものでも、オーロラの映像は美しい。しかし、どこか不気味でもある。太陽活動が、ダイレクトに地球に影響を与えていることの
情報として表に出てこない日本のリアリティ
日本という国は、いくら都市化が進んでいるといっても、国土の70%以上が山岳地帯であり、島国であるがゆえに、少し移動するだけで大海原を見ることができる。
こうした自然風土の国でありながら、山も海も見えない大都市のなかだけで日々暮らしていると、現実感覚が狂ってくる。
テレビやインターネットから送り届けられる情報を現実世界だと思ってしまうと、その情報をもとに自分の行動を決めていくことなるが、テレビ
今年の木村伊兵衛賞作品展の哀しいまでの空疎さ。
昨日、池袋の新文芸坐で、小栗康平監督の「眠る男」と 「伽倻子のために」の デジタル4Kレストア版を観る前に、銀座に立ち寄って、木村伊兵衛英賞の受賞展を観てきた。
そして、会場に入るなり、その空疎な内容に呆然。ポスターのような無機質な写真が掲示されていて、モニターに会場内を写しているような画像が流されていたから、ここは展示の入り口のようなもので、部屋の向こうに、展示会場があるのかと本気で思った。