日本文化に宿る自然体という美意識


西欧の美というのは、例えばベルサイユ宮殿の庭園のように、それじたいが、「これこそが美だ!」と主張してくる。
 それに対して、日本が長い時間をかけて洗練させてきた美は、例えば苔寺のように、それを観る人の心に自由の余地を残す。
 ただ単に、綺麗とか、嬉しい、悲しいという気持ちだけではなく、哀愁や郷愁や感傷的な気持ちなど、しみじみとした感慨が、その時々の心の状態で変化する。
 ベルサイユ宮殿の整然とした幾何学的模様の庭園は、毎朝、散歩していたら飽きてしまいそうだ(日本人だからそう感じるのかもしれないが)が、スティーブ・ジョブスが日本に来るたびに通っていた京都の苔寺(西芳寺)は、季節ごとの変化だけでなく、日々の天候の違いや光の状態による変化も大きくて、毎日、散歩するのが楽しみになるだろう。

消費社会というのは、消費者が一つの物を大事にして長く付き合ってしまうと、企業の業績が伸びていかないし、国内総生産も低調になり、景気が悪いということになる。
 だから、ファッションブランドは、次々と新しいデザインを投入し、数年前の服を着ていたら、”ダサい”と思わせる仕掛けができている。
 ファッションだけでなく、たとえば車にしても、最近は、どのメーカーか見分けがつかないほど、目が釣り上がったイカツイ顔で角ばったデザインの車ばかりになっているのだが、これについて、 BMWのディーラーの担当者に聞いてみた。
 何世代か前のデザインの方が丸みがあって、落ち着いた感じで好きなのだけれど、なぜ最近は、威嚇するような顔になっているのかと。
 これについての回答は、なんと、中国向けのマーケットを意識せざるを得ないからだと言う。
 世界の主要都市で行われるモーターショーも、今では上海がもっとも盛大だ。それはそうで、アメリカの人口は3.3億、欧州全体でも7.5億、日本は1.2億、それに対して中国は、この三つの地域を足した数字よりも大きい14億。
 世界中の大企業は、中国人の購買力に期待せざるを得ない状況であり、私たちが、最新のデザインだと思わされているものは、実は、巨大な中国市場のマーケティングによって導き出された結果にすぎない。 
 現代の中国の人は、目が釣り上がった威嚇的な顔のデザインの車が好きなのだ。
 現代の中国で生きている人たちは、かなりアグレッシブであることは間違いないだろう。足下に大きな市場があるわけで、お金持ちになるチャンスはいくらでもある。しかしライバルも多いし、油断や隙を見せていたら、つけ込まれてしまう。だから、アドレナリンを出しっぱなしで、常に自信満々の強気の態度でなければいけないのかもしれない。
 国によって、社会の状況はそれぞれ異なっているわけで、どれが良いとか悪いとか決めることはできないが、問題は、一国のその状況に合わせているにすぎないデザインが、最先端の美意識であるかのような顔をして、押し付けられてくることなのだ。
 現在、京都の美術館で、村上隆の展覧会が行われていて、大盛況なのだと言う。
 村上隆の作品に対する好き嫌いは人それぞれだとして、彼の作品についてのキャッチで、「欧米で人気がある」という言葉が、よく見られる。
 欧米人が好きかどうかを、今だに基準にしなくてはいけないのか?
 欧米に対する劣等感は、いつまで続くのかと思うとともに、今まで中国製はダサいなどと見下していたくせに、知らないうちに中国人が好きなデザインの車を買わされているという皮肉。
 保守的になって日本のことを持ち上げる必要はないけれど、なぜベルサイユ宮殿や、目が釣り上がって角ばったデザインの車よりも、苔寺や、丸みのあるデザインの車の方が、長いあいだ愛着を持ち続けられるのかは、考えてもいいのではないか。

日本の美意識の中で重要なキーワードは、”自然体”。
 つまり自然に即しているということ。そして、自然に即するためには、自然に対する深い理解が伴っている必要がある。
 自然に対する深い理解を、叡智にして、技にしていくことの延長に、日本文化が育まれてきた。
 人間もまた自然の一部なのだから、自然に即すという境地は、社会の流行など超越して、普遍的な美意識であることは間違いない。

ーーーーー
 日本文化と日本の祈りの本質を掘り下げる。
 6月22日(土)、23日(日)、東京で、ワークショップセミナーを開催します。
 詳細と、お申し込みは、ホームページにてご案内しております。
 また新刊の「始原のコスモロジー」は、ホームページで、お申し込みを受け付けています。
 www.kazetabi.jp

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?