今年の木村伊兵衛賞作品展の哀しいまでの空疎さ。

 昨日、池袋の新文芸坐で、小栗康平監督の「眠る男」と 「伽倻子のために」の デジタル4Kレストア版を観る前に、銀座に立ち寄って、木村伊兵衛英賞の受賞展を観てきた。
 そして、会場に入るなり、その空疎な内容に呆然。ポスターのような無機質な写真が掲示されていて、モニターに会場内を写しているような画像が流されていたから、ここは展示の入り口のようなもので、部屋の向こうに、展示会場があるのかと本気で思った。
 世間の関心はわからないが、写真の関係者なら木村伊兵衛英賞のことは少し関心事であるので、その受賞展ということで会場に来た人が他にもいると思うが、私のような印象を抱いた人が大半だったのではないだろうか?
 それとも、私が、浦島太郎のように、時空がズレたところに住む住人になっていて、物事の感じ方も、他の人とはまったく別のものになってしまっているのだろうか?
 そもそも木村伊兵衛賞に関しては、私が風の旅人を作り続けていた時、選考委員を担っている写真家たちと、まったく接点がなかった。土門拳賞など他の写真賞の場合は接点があったので、木村伊兵衛賞というのは、同じ写真分野であっても、私とはまったく関係のない領域なのだろうという思いもあった。
 さらに、近年、この賞は社会的にはまったく注目を浴びることもない状況だが、(他の写真賞もそうだし、写真に限らず文学賞などもそうだが)、そもそも賞に関わっている新聞社や出版社の地盤沈下が著しく、瀕死の状態から復権を願って、ピントの外れた迷走を繰り返すばかりという印象だった。
 しかし、昨年、木村伊兵衛賞を受賞した新田樹氏は、私も彼の表現姿勢に敬意をもっていた写真家の一人で、彼のサハリンに関する写真は、これまでの受賞作と少し違っていた。そして、選考委員の人たちが、全員、「本当はこういう写真を見たかった」と感想を述べていたので、もしかしたら、写真表現の潮目が変わってきたのかなあと期待するところがあった。
 それで、一昨年前まではあまり観に行っていなかった木村伊兵衛英賞の受賞展に、昨日、足を運んだのだった。
 その結果、写真界の迷妄は、ここに極まるという感想しかもてなかった。
 展示を観た後、わけがわからないので、選考委員たちの選評を読んでみたが、「表現の多様性としてこれもあり得る」といった理屈っぱい言葉が並んでいるが、特に心動かされたという言葉はどこにもないように感じられた。
 こんな状況だと、写真表現は、ますます地盤沈下していき、写真界の中の人たちだけで、これが新しいとか、これもあり得るなどと理屈っぽく語り合っていたとしても、世の中からまったく関係のないガラパゴス諸島状態になっていくしかないだろう。
 今回の受賞作家は、カメラをもって、コンセプトみたいなものを作って、何か表現行為に関わろうとしている大勢の一人なので、責任はない。
 同じようなことは他の誰でもできるし、他の誰から似たようなことを行っていても、違いもよくわからないだろう。テーマは、多様性であっても、作品自体に、強靭な固有性はない。
 問題は、こうした行為に、もっともらしい言葉を添えて持ち上げている選考委員にある。
 そもそもの問題として、安易な言葉で説明できてしまうようなことを、表現する必要があるのかということ。その程度のものに賞を与えてしまう業界の底の浅さ。
 頭の中で、あれこれ分別くさく計画したもの(プロジェクトと称している)の意義がどうのこうのと議論するのではなく、胸を打つ何かが表現の生命線だという当たり前の正直さをもとに、作品評価をするべきではないかということ、
 そして、これが最も難しくて、しかし肝心で、もはや表現を志す人たちの大半から失われているものだが、「世の中の変化の一番最初に芸術表現がくる。思想や政治は、その後に続くものだ」という矜恃が、表現の中に少しでも垣間見られるかどうかということ。
 写真表現のメルクマールが、そこにないと、写真表現が、世の中の人々に、新たな眼差しを届けることにつながらない。
 現在、新しいなどと形容される写真表現は、世の中で既知となっている現象を、なぞっているだけであり、未来を切り拓く眼差しを反映したものではない。
 物を写すことが、既存の現象(心象も含めて)を写すことでしかないから、その限界を感じる者が、実験と称して、作為ある試みで人々の目先を惑わして、新しい視点などと言っている。
 こうした現在の写真表現界において、もっとも欠落してしまっている視点は、他者への眼差しの深さや、その距離を掴むための真摯な悩みだろうと思う。
 「他者」という言葉を使っているものの、あまりにも安易で、その言葉すら、もはや記号でしかない。
 たとえば、今回の木村伊兵衛英賞の受賞者は、社会の中の多様な「個」と向き合うプロジェクトとやらを行っており、Between Breads and Noodlesという受賞作はは、「政府事業としてドイツへ派遣された在独韓国人や彼らの家族を写真に収め、移民2世以降のアイデンティティーに着目し、国籍の狭間に生きる人々を追った作品で移民という言葉では一括りにできない多様な背景と価値観を持った人々を捉えている」と説明されている。
 このプロジェクトのなかで、写真家は、「ドイツには多くの移民が住んでいるものの、ドイツ人は、アジア人ということで一括りにしている」という批判をこめて、アジア6か国から輸入された40種類の味の2000個のインスタントヌードルを陳列に並べたものがある。

 「ドイツ人から見れば、アジア人は、パンではなくヌードルの人ということだが、味は一つ一つ異なるんだよ」という主張なのか、なんなのかよくわからないが、まったくくだらないアプローチだ。
 その違いというのは、インスタントヌードルの味の違いに置き換えられる程度のことなのか。
 そしてドイツ人から見られるアジア人を、「一括りにする!」なということならば、逆に、ドイツ人を一括りにするなという問題も、そこにある。ドイツ人の中にも、アジア人を妻にしていたり、友人付き合いをしている人だって多くいるだろう。そういう人たちは、固有の個人として付き合っているはずだ。もしもこれが、「一般的ドイツ人」という認識のもとに行われているプロジェクトなら、自家撞着をおかしており、そういう思考特性から逃れられない矛盾した自分こそが、現代の哀しき表現テーマになり得る。
 アイデンティティとか個性とかいう「言葉」は、もはや記号でしかない。だから敏感で真摯な表現者は、記号的言語ではなく、表現を通して、アイデンティティと向き合っている。
 アイデンティティは、単に人と違うという程度のことではなく、存在に対する痛切で哀切な祈りであり、そのことは、苦境のなかでもがき、悶える心を通して伝えられる、人間にとって試練ともいうべき深淵な哲学的な問いだ。
 それこそ、今私が書いているような言葉をいくら並べても無意味で、昨年の木村伊兵衛賞の受賞作家である新田樹氏が、サハリンに取り残された日本人と、長年、息を潜めるようにして丁寧に関わり続けたなかで撮られた写真から、かろうじて浮かび上がってくる気配を通して、人間のアイデンティティに関わる底知れぬ問題が、自分ごととして引き寄せられる。
 極限的に難しいのは、このアイデンティティの問題において、他者が関わっていくこと。
 最初の問題は、外部の人間が出かけていって、カメラを向ける際に、どのような距離感であることが適切なのかという問題。
 その距離を掴むまでに、新田樹氏が、どれほどの時間をかけ、試行錯誤を繰り返したかは、彼の写真から伝わってくる。すなわち、彼の写真からは、写真に写っている人々のアイデンティティをめぐる哀しき宿命と、その宿命に他者として向き合わざるを得ない新田氏の悲痛のようなものが伝わってきて、だからこそ、その写真を観る者にとっても、サハリンに暮らす人たちが、自分ごとにならざるを得ない。
 しかし、今年の木村伊兵衛賞の受賞者は、移民問題などを政治問題のようにくくりたくないとか、一般の人々は、生きている人間のバックグラウンドの方に関心を寄せやすいが、そんなことよりも、目の前にいる人間のその人らしさ(=多様性)を伝えたい、その人らしさ(=多様性)は、ドイツの移住者であれ、世界の他の地域に住む人間であれ、普遍的なものだと単純化し、一人ひとりの内実にはいっさい関わっていないようなのだが(写真からはまったく伝わってこない)、そもそも、他者の多様性というかアイデンティティに関わる際の、注意深さとか、距離の掴み方に対する葛藤が、まるでないように感じられる。
 というのは、掲げられている作品で、背広を来た初老の男性と白いドレスの少女が居間のソファに座っている写真にしても、蝋人形のような、冷たい写真でしかなく、これは、「異国で生きる韓国人は、このように表面を取り繕って固まって生きている」ということの象徴なのか、だとすると、メッセージとしての、多様性云々と、どうつながっているのか、さっぱりわからない。
 さらによくわからないのが、ヴィデオ・インスタレーションにおいて、滋賀県にあるブラジル人学校に通う0歳~18歳の約80名の子どもたちと関わって撮影したのだろうが、その人たちを展示会場に連れてきて、彼らが写っている自分たちを見たりしている光景をカメラで収めているだけのもの。そうした状況設定を、作品だと称している。
 仮に、その状況設定が必要だとしても、撮るということにおいて大事なことは、撮られる側との距離だ。そして、フレームだ。本当にその距離でいいのか? そのフレームでいいのか?
 なぜなら、撮るという行為は、目の前に展開している光景から、ごく一部だけ切り取ることになり、その切り取られた部分を、表現として確定させてしまうというジレンマがある。これは、静止画であれ動画であれ同じ。動画は、画面が動いているので、その距離やフレームの制限から自由でいられるように錯覚している人がいるが、とんでもない間違いだ。
 そうした間違いをもとにした、緊張感のない緩い眼差しで撮られたビデオが、ヴィデオ・インスタレーションという作品になっている。だから私は、この展示会場を、待合室か何かにすぎず、本会場に設置された記録カメラが、ダラダラと展示会場の中の状況を写しているのかと錯覚した。
 この木村伊兵衛賞の受賞作展を見て途方に暮れたまま、銀座から池袋に移動して、新文芸坐で、小栗康平監督の「伽倻子のために」の デジタル4Kレストア版を観た。
 この「伽倻子のために」は、日本文壇初の外国人として芥川賞受賞した李 恢成の小説を、映画化したものだ。
 李恢成は、1945年の敗戦後、家族で日本人引揚者とともに樺太から脱出し、長崎県大村市の収容所まで行き、朝鮮への帰還を図ったが果たせず、札幌市に住むことになった。
 樺太という、日本と当時のソ連のあいだの広大な空白地帯には、多くの日本人や朝鮮人が移り住んでいたが、日本とソ連の戦争後、ソ連に占領されることになる。新田樹さんは、樺太に取り残されて、ソ連と日本の狭間で、それこそアイデンティティをめぐる問題に苦しめ続けられた日本人を、長年にわたって撮影した。
 そして、小栗康平さんは、樺太から逃れたものの、朝鮮半島に戻ることができなくて、日本で生きる宿命になった在日朝鮮人である李恢成の作品の映画化を行った。
 小栗さんは、なぜ、これを映画にしたのか?
 それは、このテーマは、日本国内のことであり、自分たちの身近にあることなのに、自分にとって最も難しい「他者」と向き合わざるを得ないことだからだ。
 「他者」というのは、朝鮮人という外国人を意味するわけではない。日本国内で生きながら、朝鮮人である自覚と誇りを持ち、しかし、そのことが、日本国内で生きづらい状況を作り出すという不条理のなかに存在する人たちは、そういう不条理とは無関係でいられる自分にとって、最も遠い他者である。
 その難しい他者と、自分のあいだに、どういう橋を架ければいいのか?
 表現を志す者が、そうした困難なチャレンジをしなくて、一体誰がそれを行うというのか。
 当時の日本国内の政治状況を考えても、この難しい問題を映画化することは、反目を受ける恐れはあったから、慎重に取り組む必要があった。それだけの苦労をしても、商業的な成功など、まったく考えられなかった。
 小栗さんは、処女作の「泥の河」が、世界的に高い評価を得て、商業的にも、わりと成功した。
 そういう、世の中で「売れっ子」のような状況になった時期だったからこそ、敢えて、最初から商業的成功を期待できないようなことでも、やれるのではないかと考えた。
 誰でもできるようなこと、誰かが既にやっているようなことを、やろうとする人は、表現者としてのスピリットを失っている、もしくは最初から持ち合わせていない人だ。
 眼差しが変われば、意識が変わる。意識が変われば、世の中が変わる。
 写真や映画に関わる表現者は、人間の眼差しに関わる芸術表現者であるはずで、そこから生まれる表現が、人々の眼差しを変え、思想を変え、政治を変える。
 その過程においてどれだけ時間がかかるかわからず、絶えず、絶望感と無力感につきまとわれることになることを承知のうえ、世の中の変化の一番最初に芸術表現がくるという矜恃を持ち続けること。そうした矜恃があれば、安易な言葉で簡単に説明できるようなことを表現しない。だって、そういうものは、既に世の中で手垢まみれになっていることだし、人々の胸を打つものになるはずがない。
 人間には、頭だけでなく胸があり、胸で感じる感覚は、よほど神経が鈍くなっていないかぎり、失われていないはずだ。
 写真や美術の展示に出かけていって、胸を打つような何ものも伝わってこないのに、いいね!とか、あれこれ理屈を並べて持ち上げたりしているのは、裸の王様を見て、周りの人たちが褒めている衣装を自分が見えないという状況を恥じているだけで、素直な子供のように、誰が、「王様は裸だ」と言えるかどうかだけの問題の中に、我々はいる。
 胸を打つ表現には、必ず、渾身の力を振り絞ったものがある。そして、人間が渾身の力を振り絞ろうと思えば、そういうスイッチが入る困難な状況に自分の身を置く必要がある。
 安易な環境では、いくら精一杯やりましたと言っても、渾身の力にはならない。
 だから、優れた表現者というのは、敢えて困難な状況へと自分をもっていく傾向にある。本能的に、渾身のスイッチを入れるためにはそれが必要だとわかっているからだ。
 そして、人は誰でも、長い人生のなかで、自分では望まなくても、渾身の力で向き合わざるを得ない修羅場の事態がある。そうした修羅場は、自分に秘められている可能性に気づく瞬間でもある。
 その秘められた可能性こそが、未来を切り拓く力なのだ。未来は、便利な電子機器が用意してくれるようなものではなく、誰にとっても自分で切り拓いていくものであり、その時に胸の内側から支える力となるものこそが、芸術表現だった。
 凄いと感じたり、胸が締め付けられるような思いになったり、芸術作品の圧によって自分のちっぽけな自我が吹っ飛んでしまったりといった体験は、一種の浄化であり、禊とか祓いのようでもある。
 現在の世の中は、情報も物も、紛いものが溢れかえっており、知らず知らず、全身にそれらの紛い物が付着して、その影響下に置かれている。
 まずは、それらの紛い物を祓わなければ、物事が見えなくなり、裸の王様を見ているだけなのに、周りの反応に流されて、そこに実態があるかのような虚ろな人生を送ることになる。
 今回、新しいものに出会えるのではないかと、わざわざ、木村伊兵衛賞の受賞展を観に銀座まで足を運んで、虚ろなものを感じた人は、かなり多かったのではないかと思う。
 その中から、どれだけの人が、大きな声で、「王様は裸だ」と言えるのかどうか。
 とくに、写真表現に携わっている人たちにとって、他人事ではすまないこと。もちろん、自分は自分、自分のやれることをやっていればいい、と他人事にできる人もいるが、そのように、どれだけ多くのことを他人事にしてきているのか。
 自分が乗っている足場が地盤沈下し続けているのに、それを他人事だと思っていられるのは、表現者としての感度が、かなり鈍っているということだろう。


https://kazetabi.hatenablog.com/entry/2024/05/04/143550

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