千年の時空を超えて今に伝わってくる叡智。


春日大社と空海展へ。
 空海が関わって制作されたとされる神護寺の曼陀羅が、修復作業を経て公開。
 西洋絵画だと、ヒエロニムス・ボスが、超精密な描写を行なっているが、それよりも700年も前に日本でつくられた超巨大な曼陀羅の中の超精密な描写には、驚くばかり。
 絵画にしても仏像にしても書にしても、人間の手技によるものが圧倒的な力を帯びているのだが、果たして現代作られているもので、千年の時を超えて後世に伝えられるものが、どれだけあるのだろうか?
 面白かったのは、最澄の直筆と空海の直筆をリアルに見比べられること。
 

金剛般若経開題残巻(伝空海筆)奈良国立博物館。国宝
久隔帖(伝最澄筆)奈良国立博物館。国宝

空海の直筆は、「金剛般若経開題残巻」で、のびやかで、勢いがあり、堂々としている。
 それに比べて、最澄の書は、最澄が密教のことを理解できていなかったために、空海のもとに弟子の泰範を送って学ばせようとしたものの、泰範が、最澄よりも空海の偉大さに心酔し、戻ってこないばかりか最澄に対して手紙すら送ってこない状況において、その泰範に対して手紙を送り、空海の教えを自分にも伝えてほしいと懇願している内容。
 その最澄の書は、品格が高いなどと評価されるが、どうにもそうは見えない。
 左肩下がりで、空海の書に比べて、生命力のようなものが感じられないし、その内容も、品格からは程遠い。
 一般的には、空海が最澄に手紙を書いていることから二人のあいだに交流があった、などとされているが、それは形式的な交流であり、魂の交流があったわけではないのだ。
 以前の弟子に対して最澄は、「和詩は、すぐに作れず、一度著した文章は後で改められません。自分の知識は不十分なので、空海から詳しい内容を、あなたが聞いて、私に伝えてほしい」と手紙で書いている。
 空海の密教は、知識はもちろん必要だけれども、それ以上に修験なども実践したうえで身体的な感覚で奥義を掴み取るものだけれど、最澄は、修験を行わず経典から知識や情報を得れば学べると思っていた。そうした頭でっかちの理論武装のうえ、詩歌を作ろうとしている。
 最澄が興した比叡山の天台宗というのは、法華と律宗と禅と密教を統合することを目指していたわけだが、肝心の密教を最澄は理解していなかった。そのことが、後の比叡山天台宗の世俗化の原因になっている。
 最澄は、学校の教科書では空海と同等に扱われているが、実情は、かなりの隔たりがあり、最澄というのは、現代の多くの学者に近い感覚がある。
 空海は、奥義は情報知識の延長にはないということを、経典をねだる最澄に対して手紙で伝えているのだが、こうしたやりとりを、「二人の交流」などとすると、歴史の真相を読み誤る。
 交流というのは、お互いに、相手から触発されたり感化されるものがあってのことで、空海は、最澄からは何も学ぶところはないと思っていただろう。

なぜかついてくる生まれたばかりの小鹿。小鹿に近づきすぎたり、触れたりすると、お母さん鹿に怒られる。だから、こっち来ないで。お母さんのところに行きなさい。

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