芸術と精神医学(6): 山下清と発達障害〜真の天才か?作られた天才か?〜
皆様、こんにちは!鹿冶梟介(かやほうすけ)です。
今回でシリーズ「芸術と精神医学」も第6回目を迎えました!
前回までは海外の名だたる画家をとりあげてきましたが、今回は日本の有名画家についてはじめてご紹介いたします。
テーマはズバリ「山下清」画伯です。
山下清画伯については日本人なら多くの方がご存知ですよね?
ドラマ「裸の大将」のモデルとなった放浪画家で、その作品もさることながら自由奔放な生き方も魅力的でした。
そして山下清といえば”日本のアール・ブリュット(アウトサイダーアート)”における代表的な存在なのです。
アール・ブリュットとは精神障害者など正式な芸術教育を受けていない人々が作成する芸術作品を意味します。
なぜ山下清がアール・ブリュットの代表なのか…。
その答えについて既に皆様もご存知と思いますが、山下清は今で言う発達障害であったといわれております。
今回は山下清画伯の生涯と精神医学的診断について皆様と一緒に学んでいきたいと思います。
皆様も、おむすび🍙を頬張りながら本記事を読んでくださいな!
【山下清とは?】
本名: 大橋清(父の死後、母方の姓となり"山下清"を名乗る)
1922年東京浅草生まれ。
日本の画家。
緻密で色鮮やかなちぎり絵で名を馳せる。
その作風から日本のゴッホと称される。
日本各地を放浪していたため、「放浪の天才画家」といわれた。
また映画やTVドラマ「裸の大将」として有名になった。
↓小生が過去記事でゴッホについても紹介しております。ご興味があれば、是非ご高覧を!
【山下清の生涯】
【山下清の代表作】
山下清といえば、貼り絵による風景画が有名ですよね。
特に「長岡の花火(1950年)」は細かく千切った紙を美しいグラデーションとして貼り付ける緻密・繊細な作りながら、大胆で鮮やかな作風です。
山下のちぎり絵は独特な手法を用いており、色紙を細かく(3mm!!)に千切り異なる色紙を重ね、また色紙を丸めて”コヨリ”にしたものを貼り付け、作品に立体感や臨場感を生み出します。
「長岡の花火」をみると、我々も思わず空を見上げてしまいそうな迫力ですよね!
それにしてもこれだけの緻密な貼り絵、どうやって作成したのでしょうか…。
【山下清と発達障害】
山下清が軽度知的障害であったことは間違いないようです。
実際、八幡学園入園当時に測定したIQは68であったとの記録があります。
ちなみにその原因は3歳頃に風邪をこじらせ重い消化不良に陥り、そこから言語障害および知的障害を患った…、とされております。
<サバン症候群(イディオサバン)説>
しかし、山下清はただの軽度知的障害ではなかったと言われております。
彼は"サバン症候群(別名: イディオサバン(白痴天才))"であったのです。
実は彼の緻密な貼り絵は、放浪先で書いたものではなく放浪の旅を終えてから「記憶を元」に作成していたのです!
(つまり映画やTVの"裸の大将”は完全にフィクションなのです😅)
そんな細かく覚えることが可能なのか…?と思われるかもしれませんが、できるんです!!
非常に稀な才能ではりますが、「直観像記憶」という驚異的な記憶力を山下清は持っていたのです。
直観像記憶とは見たものを「写真」のように細部まで記憶することなのですが、これは一般人がもつ「残像を記憶する」ような短時間なものではなく、長時間経過しても鮮明に見たものを覚えておけるのです(便利!)。
直観像記憶をはじめとする驚異的な能力はイディオサバンにしばしば伴う能力です。
例えば皆様も聞いたことがあると思いますが、「●年●月●日は何曜日?」などを即時に計算できたり、並外れた暗算、円周率を数千・数万桁まで覚える…などがイディオサバンの異能の例として挙げられます。
山下清も驚異的能力「直観像記憶」により、数々の作品を作り上げたのです。
<自閉スペクトラム症説>
さて山下清が軽度知的障害をベースとしたサバン症候群であったという説はメジャーな説なのですが、最近はもう一つの説が唱えられております。
それは、「山下清は自閉スペクトラム症であった」という説です。
自閉スペクトラム症と知的障害は合併することがしばしばあるので、不思議ではありませんが念のために米国精神医学会の診断基準DSM-5をもとにチェックしてみたいと思います。
まとめると診断基準としては、A項目3つ、B項目2つ、C項目該当、D項目該当となります。
従って山下清は自閉スペクトラム症と言えます。
…というか、フィクションではありますが、ドラマ「裸の大将」を見ると何となく自閉スペクトラム症に当てはまるのは想像できますよね?
【鹿冶の考察】
ところで皆様は山下清画伯の作品についてどう思われますか?
小生は緻密でありながら素朴かつ大胆な作風が好きですし、何よりも画伯の作品に関する評価は現代において定まったものとなっております。
しかし、実は当時の芸術界においては山下清の作品に対して厳しい目が向けられておりました…。
<精神科医に作られた天才画家>
前述の様に山下清は12歳で知的障害者施設に入所しており、正統な芸術教育を受けてきたわけではありません。
にもかかわらず何故これほど山下の作品は人々に受け入れられたのか…?
それは、精神科医の式場隆三郎によるところが大きいのです。
式場隆三郎は新潟大学医学部出身の精神医学者であり、千葉県にある精神科病院「式場病院」を設立しました。
式場は文芸・美術に対して造詣が深く、当時の白樺派の作家たちとも交流がありました。
特に美術に関しては「ゴッホ研究の世界的権威」とまでいわれ、"ファン・ゴッホの生涯と精神病”や”ゴッホの手紙”などゴッホに関する書籍執筆を精力的に行いました。
そしてその”ゴッホマニア”とも言える式場の目に止まったのが、山下清のちぎり絵だったのです。
式場は八幡学園で顧問医を務めておりましたが、山下を「日本のゴッホ」と呼び「山下清ブーム」を作り出します。
実際彼のサポートにより全国のデパートで山下清展が開催され、なんと延べ500万人もの来場者が押し寄せたそうです…。
無名の知的障害者の作品をここまで世に広めるなんて、式場はまさに敏腕プロデューサーですね!
しかし、山下清の作品および式場隆三郎に対して、当時の正統派の文芸評論家たちは容赦ない批判を浴びせます。
例えば美術評論家である田近憲三によると山下清の絵を”工芸的”と評し、絵画としての芸術性をあまり認めておりませんでした。
また文芸評論家の荒正人に至っては、"なぜ式場隆三郎は山下清の猿回しになっているのか。"と式場に対しても厳しい意見を述べ、”山下清も一種の天才かも知れぬが、かれの知能は、自分達より低い。一種の優越感をもって眺めることができる”と、発達障害だから大衆にウケた…と評しました。
週刊誌に至っては、匿名の美術商の「あれは画家じゃないよ。(中略)サーカス興行といっしょだよ。式場隆三郎と新聞社が作り上げたお粗末な芝居だったんだ」という言葉を載せております…。
つまり、当時においては「知的障害」というハンディキャップを食い物にしているという評価が一定数あったのです。
<メディアに作られた放浪の天才画家>
山下清画伯の作品に対する後世の評価を見れば、当時の芸術評論家たちの批判も”逆張りおじさん?”と現代人は冷ややかに思うかも知れません。
しかし、彼らの批判もちょっと頷ける部分もあるのです。
それは映画「裸の大将」やTVドラマ「裸の大将放浪記」という山下清像の誇張です。
ご存知のように「裸の大将」は山下清を全国各地を放浪し、そこでさまざまな人と出会うハートフルコメディなのですが、これは完全なフィクションです。
サバン症候群の個所でも述べましたが、山下画伯が放浪したのは事実であるにせよ、旅先で絵画を作成したことはほとんどなく、知的障害者施設に戻ってからその驚異的な"記憶"を基に作成しておりました。
しかも、山下は自発的に作品を作ることは少なく、施設職員に促されてようやく作成したそうですね...(嫌々、あるいは仕方なく)。
決定的だったのは、1953年米国の雑誌「LIFE」が山下清の行方を追い始めたことから、朝日新聞社が全国の支局を通じて「日本のゴッホ、今いずこ?」と大きく報道され、”放浪の天才画家”が誕生したのです…。
そうです、”天才の放浪画家”というイメージはマスメディアによって作られた"アイドルとしての山下清像"であったのです。
このように熱狂的に国民のアイドルとして祭り上げられた山下清画伯…。
しかし、実は山下画伯自身は映画「裸の大将」をみてこう言ったそうです。
放浪の天才画家という作られたイメージに対して、山下自身に複雑な思いがあったのは間違いないようです。
<山下清の評価からあらためて考える芸術の価値>
ここで小生はふと立ち止まり、芸術作品の”価値"について考えました。
小生は芸術評論家でないのでこの考えが正しいか間違いかわかりませんが、一精神科医の意見と一笑に付していただければ幸いです。
ご存知のように芸術作品に対する価値とは”人を魅きつけ感動させる”ということが前提条件だと思います(あたりまえですね)。
そしてもうひとつ重要な側面として"需要と供給”によって決まる価値、すなわち”値段"…という側面もあります(これは希少性とも関係しますが...)。
もちろん伝説級となる名画のほとんどは美術館で展示・保存され、もはや値段なんてつけられないでしょう。
しかし、世界には昔から"投資"や"資産"として芸術品を蒐集している人々がおり、そのやりとりはもはや我々の理解を超えております...。
例えばルーチョ・フォンタナの「Attese」は朱色で塗られたキャンバスが切り裂かれただけの作品ですが、1億4000万円だそうです…。
またサイ・トゥオンブリーの「Untitled」は筆記体の”e”または”l”を書き続けた作品ですが、2億2000万円という価格がついております。
一見ガラクタや落書きのような作品ですが、本当にこれらの作品にそれだけの価値があり、これらの作品の良さが理解でない我々こそがオカシイのでしょうか?
ここまで話すと、小生はアンデルセンのあの有名な童話を思い浮かべます。
それは「裸の王様」です。
現代芸術って、「愚か者には見えない布で作った服」を互いに褒め称えているだけように見えるのは小生だけでしょうか?
もしも山下清画伯がこの状況をみたら、こう言うかもしれませんよ。
「僕は裸の大将だけど、裸の王様だって?クックック…*、そうはなりたくないね」
(*山下清は大笑いすることが少なく、「クックック」と含み笑いすることが多かったそうです。)
【まとめ】
【参考文献など】
1.Kiyoshi Yamashita: wiki
2.山下清の語られ方 : 知的障害者を「天才画家」とすることについて. 河内重雄, 九州大学日本語文学会, 2009
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/16398/09_kouchi.pdf
3.山下清と自閉症スペクトラム障害(アスペルガー症候群)に関する検討. 山本由佳 ほか, 東京学芸大学紀要, 2016
https://core.ac.uk/download/pdf/33468577.pdf
4.日本におけるアール・ブリュットの展開--脱境界の芸術と福祉の実践(特集 教育--福祉と芸術). 宮地麻梨子,
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