記事一覧
福島の原発事故訴訟(津島原発訴訟)の判決
今日30日、福島の原発事故による一つの賠償訴訟の判決が出ます。 福島の原発事故による賠償訴訟は、この10年の間に、約30の判決が出ています。 http://nuclearpowerplant31…
福島の原発事故訴訟(津島原発訴訟)の判決
今日30日、福島の原発事故による一つの賠償訴訟の判決が出ます。
福島の原発事故による賠償訴訟は、この10年の間に、約30の判決が出ています。
http://nuclearpowerplant311.livedoor.blog/.../16593098.html
今回のオリンピックは「復興五輪」と称し、被災地でも競技を開催していますが、まだまだ復興とは遠い現実があります。
本日判決が出される「津
あれからまもなく10年㉖ 〜市民運動について〜
私は、子どもを守るため、健康と命を守るために避難をしました。
でも、それが認められない現実に愕然としました。
そんな中、私たち「自主避難者」への唯一の支援でだった住宅が打ち切りとなったのです。
原発避難は転勤や引っ越しとは大きく異なります。
被ばくによる健康不安はもとより、精神的なダメージもとても大きいのです。
避難先ですぐに自立できる人もいれば、再出発まで長らく時間を要する人もいます。
あれからまもなく10年㉕ 〜命について(4)〜
母が亡くなって1ヶ月後、私の人生を大きく変える出会いが訪れました。
それから1年後に結婚し、まもなくして娘が誕生しました。
新しい命の誕生はとても嬉しかったですね。
同時に、一番に知らせたい人がいない現実が悲しかったものです。
母の葬儀の際、遺影を見ながら私は弟にこう言いました。
「お母さんは私の娘として生まれ変わる気がする」と・・・
あれからまもなく10年㉔ 〜命について(3)〜
人はいつか必ず亡くなります。
でも、母が亡くなるということは想像すらしたくもないことでした。
母に付き添って6日目。
枕元には心電図モニターが置かれました。
「いつ心臓が止まってもおかしくありません」主治医は言いました。
その夜は、私と父と弟の3人で母を見守っていました。
消灯後、母のベッドの電気スタンドの灯の中、私たちは思い出話を始めました。
すると突然、もう言葉を発することは皆無だった母
あれからまもなく10年㉓ 〜命について(2)〜
私が病院に駆けつけた時は、普通に会話ができた母でしたが、時間の経過とともに、寝ている時間が増え、会話は徐々に少なくなっていきました。
母に付き添って二日目、主治医が訪れ、こう言いました。
「Kさん、明日から個室に移っていただこうと思います」
すると母はこう応えたのです。
「先生、私、個室に行きたくない。だって先生、個室に移動して、戻ってきた人いないじゃないですか!」
沢山の入院仲間を見送った
あれからまもなく10年㉒ 〜命について(1)〜
私が命と向き合うようになったのは、母が亡くなってからでした。
母は、リンパ腫から悪性リンパ腫になり苦しみもがいて亡くなりました。
「母さんが再入院した。今すぐ帰ってきて!」
弟から連絡があり、私は当時住んでいた横浜から新幹線に飛び乗り福島に帰省しました。
息を切らしながら母の病室を訪れると、穏やかな表情をした母がゆっくりと体を起こしました。
「今すぐ帰ってきて!と言われたから慌ててきたけど、
あれからまもなく10年㉑ 〜ペット避難について〜
10年前の発災時、我が家は2羽の小鳥を飼っていました。
福島から関西に避難することを決めて、はたと考えました。
この子たちは避難の長旅に耐えられるのだろうか?
だからといって、どこかに捨てたり、誰かに譲渡したりはできません。
彼らは我が家の一員、当然連れていくしかありません。
私は覚悟を決めて小さなケースに2羽を詰め込み関西を目指しました。
あれからまもなく10年⑳ 〜嬉しい支援とは〜
ウーマンラッシュアワーには原発ネタがあります。
日本のTVタレントが原発の話題を口にする姿をほとんどみたことがないので、彼が出演するときはできるだけ見るようにしています。
そんな彼は被災地にも足を運んだとそうです。
そこで、当事者と対話をし、その一部がネタとなっているようです。
そのひとつが、「千羽鶴はいらない」という話です。
「気持ちは嬉しいが置き場所がない」という話でした。
私は大きくう
あれからまもなく10年⑲ 〜体にいいモノ〜
原発事故により体内に取り込んでしまった放射能をいち早く排出するにはどうしたらいいのか?
それが避難後の一番の課題でした。
様々な情報を収集をする中、「腸内環境を良くすることが大事」であることがわかりました。
そのことから、私は最も効果が見られるという「ビール酵母」と「クロレラ」を積極手的に取り入れたものでした。
そうして、「身体にいいモノ・事」について学ぶことが増えていきました。
そして、「
あれからまもなく10年⑱ 〜根こぎ〜
未曾有の原発事故が発生し、高線量が測定されても避難しない人、戻る人がいる現実があります。
そんな人がいるから私たち避難者が否定される!
・・・失礼ながらそう思ったこともありました。
一方で、一時的な避難はできても、移住のハードルは高いということを身をもって知っていました。
湧き上がる二つの感情をうまく説明できず、もがいていたとき、私は一つの素晴らしいドキュメンタリーに遭遇したのです。
それ