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Evacuated from Fukushima. I am interested i…

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Evacuated from Fukushima. I am interested in lifestyles that are good for my body, mind and environment, and sustainable things.

最近の記事

「届いて!福島第一原発事故避難者が遺した言葉」

2011年3月11日、午後2時46分。 宮城県牡鹿半島の東南東沖130キロメートルで、マグニチュード9.0という日本周辺における観測史上最大の地震が発生。 それにより、福島にあった原子力発電所が爆発し、多くの人が避難を強いられました。 そんな避難者の一人でもある鈴木絹江さん。 鈴木絹江さんは、車いす利用の障害者でした.....。 ▶絹江さんのお話 >3.11後ね、避難についていろいろ大変だったんですけど、私が京都に避難してきたのが2013年10月なのね。 >それま

    • 福島の原発事故を60キロで体験した一避難者からあなたへ

      「あなたの直感を大切にしてください。」 いざというとき、頼りになるのはあなたの直感=第六感です。 「自分の直感など不安だ」 そういう人は少なくないでしょう。 しかし、命の危険と隣り合わせとなった時、右へ行くか左へ行くか、判断するのはあなた自身。 あなたが短時間で判断しなければならないのです。 ではその大事な直感を研ぎ澄ますにはどうすればいいのか? それはあなたの「五感を磨くこと」です。 五感とは、「視覚」「聴覚」「味覚」「嗅覚」「触覚」ですね。 それを磨くには、日頃

      • 国内避難民の人権に関する国連特別報告者による訪日調査を実現する会

        皆さんはご存知ですか? 福島原発事故の影響を受けた地域(福島県及び近隣県)では,公衆被ばく線量限度を超える線量から避難指示を受けずに逃れた避難者がいること。 その人たちには避難生活を維持するための住居が今となっては全く確保されていないことを。 そして、国内避難民の人権に関する国連特別報告者が訪日調査を求めているにも関わらず3年以上も放置されていることを。 私たちは「国内避難民の指導原則」という国際社会のルールに照らして日本の状況を見直したいと考えています。 :::::

        • 福島の原発事故訴訟(津島原発訴訟)の判決

          今日30日、福島の原発事故による一つの賠償訴訟の判決が出ます。 福島の原発事故による賠償訴訟は、この10年の間に、約30の判決が出ています。 http://nuclearpowerplant311.livedoor.blog/.../16593098.html 今回のオリンピックは「復興五輪」と称し、被災地でも競技を開催していますが、まだまだ復興とは遠い現実があります。 本日判決が出される「津島原発訴訟」の一人の原告にフォーカスしたニュースです。 https://news

        「届いて!福島第一原発事故避難者が遺した言葉」

        • 福島の原発事故を60キロで体験した一避難者からあなたへ

        • 国内避難民の人権に関する国連特別報告者による訪日調査を実現する会

        • 福島の原発事故訴訟(津島原発訴訟)の判決

          子宮頸がんワクチン訴訟の経緯

          2016年7月16日の学習会記録より。 ◆子宮頸がんワクチン被害について。HPVワクチンとはヒトパピローマウイルス感染防止ワクチン。 ◆子宮頸がんにかかる人は2014年では11378人。死亡者数2900人。死亡者数が急増するのは70歳代。 ◆全ての子宮頸がんに対応するわけではなく、子宮頸がん患者が保有するウイルスの50-70%に対応。 ◆HPVに感染してもがん発症の確率は0.15%。 ◆子宮頸がんへは長期間かけて進展。早期発見・治療で完治が可。 ◆日本での子宮頸がん検診率は

          子宮頸がんワクチン訴訟の経緯

          「集団訴訟と運動 ~さざ波が大きなうねりになる時~」

          2018年の訴訟学習メモより 1.はじめに「被害」ありき!  ・「被害」の実態をいかに広く深く市民に伝えるか。  ・裁判もそのための手段の一つである。  ・原告らが主体となって、支援者とともに、マスコミ、世論、裁判所、そして政治家)国会・地方議会)に働きかけ、「被害」を共有できたとき、全面解決を引き出すことができる。 2.裁判  ・裁判の目的は、国、企業の法的責任を明らかにすることである。  ・「権力と対決」する裁判においては、支援者の指示を背景に、原告らに闘う勇気を、裁

          「集団訴訟と運動 ~さざ波が大きなうねりになる時~」

          あれからまもなく10年㉖ 〜市民運動について〜

          私は、子どもを守るため、健康と命を守るために避難をしました。 でも、それが認められない現実に愕然としました。 そんな中、私たち「自主避難者」への唯一の支援でだった住宅が打ち切りとなったのです。 原発避難は転勤や引っ越しとは大きく異なります。 被ばくによる健康不安はもとより、精神的なダメージもとても大きいのです。 避難先ですぐに自立できる人もいれば、再出発まで長らく時間を要する人もいます。 そうしたことから、打ち切りを撤回し、延長をしてもらうべく、私たちは行動をしました

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          あれからまもなく10年㉖ 〜市民運動について〜

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          あれからまもなく10年㉕ 〜命について(4)〜

          母が亡くなって1ヶ月後、私の人生を大きく変える出会いが訪れました。 それから1年後に結婚し、まもなくして娘が誕生しました。 新しい命の誕生はとても嬉しかったですね。 同時に、一番に知らせたい人がいない現実が悲しかったものです。 母の葬儀の際、遺影を見ながら私は弟にこう言いました。 「お母さんは私の娘として生まれ変わる気がする」と・・・

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          あれからまもなく10年㉕ 〜命について(4)〜

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          あれからまもなく10年㉔ 〜命について(3)〜

          人はいつか必ず亡くなります。 でも、母が亡くなるということは想像すらしたくもないことでした。 母に付き添って6日目。 枕元には心電図モニターが置かれました。 「いつ心臓が止まってもおかしくありません」主治医は言いました。 その夜は、私と父と弟の3人で母を見守っていました。 消灯後、母のベッドの電気スタンドの灯の中、私たちは思い出話を始めました。 すると突然、もう言葉を発することは皆無だった母が大声で歌い出したのです。 「まんまるお月さまー!お月さまー!」 私たちは驚

          あれからまもなく10年㉔ 〜命について(3)〜

          あれからまもなく10年㉓ 〜命について(2)〜

          私が病院に駆けつけた時は、普通に会話ができた母でしたが、時間の経過とともに、寝ている時間が増え、会話は徐々に少なくなっていきました。 母に付き添って二日目、主治医が訪れ、こう言いました。 「Kさん、明日から個室に移っていただこうと思います」 すると母はこう応えたのです。 「先生、私、個室に行きたくない。だって先生、個室に移動して、戻ってきた人いないじゃないですか!」 沢山の入院仲間を見送った母は子どものように駄々をこねましたが、主治医の熱心な説得に折れるしかありませんで

          あれからまもなく10年㉓ 〜命について(2)〜

          あれからまもなく10年㉒ 〜命について(1)〜

          私が命と向き合うようになったのは、母が亡くなってからでした。 母は、リンパ腫から悪性リンパ腫になり苦しみもがいて亡くなりました。 「母さんが再入院した。今すぐ帰ってきて!」 弟から連絡があり、私は当時住んでいた横浜から新幹線に飛び乗り福島に帰省しました。 息を切らしながら母の病室を訪れると、穏やかな表情をした母がゆっくりと体を起こしました。 「今すぐ帰ってきて!と言われたから慌ててきたけど、元気そうで良かった!」 私は母に声をかけました。 しかし私はその日から24時間

          あれからまもなく10年㉒ 〜命について(1)〜

          あれからまもなく10年㉑ 〜ペット避難について〜

          10年前の発災時、我が家は2羽の小鳥を飼っていました。 福島から関西に避難することを決めて、はたと考えました。 この子たちは避難の長旅に耐えられるのだろうか? だからといって、どこかに捨てたり、誰かに譲渡したりはできません。 彼らは我が家の一員、当然連れていくしかありません。 私は覚悟を決めて小さなケースに2羽を詰め込み関西を目指しました。

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          あれからまもなく10年㉑ 〜ペット避難について〜

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          あれからまもなく10年⑳ 〜嬉しい支援とは〜

          ウーマンラッシュアワーには原発ネタがあります。 日本のTVタレントが原発の話題を口にする姿をほとんどみたことがないので、彼が出演するときはできるだけ見るようにしています。 そんな彼は被災地にも足を運んだとそうです。 そこで、当事者と対話をし、その一部がネタとなっているようです。 そのひとつが、「千羽鶴はいらない」という話です。 「気持ちは嬉しいが置き場所がない」という話でした。 私は大きくうなづいたものでした。 なぜなら、私もそれに似た体験があるからです。 私が被災者

          あれからまもなく10年⑳ 〜嬉しい支援とは〜

          あれからまもなく10年⑲ 〜体にいいモノ〜

          原発事故により体内に取り込んでしまった放射能をいち早く排出するにはどうしたらいいのか? それが避難後の一番の課題でした。 様々な情報を収集をする中、「腸内環境を良くすることが大事」であることがわかりました。 そのことから、私は最も効果が見られるという「ビール酵母」と「クロレラ」を積極手的に取り入れたものでした。 そうして、「身体にいいモノ・事」について学ぶことが増えていきました。 そして、「無添加のモノ」や「自然栽培」や「有機栽培」のモノをチョイスするようになると同時に

          あれからまもなく10年⑲ 〜体にいいモノ〜

          あれからまもなく10年⑱ 〜根こぎ〜

          未曾有の原発事故が発生し、高線量が測定されても避難しない人、戻る人がいる現実があります。 そんな人がいるから私たち避難者が否定される! ・・・失礼ながらそう思ったこともありました。 一方で、一時的な避難はできても、移住のハードルは高いということを身をもって知っていました。 湧き上がる二つの感情をうまく説明できず、もがいていたとき、私は一つの素晴らしいドキュメンタリーに遭遇したのです。 それは2011年8月、E TVにて放映された「私にとっての「3・11」―フクシマを歩

          あれからまもなく10年⑱ 〜根こぎ〜

          あれからまもなく10年⑰ 〜日韓青少年交流〜

          拙著の出版にあたり、韓国語訳をしてくれた友人とは日韓青少年交流キャンプで知り合いました。

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          あれからまもなく10年⑰ 〜日韓青少年交流〜

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