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映画「福田村事件」
森達也監督の劇映画作品「福田村事件」を池袋シネマ・ロサで観てきました。 https://www.fukudamura1923.jp/ 題材は1923年の関東大震災の混乱の中で、香川県の薬の…
「ホープレス in ドナウ川」
佐藤ジョアナ玲子さんの新刊「ホープレス in ドナウ川」(報知新聞社)を読みました。斉藤茂太賞を受賞したデビュー作「ホームレス女子大生川を下る」に続く川下り体験記第2弾です。
小説でもそうだと思いますが、特に事実を題材とするノンフィクションは1作目が評価された後の2作目というのは難しいものです。1作目のインパクトがあまりにも大きかったので、今度はどうかな…と思いましたが、見事に1冊目の水準を
『事実を集めて「噓」を書く 心を揺さぶるスポーツライティングの教室』
もう21年も前のことですが、知り合いからスポーツライター講座の講師を頼まれたことがありました。記者歴6年目。今よりもっと未熟で、人に教えるなどとんでもない。丁重にお断りしましたが、即座に「あの人なら間違いない」という人物として、浮かんだ代役が、藤島大さんでした。
その時は藤島さんを口説き切れなかったのですが、その4年後には結局、別のところからの同じような依頼を引き受けていたようです。新刊『事
「〇月〇日、区長になる女。」
ポレポレ東中野で公開中のドキュメンタリー映画「〇月〇日、区長になる女。」(監督・ペヤンヌマキ)を観て来ました。
2022年6月の杉並区長選挙。緑豊かな文教都市で行政が進めている再開発、道路拡張、施設再編計画にストップをかけたい住民たちが、擁立した、元NGO職員・岸本聡子さんの選挙戦を支援者が内側から撮影した作品です。
草の根的な市民選挙を展開し、3期12年勤めた田中良氏をわずか187票差
「ブッダという男ー初期仏典を読みとく」
ブッダ(釈尊)観が一変する衝撃の一冊を読みました。12月10日に発売された「ブッダという男―初期仏典を読みとく」(清水俊史著、ちくま新書)。
初期仏典に登場するブッダは、空中浮揚や瞬間移動をしたなど、現代人の感覚では信じがたい神話的記述に満ちた形で描かれています。そういった神話的要素を取り除き、歴史的人物としてのブッダ像を浮き彫りにしていくというのが、中村元博士をはじめとする近年の仏教学者の
「天気のことわざは本当に当たるのか考えてみた」
大学山岳部時代のヒマラヤ遠征でベースキャンプへ向かっている時のこと。テント内にヒルが次々と侵入して来て辟易したことを覚えています。
「明日は雨だな」。そうつぶやいたのはシェルパのサーダー。その言葉どおり翌日はザーザーと雨が降っていました。目や耳、肌で感じて天気を予想する「観天望気」というのは、バカにできないんだな、と感じた私の体験です。
「猫が顔を洗うと雨」「暑さ寒さも彼岸まで」なんてい
サバイバル登山家、服部文祥さんの「いのちのうちがわ B面」
サバイバル登山家の服部文祥さんから新刊「いのちのうちがわ B面」(笠倉出版社)を送って頂いた。写真家・石川竜一氏の写真作品とコラボレーションした写真詩集。案内文には手書きで「詩人デビューしました」と書き添えられてい。
最小限の装備で山に入り、食料は獲物を撃ち殺すことで現地調達する登山家の服部さんが詩人に―。ただ、突飛だという印象はまったく感じなかった。なぜなら服部さんは松本清張賞候補にも挙が
『東大野球部には「野球脳」がない。』
新刊『東大野球部には「野球脳」がない。』(文藝春秋)を読みました。最難関国立大学において、野球に情熱を捧げる頭脳派選手たちへのインタビューで構成された1冊です。
私は、立教大学に通っていた頃、東京六大学野球の応援に何度か神宮球場へ行きました。私が1年生だった89年は、エースの元永知宏さん(現スポーツライター)が活躍し、23年ぶりのリーグ優勝を遂げた年でしたが、それ以降は低迷していたと思います
「事実はどこにあるのか 民主主義を運営するためのニュースの見方」
敬愛する元共同通信記者、澤康臣さんの新刊「事実はどこにあるのか 民主主義を運営するためのニュースの見方」(幻冬舎新書)を読み終えました。
SNSが発達し、デジタル情報の総量はこの20年で1万6000倍になったと言います。新聞の購読者は減少の一途を辿り、若い世代のテレビ離れも進む一方。もうニュースはスマホで見る時代です。しかし、SNSへの依存が深まる中で、ニュースから「真実」を見抜くことができる
服部文祥さんの「お金に頼らず生きたい君へ」を読んで
食料や燃料は現地で調達する「サバイバル登山」の提唱者、服部文祥さんの新刊「お金に頼らず生きたい君へ」(河出書房新社)を読みました。
お金に頼らず生きることはできないか―。実は最近ちょうどそんなことを考えていたところでした。
私自身、大学山岳部の出身ですが、最近は自分の先輩や後輩の中で、山村に生活の拠点を移し、貨幣経済に頼らぬ生活(どこまで徹底するかは個人差がありますが)を志向する人が出て