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「犬橇事始」

 探検家・作家の角幡唯介さんの「裸の大地 第二部 犬橇事始」(集英社)を読み終えました。北極での狩猟漂泊行の第2作。

 すでに「地理上の到達主義」を脱した探検家の著者が描こうとしているのは、従来の「到達者」の視点を「狩猟者」に変え、犬橇を操り、獲物をとりながら自由自在に旅することで、初めて見えてきた極限の地の姿。つまり「裸の大地」です。

 必ずしも思い通りに動かず、時には暴走する犬たちを従えての悪戦苦闘ぶりだけでも読み応え十分ですが、角幡さんのすごいところは、犬橇旅行を通じて、到達した深遠とも言える境地を文字化していくことでしょう。

 「装備を自作することは、生き方を問われていることにひとしい」「修理こそ、旅を自分の手にとりもどすという理念が結晶する瞬間」本書の中から、見つけ出したこんな言葉には、学生時代からの自分の登山経験を思い出し、はっとさせられました。

 そして何といっても圧巻なのは、狩猟で獲物を仕留めた時の境地でしょう。角幡さんはこれを「自然にたいする勝利ではなく、祝福の瞬間」なのだと言います。「獲物とは土地と調和したことが土地から肯定された証」なのだと。

 私が真っ先に思い出したのは、武道の世界でも、他者を克服するのではなく、他者と調和することを究極の理想とするという思想があるということです。

 極限の地で自然と対峙するということは、武道の理念にも通じるのではないか。修験道の世界でも「武術と山岳修行は同根である」という考え方があると聞いたことがあります。

 そう言えば、角幡さんは著書「旅人の表現術」の中で、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」や「七帝柔道記」の著者として知られる増田俊也さんと対談をしています。そんな視点から読み返すと、新たな気づきがあるかもしれません。

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