映画監督『スタンリー・キューブリック』新しい映像感覚と完璧主義者①
今回は久しぶりに映画関連の記事です。
映画監督『スタンリー・キューブリック』についてです。
①『スタンリー・キューブリック』映画監督になる前のキャリア
1928年7月26日 キューブリックは、ニューヨークのマンハッタンで生まれる。
両親は開業医を営むユダヤ人。彼はその長男。
少年時代、「チェス」、「ジャズ」、「カメラ」に興味を持つ。
特に「カメラ」は、彼の経歴の出発点となる。
1941年〜1945年 『ウィリアム・ハワード・タフト高校』に在籍。
彼は平均的な成績しか取得できなかったが、若い頃から文学、写真、映画に対して熱心な興味を示していた。
その後、『ニューヨーク市立大学シティカレッジ』の夜間部に入学するが、すぐに中退。
そのころは、ジャズ・ドラマーを目指していた。
1945年 当時の大統領『フランクリン・ルーズベルト』の死を伝える一枚の写真が写真雑誌『ルック』誌1945年6月25日号に売れた。
彼は、『ルック』誌に見習いカメラマンとして在籍するようになった。
・1951年『拳闘試合の日』
Day of the Fight [Stanley Kubrick, USA, 1951]
1951年 『拳闘試合の日』制作。(20分程度のショートムービー)
これは、『ルック』誌に載ったキューブリック自身のフォト・ストーリーを元に製作した映画デビュー作。
この作品から、キューブリックは映画の道を歩み始めた。
この映画は3900ドルかかったが4000ドルで売れた。
この成功をきっかけにキューブリックは『ルック』誌を退社した。
②初期の映画作品『非情の罠』
・1953年『恐怖と欲望』
親類から借金をして初の長編劇映画『恐怖と欲望』を自主製作。
Stanley Kubrick's FEAR AND DESIRE (dvd and blu-ray trailer)
『恐怖と欲望』Fear and Desire
監督 スタンリー・キューブリック 脚本 スタンリー・キューブリック、ハワード・サックラー
製作 スタンリー・キューブリック、ナレーター デヴィッド・アレン
出演 フランク・シルヴェラ、ケネス・ハープ、ポール・マザースキースティーブ・コイトほか
公開 1953年3月31日
・ストーリー
どこの国かは分からないとある戦場。乗っていた飛行機が墜落し、敵陣の森に取り残された4人の兵士たち。
彼らは筏をつくって川を下り脱出する計画を立てる。
製作側も出演者もほとんど映画製作の経験がなく、低予算で作られた映画。
キューブリックは本作を「アマチュアの仕事」として、できるだけ多くのプリントを自分自身で購入して封印したため、長らく「幻のデビュー作」となっていた。
ニューヨーク・ロチェスターのコダック・アーカイヴに1本だけフィルムが残っていた。
この映画は、商業的に失敗するが、ニューヨークの批評家からは賞賛された。
・1955年『非情の罠』
Killer's Kiss Official Trailer #1 - Frank Silvera Movie (1955) HD
『非情の罠』Killer's Kiss
監督 スタンリー・キューブリック 脚本 スタンリー・キューブリック、ハワード・サックラー
製作 スタンリー・キューブリック、モリス・ブーゼル
出演 ジェイミー・スミス、フランク・シルヴェラ、アイリーン・ケイン、ジェリー・ジャレットほか
公開 1955年9月28日
・ストーリー
うらぶれたボクサーが、向かいのアパートに住む女を情夫の手から救い出そうとするという物語。
低予算の中で凝りまくった映像と、しがない男女のふれあいが切なく描かれている。
特にマネキン倉庫で迎えるクライマックス、無数のマネキンに囲まれたまま繰り広げられる格闘シーンなどは、ちょっと他では見られない特異な画面。
『非情の罠』も製作費を回収するほどの商業的成功を収めることはできなかった。
1955年 同い年の『ジェームズ・B・ハリス』とともに『ハリス=キューブリック・プロダクションズ』を設立。
・1956年『現金に体を張れ』
The Killing - Original Trailer [1956] HD
『現金に体を張れ』The Killing
監督 スタンリー・キューブリック 脚本 スタンリー・キューブリック、ジム・トンプスン 原作 ライオネル・ホワイト『逃走と死と』
出演 スターリング・ヘイドン、コリーン・グレイ、ヴィンセント・エドワーズ、ジェイ・C・フリッペン、テッド・デ・コルシア、マリー・ウィンザー他
製作 ジェームズ・B・ハリス 公開 1956年6月6日
・ストーリー
ジョニーは出所したばかりにも関わらず、競馬場の売上金強奪を企み仲間を集める。
周到な準備の末、いよいよ決行の時が来るが、計画が成功したかに思えた瞬間、思わぬ展開がジョニーたちを待っていた。
ライオネル・ホワイトの原作『見事な結末“Clean Break”』を、キューブリックがタイトにフィルムに転化させた犯罪アクション。
小説ではごく普通に行われている、同時に起きている出来事を時間を繰り返して順列で描くというテクニックを映画で披露して見せたところが最大のポイント。
また、犯行シーンのダイナミックな演出も見逃せない。
・1957年『突撃』
Paths of Glory (1957) Trailer - The Criterion Collection
『突撃』Paths of Glory
監督 スタンリー・キューブリック 脚本 スタンリー・キューブリック、カルダー・ウィリンガム、ジム・トンプスン
原作 ハンフリー・コッブ
製作 ジェームズ・B・ハリス、カーク・ダグラス、スタンリー・キューブリック
出演 カーク・ダグラス、ラルフ・ミーカー、アドルフ・マンジュウほか
公開 1957年12月25日
・ストーリー
無謀な作戦によって、激戦地で危険と恐怖にさらされた兵士の怒りを描く戦争ドラマ。
第一次世界大戦下の、フランスの最大の課題はドイツ軍の撃退だった。
そんな中、ダックス大佐はドイツ軍の要所を攻略する命令を受ける。
だが、兵士たちの疲労を知るダックスは、現在攻撃を仕掛ければ兵士たちが壊滅的打撃を受けると抗議する。
しかし、ダックスの抗議を軍上層部は無視し、作戦は実行される。
フランス軍は大敗し、ダックスは責任を問われ軍法会議にかけられる。
1957年 キューブリックは俳優『カーク・ダグラス』と共同製作の反戦映画『突撃』を製作した。
これによって彼のハリウッドでの評価は上がった。
さらに俳優『マーロン・ブランド』から作家『チャールズ・ネイダー』の小説の映画化を依頼された。
しかし、制作段階での意見の対立などにより、キューブリックはブランドから解雇された。
このプロジェクトはブランド自身が監督を務めて、1961年に『片目のジャック』として完成された。
③ 1960年スペクタクル超大作映画『スパルタカス』
前作『突撃』でタッグを組んだ俳優『カーク・ダグラス』に頼まれて、スペクタクル超大作の『スパルタカス』は、監督を降板した『アンソニー・マン』の代役として、キューブリックがメガホンを握った作品だった。
・1960年『スパルタカス』
Spartacus Official Trailer #1 - Kirk Douglas, Laurence Olivier Movie (1960) HD
『スパルタカス』Spartacus
監督 スタンリー・キューブリック 脚本 ダルトン・トランボ
原作 ハワード・ファスト 製作 エドワード・ルイス
製作総指揮 カーク・ダグラス
出演 カーク・ダグラス、ローレンス・オリヴィエ、ジーン・シモンズ、チャールズ・ロートン、ピーター・ユスティノフ、ジョン・ギャヴィン、トニー・カーティス他 公開 1960年10月7日
本作は元々『アンソニー・マン』監督でクランクインしていた。
しかし彼が『カーク・ダグラス』との衝突により降板したため、当時まだ無名だった『スタンリー・キューブリック』が呼び寄せられた。
マン演出によるシークエンスは現行本編冒頭に残っている。
・脚本に関して
キューブリックは不満のあった『ダルトン・トランボ』の脚本を現場で書き換えた。
撮影終了後、当然脚本家クレジットの問題が持ち上がった。
そこで、キューブリックは自分の名前を表記するように主張した。
最終的にクレジットはトランボのものとなった。
しかしこの作品では、もともと制作・主演のカーク・ダグラスが各キャストの出演承諾を得るため、
トランボの脚本をそれぞれのキャストに都合良く書き換えた版が送付されたとも言われている。
『ピーター・ユスティノフ』も脚本の手直しを行った。
キューブリックも旧知の『カルダー・ウィリンガム』に戦闘シーンの執筆を依頼している。
一方、元の脚本を書き直されたトランボは製作現場から締め出され、撮影終了後ようやくフィルムを見て修正案を提出し、戦闘シーンが撮り直された。
※脚本家『ダルトン・トランボ』とは、
『Johnny Got His Gun』 (Penguin Modern Classics) ペーパーバックDalton Trumbo
小説『ジョニーは戦場へ行った』ダルトン・トランボ ※日本語翻訳本は現在絶版
小説および映画『ジョニーは戦場へ行った』の作者として知られる人物。
赤狩りに反対したいわゆる『ハリウッド・テン』の一人として長年不遇の扱いを受けていた。
・映画『スパルタカス』の反響
『ダルトン・トランボ』が13年ぶりに実名で脚本を担当したことから、公開当時は右派や軍人を中心に非難や上映反対運動が起こった。
『ジョン・F・ケネディ』大統領(当時)が事前通知なしで劇場を訪れて同作品を観賞し、好意的な感想を述べたことで、大ヒットにつながった。
キューブリックはあくまで監督として「雇われた」だけだと言い張り、死ぬまでこの映画を自分の作品とは認めなかった。
彼は「あの映画には失望した」とまで言っていた。
これは製作者『カーク・ダグラス』が大物俳優であったことにより、キューブリックの思惑どおりになかなかことが進まなかったことが理由。
ただし近年までの本作品の評価は一般的、批評家的にも高評価。
キューブリック本人の自作否定とは反して、監督本人のキャリアを汚すような作品ではない。
もっとも、『スパルタカス』ともあろう者がローマ軍の捕虜となる筋書きには批判もある。
④1961年〜 ハリウッドを離れイギリスへ(キューブリック監督円熟期)
『スパルタカス』撮影時に感じた、プロデューサー主導によるハリウッドの製作体制に嫌気が差したキューブリックは、
1961年 イギリスへ移住。
彼は、残りの人生とキャリアの殆どを同地で送った。
ハートフォードシャーのChildwickbury Manorにある、妻の『クリスティアーヌ』との共有の自宅を仕事場として、そこで脚本の執筆や取材、編集、そして映画製作の細部にわたる管理を行った。
このことが、ハリウッドのメジャースタジオからの類まれな予算の支援を得つつ、自分の作品に関する完璧主義的な芸術活動を完遂することを可能とさせた。
彼のイギリスでの最初の映画は、『ウラジミール・ナボコフ』原作の『ロリータ』(1962年)である。
・1962年『ロリータ』
Lolita (1962) Official Trailer - James Mason Movie
『ロリータ』Lolita
監督 スタンリー・キューブリック 脚本・原作 ウラジーミル・ナボコフ
製作 ジェームズ・B・ハリス
出演 ジェームズ・メイソン、スー・リオン、シェリー・ウィンタース、ピーター・セラーズ他
公開 1962年6月12日
1962年公開『ロリータ』は、『ウラジーミル・ナボコフ』の同名小説を原作とし、ナボコフ本人の脚本でスタンリー・キューブリックが監督した作品。
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