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亜久里
2022年8月20日 22:00
明け方から決行した抗議活動に、斎藤はいやいやながらつき合ってくれた。素人じみた真似するんじゃないと、機嫌はかんばしくなかったけど、結果的に十人くらいの仲間も集めてくれた。どれくらい払ったんだろう。毎回協力者を買収しないといけなくなると、先の見通しは暗い。幸い、市民が声を上げるのが珍しい国だから、とたんにニュースやバラエティー、ワイドショーのカメラが回って来た。遠巻きに騒ぎを撮影するメディアたち。
2021年12月12日 00:16
ナンパって人生で数多くこなしてきた訳でもなく成功率はフィフティ・フィフティ。ゲーム感覚で挑んでるからほぼ運試しだけど、今日はとりわけツイていた。九月のちょっと気怠い昼下がり。チョコレートブラウンの髪をポニーテールにまとめた彼女の胸元にはクリスタルのネックレスが揺らめき、少し襟を抜いて着たVネックのブラウスと大胆なカッティングのレーススカートが六本木そのものっていう可憐な出で立ちだ。「お姉さん、
2021年12月12日 19:02
海外ブランドの路面店はないけれど、値の張るアンティーク家具やジュエリーを売る店の並ぶこの界隈には、数か月前から怪盗が出没すると噂だった。報道番組はその話題で持ちきりだ。言ってしまえばただの強盗だけど、ガラスは無傷、警報も反応せず、それでいて一級品ばかりをくすねとって、重厚な封蝋をほどこした犯行声明に「頂戴いたします」なんて走り書きをわざわざ遺していく。そんな浪漫をそそる手口から、雑誌やニュースは
2021年12月13日 21:20
「奴は変装して現場近くに潜り込み、誰にも怪しまれずに下見をする。決行するのは、きまって月のない晩だ」はばかりのない週刊誌が聞き集めからつくったモンタージュを載せていた。ほっそりした顎と、少しこけた頬、意志のある大きな瞳は無関心で挑発的だった。呼び名は「怪盗アビシニアン」と相場が決まったようだ。しなやかな四肢と生姜色の毛並みを持った猫の品種だ。 盗られるものは貴金属が多い。金時計の鎖、オパール
2021年12月16日 21:39
目的の商店に向かう前に、周音は気ままな店舗街をぶらぶら歩いた。広い間口の平屋建てが多い。アパート通りから駅の近くまで緩やかに移行する道のりには洋品店やドーナッツショップ、北欧家具の展示場なんかが並んでいた。一点もの、じゃなくて一店もののこだわりは外装やのぞきこむインテリアからも感じ取れて、自然と鼻歌が漏れた。お散歩ついでに眺めるのも楽しそう。ガラス張りのディスプレイも、人肌を寄せつけない人工的な
2021年12月17日 22:36
バスを待つ子供たちが石段のへりに腰かけ、手遊びをしながら歌っている。女の子二人、男の一人の傍らには赤、茶色、黄緑のランドセルが脱ぎ捨ててられていた。きっと午前授業の下校途中。「はりもとあやの」「あんど」「もちだこうすけ」「えー、なんで俺!」 指の先、間の水搔き。それからまた指の先、間の水搔き。節をつけて名前の文字数をなぞる、昔ながらの恋占いだ。「アイ、ラブ、ジェー、ケー。アイ、ラブ……
2021年12月18日 23:24
残りの道のりはスムーズだった。郊外の市民病院へ向かう車通りの少ない国道を、快適な時速35キロで滑り、正面口のロータリーに軽を横づけた。「コート着なくて、寒くない?」「大丈夫大丈夫。中は暖房が効きまくりなんだもの」「そうだけど、帰りもあるでしょ。ほら、持っていきなって」 助手席のシートに放ってあった春用のジャンパーを母に手渡す。四月の半ば、心底冷える気温は少なくなったけれど、はやり朝晩は羽
2021年12月20日 19:39
駅前のパーキングに軽を停め、公衆トイレで肩身の狭い思いをしながら着替えをした。地元の友達の結婚式にも使った、水色のAラインワンピース。ちょっと気合を入れすぎかもしれない、とタイル壁に貼られた姿見の前でまごついた。でも、ここまで来たんだからもう仕方ない。鏡をにらむ一瞥に力を込め、自身を奮い立たせて改札に向かった。 東京に出るのは何か月ぶりだろう。家が国立にあるのに「東京に行く」って不思議な表現に
2021年12月29日 21:43
麻耶の笑顔に、私の口元にも自然に微笑みが浮かんだ。「私も会いたかった。来てくれて、ありがとう」「ううん。未来のお願いなら、喜んで」 私たちは並んでデパート前の並木道を歩いた。その間も、私はうつむいたり、ブランド店の瀟洒な間口をのぞき込んでみたり、ふわふわと足の浮く心地だった。時折、磨き上げられたデパートのガラスに私たちの姿が映った。肩の力を抜いた麻耶の歩幅の隣、念を入れて巻いてきた私の髪
2021年12月29日 23:33
シフトを早く上がったら店横の路地に斎藤が待っていた。「英恵」 街燈の影から呼び止められて、心臓が止まる思いだった。逆光の明かりの中から、ジャージにパーカーを引っかけた斎藤の姿が浮かび上がると、英恵は頬をシニカルな表情に歪めて笑った。「なに。待ち伏せ?」「こっそりシフト早抜けしただろ。まだ八時五十分」「知らないよ、十分くらい。お客も少ないんだ」「繁盛してないな。つぶれるんじゃないか、あ
2021年12月30日 16:54
怪盗アビシニアンが今週も現れた。ここ三か月で、十件目になる犯行のターゲットとなったのは東銀座の老舗時計店だった。ある朝、店主が出勤してみると、鍵付きのガラスケースに展示してあった年代物の高級時計が忽然と消えている。封蝋つきの置き書きには、優雅な書体でゆとりある声明が綴られていた。 新聞や雑誌、ネットの記事がこの大胆不敵の犯行を見過ごさないわけがなかった。十件の犯行現場を東京の地図上にプロットし
2022年2月4日 12:14
周音の待ち伏せ作戦が始まってもう二週間になる。この頃は二階のベランダに近くに暗幕を張り、隠しカメラを稼働させつつ、自分は夜な夜な怪しい箇所へ潜伏しに出掛ける。昭和の刑事ドラマじゃないけれど、それこそ餡パン片手に目ぼしいと思われる店舗の裏口に待ち構えるなんてこともあった。おかげで、周音の生活は完全に昼夜逆転していた。 僕はといえば良くも悪くも、いつも通りの生活を遂行していたけれど、陰ながらそのス
2022年8月18日 22:28
数か月前より、東京各地で犯行に及び話題をさらっている、通称・怪盗アビシニアンについて、独自取材による続報が入った。それも、第一報を発した女性ライターからの再投稿。なんでも、今まで報道機関があてにしてきた怪盗の特徴が間違っていた可能性があるというのだ。 周音は原稿から顔を挙げ、慶介に勝利の色の瞳を向ける。疲労感は完全には去っていないが、安堵が前面に張り出していた。まず、ここまで来られた。周音は