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【連載】東京アビシニアン(10)Jiyugaoka

 怪盗アビシニアンが今週も現れた。ここ三か月で、十件目になる犯行のターゲットとなったのは東銀座の老舗時計店だった。ある朝、店主が出勤してみると、鍵付きのガラスケースに展示してあった年代物の高級時計が忽然と消えている。封蝋つきの置き書きには、優雅な書体でゆとりある声明が綴られていた。
 新聞や雑誌、ネットの記事がこの大胆不敵の犯行を見過ごさないわけがなかった。十件の犯行現場を東京の地図上にプロットし、何らかの関連性や法則性を見いだそうとする苦しまぎれの考察が紙面を跋扈ばっこした。怪盗の出没した点を順に結んでいくと、複雑な軌道の多角形に見えなくもない。この形状は古代文明の悪魔召喚術を思わせる魔法陣だと、恥ずかしげもなく騒ぎ立てたレポーターは、次の現場を西葛西の骨董店と予想して、閑静な商店街に寝ずの番を張っていた。予想はあざやかにくつがえされた。
 警察も黙ってはいない。数少ない目撃証言や遺留品から、ヴェールに包まれた犯人像を割り出そうと奔走した。怪盗につながる証拠は少なかった。ひとの警戒心を逆なでするような手口に関わらず、細部の後処理は怠りなく、指紋や足痕はどの現場からも検出されない。周辺の質屋や宝飾類の買取店には情報提供を呼び掛けるチラシが配られた。心当たりの換金や質入れには応じず、付近の交番に一報を入れること、と言い含めつつ、盗品の数々をしめした豪勢な目録をめくる警官が、気を緩めた隙に甘いため息を吐く。それにしてもうつくしもの好きの窃盗犯だった。
「換金もしないのなら、何で盗むのかな。快楽犯っていうの?」
「海外のギャングとつながって密輸しているとか?」
「自分で身につけるんですかね。指名手配中のお宝の数々を」
「ここまで来ると捕まるのが楽しみだよ。今までの謎が一気に解けるんだから」
 街の噂には際限がない。闇を縫って這う夜霧のように、明るく閃いたと思うと静かに退散する。その合間にシャッターが音もなく切られた。横切る人陰を映して眼光が鋭く瞬くと、四つ足の怪盗がネガ上に裏腹となって浮かび上がった。

(つづく)

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