【連載】東京アビシニアン(5)Kunitachi
バスを待つ子供たちが石段のへりに腰かけ、手遊びをしながら歌っている。女の子二人、男の一人の傍らには赤、茶色、黄緑のランドセルが脱ぎ捨ててられていた。きっと午前授業の下校途中。
「はりもとあやの」「あんど」
「もちだこうすけ」
「えー、なんで俺!」
指の先、間の水搔き。それからまた指の先、間の水搔き。節をつけて名前の文字数をなぞる、昔ながらの恋占いだ。
「アイ、ラブ、ジェー、ケー。アイ、ラブ……」
リズムに乗った子供たちの声が心地よく耳に届く。
私は国道を徐行しながら、左折レーンに入り、信号待ちの列に加わったところだった。懐かしさをそそる光景は助手席側の窓をひとときだけ照らした。
アイは片思い、ラブは両想い、ジェーは絶交、ケーは結婚、だったっけ。どんな結果でも囃し立てるお調子者の男子がいて。え、お前ら結婚ー!おめでとうー、結婚式呼んでよな! なんてふざけすぎると女の子が泣いちゃったりして。すぐに先生を呼んでくる子もいて。わたしは、やめた方がいいって言ったんですけど。って重大ぶるから、じゃあ学級会で話し合いましょう。人の名前でふざける遊びは、嫌な気持ちになる人がいるからやめましょう。みんなの名前は、おうちの人が愛情を込めてつけてくれたんですよ。友達の名前をからかうのは失礼です、いいですね。そうしたら、先生同士の名前で指恋占いを始める懲りない輩。山本せんせーと梶谷せんせーはラブラブ!ヒュー! で、今度は収拾つけられなくなった先生が涙目。
あほらしくて騒がしい記憶だけど、残酷な遊びだと今は思う。二人の相性は名前によって決められていて、どんな努力や働きも未来を変える力がないって言い切っているようなもの。なんて考えすぎか。
「ラブ! あやのと持田、両想いじゃーん」
「そんなわけない。もっかい、もっかいやってみて!」
何度やってみても同じだよ。悟りきった大人は冷淡につぶやく。次は別の組み合わせを占おうと、子供たちは取っ組み合うようにじゃれ始める。信号が変わって車列は整然と進みだす。私も流れに遅れないよう、緩やかにアクセルを踏んだ。あやのと持田ともう一人は、バックミラーに小さくなった。
大人になればなるほど、好きになった人に振り向いてもらおうとする、手立てがわからなくなった。考え方、感じ方の鋳型が頑丈になるにつれ、他人を受け容れる度量も、他人の胸に飛び込む隙も失くしてしまった気がした。学生時代は非合理だと跳ねのけた部類のおまじないに、立ち返り寄り掛かる指向を感じ始めてる。歳をとるのは弱くなることかもしれない。
感傷に浸ったのもつかの間だった。
「あの指遊びって何、『天国地獄、大地獄』みたいなもの?」
と母が後部座席で言ったから、身も蓋もない、まあそんなものよーと水母のように返事した。
(つづく)
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