見出し画像

【連載】東京アビシニアン(4) Jiyugaoka

 目的の商店に向かう前に、周音アマネは気ままな店舗街をぶらぶら歩いた。広い間口の平屋建てが多い。アパート通りから駅の近くまで緩やかに移行する道のりには洋品店やドーナッツショップ、北欧家具の展示場なんかが並んでいた。一点もの、じゃなくて一店もののこだわりは外装やのぞきこむインテリアからも感じ取れて、自然と鼻歌が漏れた。お散歩ついでに眺めるのも楽しそう。ガラス張りのディスプレイも、人肌を寄せつけない人工的な輝きではなく、吹きガラスみたいな有機的な不器用さと温もりがある。
「つくづく、慶介けいすけにはもったいないわ」
 ショーウィンドウの中に座ったウサギの置物に照準を合わせ、今日のご挨拶がわりの一枚をぱしゃりと撮った。
「撮影はお断りしているんです」
 店内から、やんわりと品のある声が掛かって、真珠色の銀髪とエメラルドグリーンのカーディガンが印象的な婦人が店から出てきた。
「すみません、失礼しました」
 周音はカメラを下ろし、かしこまって頭を下げた。
「中西周音といいます。ルポライターで、この辺りで起こった事件を取材しているんです。店頭のウサギさんに目を惹かれて、つい」
「ルポ、ライター、さん?」
 婦人は周音が手渡した名刺の肩書を不思議そうに口に出した。
「はい。事件や社会問題の取材をして記事を書く。ジャーナリストと似たようなものです」
 婦人は物めずらしそうに、新しく聞いたカタカナ語の感触を確かめるように小声で何度かつぶやいてから、
「わからないけれどご苦労様ね」
 と微笑んだ。
 この店は見る限りヨーロッパの蚤の市を再現したようで、窓の近くにはレース飾りや革小物、お庭に置くような天使の石膏彫刻などが並んでいた。周音と目が合ったウサギの置物は真鍮製で、草むらを跳ねまわる動きあるポーズをしていたけれど、首の周りには革ひもの端切れか何かでこしらえたリボンが巻かれ、ちょっとした少女趣味を加えていた。
 この店は婦人のもつ雰囲気とよく合っている。店主の銀髪はたおやかに、宝箱の中に仕舞ってきた刺繍や野の花、コットンパールや木製ビーズの数々を年齢と共に育て、一気に花咲かせたような明るさがあった。
「事件と言うと、あれかしら。怪盗がお宝を盗むって言う」
 婦人が少し真剣な目になって尋ねた。
「そうなんです、怪盗アビシニアンの連続強盗事件」
「物騒よねぇ、こんなに静かな住宅街で。どんな人なのかしら、犯人は女の人だって聞いたわ」
 不安を打ち明けられるかと思いきや、婦人は好奇心と不謹慎がない交ぜになった声になって、そっと顔を近づけてきた。噂話をするようでお行儀が悪いけれど、気になって仕方がないのよ、と言わんばかりに潜めた声にきらめきが散りばめられていた。
「断定はできませんが。エレガントな手口から考えて、その可能性は大きいかと」
「しなやかな女性の怪盗だなんて、少年文庫を読んでいるみたい。壁を登ったり、ロープを伝って屋根から下りたり、窓から窓へ飛び移ったりもするのかしら」
「さあ、この辺りは背の低い建物が多いですから」
「……それもそうね」
 婦人も気を取り直し、
「被害に遭ったお店からすればいい迷惑ね。知り合いのアクセサリーショップもこの間ねらわれてしまったの」
 ふと通りの向こう、ジュエリー・ムラナカの方角に目を遣った。三日前、華麗な裏口破りによって、高価な瑪瑙やアメジストの原石が持ち去られていた。
「わたし、そのお店をこれから取材しようと思って」
 婦人は大きくかぶりを振った。
「その方、強盗に入られたと知ったら震え上がってしまって。しばらくはお店をお休みして、大阪の息子夫妻のところで過ごすと聞いているわ」
「そうだったんですか……」
 じゃあ、直接話を聞ける見込みは少ないか。落胆が顔に出ていたのだろうか、婦人は周音を元気づけるように声を弾ませた。
「でも、きっと何かを見た人はいるはずよ。ルポライターさんの腕を生かして、真実に迫ってね」
「ありがとうございます」
「そうそう、さっきのウサギの置物の写真。使ってくださっていいわよ。ルポライターさんだなんて知らなかったから。最近は商品の写真を撮って、同じものをもっと安く売るお店に誘導する、悪意のある人たちも多いのよ。でも、あなたなら安心よね。周音さん」
 婦人は朝顔の開くような輝きで目を細めた。周音さん、と呼ばれるとなぜだか背筋が伸びた。
「そう言っていただけると嬉しいです。ささやかなお返しに写真をお取りしてもいいですか」
「わたしの? それはまあ、嬉しはずかしだわ」
 婦人は上品に頬を染め、店の前でポーズをとった。優し気な眼差しでファインダーを見つめ、エメラルドグリーンの上体を凛と伸ばす姿は堂々としていた。
「待ってくださいね。こっちのカメラで、っと。はい、笑って。チーズ」
 両手にころんと収まるインスタントカメラ。すぐに真新しい一枚が吐き出された。穏やかな日、アンティークのお店、目に新し物好きの輝きをたたえた店主の婦人。てらてら光る印刷面を風で少し乾かしてから、ふと考えついて周音は端に書き込んだ。
 #34
 ほやほやの一枚を婦人に手渡し、もう一度会釈をしてから、仕事用のカメラを担ぎ直して次へと向かう。

(つづく)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?