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【連載】東京アビシニアン(12)Jiyugaoka

 数か月前より、東京各地で犯行に及び話題をさらっている、通称・怪盗アビシニアンについて、独自取材による続報が入った。それも、第一報を発した女性ライターからの再投稿。なんでも、今まで報道機関があてにしてきた怪盗の特徴が間違っていた可能性があるというのだ。

~続報 怪盗アビシニアンの正体について(文責:深浦周音アマネ

「人は見たいものしか見えない。それに、見たことのあるものしか想像できない。」一見、矛盾しているような論理だが、真実への糸口がここに眠っている。
 わたしたちが想像によって紡ぎあげてきた犯人のイメージは、わずかな目撃証言が過剰なまでに増幅されて、「こうであったらいい」と好奇心を刺激する群像劇に仕上げられてしまったのだ。夜の闇のなかで輪郭のぼやけた事実は、想像力と好奇心にうったえかけ、知らず知らずのうちに補完を求めてくる。文章が主語だけで完成しないように、宙ぶらりんに止まってしまったセンテンスを完結させようという義務感が、わたしたちを無意識の創作に誘導させるのだ。
 ぼやけた事実、おぼろげな映像と心もとない記憶にそれぞれの目撃者や読み手書き手のロマンスがスパイス替わりに添加された結果、個々のさじ加減は控えめであっても、料理の味をまるっきり変えてしまった。いわば、誇張し歪曲された断片をもって組み立てられたモンタージュ。どうりで夜じゅう見張っていても、姿を捉えられないわけだ。
 わたしたちは見たいと思うものしか見えず、見たことのあるものしか想像できない。記憶はいつでも無意識に恣意的だ。独特の風味が悦に入り、わたしたちは自ら作り出した幻想に踊らされている。絶世の美女、巧みな単独犯、犯行予告。そのどこまでが事実なのか。イメージはどこから立ち現れたのか。認識と想像がわたしたちに仕掛けた罠だ。怪盗はわたしたちが自然に陥る誤謬に注目して、感度の高い罠を仕掛けてきたというのだから、相手はただものじゃない。しかし、わたしたちも今になってその仕掛けに気づいたのだ。戦いは認識とクリエイションの世界に移るだろう。物語を紡ぐその手の確かさが、試されるのだろう。
 そして今回も、怪盗アビシニアンは「逃げた」。捕獲の網を逃れ、いまも夜の街をわが物顔で徘徊するこのターゲットが、わたしたちの願望の結集にほかならないのだとしたら、この事件は途方もない迷宮の様相を呈してくる…。

 周音は原稿から顔を挙げ、慶介に勝利の色の瞳を向ける。疲労感は完全には去っていないが、安堵が前面に張り出していた。まず、ここまで来られた。周音はこの不可思議な怪盗の罠を見破り、第二の宣戦布告をしおおせたのだ。瞳の奥は休まることなく、次なる対決に向けて炎を燃やしている。
「ねえ、私、やったよ」
 周音は慶介の同意を得ようと声を掛け、笑顔を見せる。
 それをわかっていてか、洗い物の手を止めない慶介は手許のご飯茶碗をうつむいたまま…

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