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【連載】東京アビシニアン(3)Jiyugaoka

 「奴は変装して現場近くに潜り込み、誰にも怪しまれずに下見をする。決行するのは、きまって月のない晩だ」
はばかりのない週刊誌が聞き集めからつくったモンタージュを載せていた。ほっそりした顎と、少しこけた頬、意志のある大きな瞳は無関心で挑発的だった。呼び名は「怪盗アビシニアン」と相場が決まったようだ。しなやかな四肢と生姜色の毛並みを持った猫の品種だ。
 盗られるものは貴金属が多い。金時計の鎖、オパールのペンダントトップ、真珠飾りのついた銀栞。現金を盗るのは無粋というつもりか金庫は手付かずなのに、翡翠ひすいの細工が入ったドアノブだけが盗られたこともあった。食器棚は整然とした秩序を保ったまま、マイセンの紅茶碗とベネチアングラスが見当たらなかった。雲の厚い夜や、新月のめぐりあわせに重なると近所の人々は胸騒ぎを抱えながら床に就いた。朝にはどこかの街角に規制線が張られていた。
 フリー記者の周音アマネが、この事件を口実にうちに転がり込んできて今日で四日目になる。
「怪盗の名前をつけたの、あたしなのよね」
 二階のベランダに三脚を建てながら、重大な秘密を打ち明ける得意顔で彼女はささやいた。
「アビシニアン。三銃士の一人にもなれそうな風格」
「賢くて人懐こい猫だよ。慣れれば膝に乗って来たり、布団に入って来たりするの」
「初めて聞いた時、絶対周音アマネだってわかった。怪盗に猫の名前なんて」
「でしょう? 唯一無二の発想」
 ファインダーを通りに向け、赤外線センサーの設定をする。夜の間に動くものが前の通りを横切ると、自動的に撮影が開始される仕組みだ。築45年のおんぼろ物件はベランダの床材も安定せず、周音はカメラを定点に据えるのに苦労していた。やっと作業が済むと彼女はボーダーシャツの袖をまくり、すがすがしい笑みを浮かべた。
慶介けいすけ、スポドリ投げて」
「お、おう」
 隅に転がっていたペットボトルを投げたのを器用に受け止めて、周音はベランダのつっかけを脱ぎ、四畳半にあがってくる。喉を鳴らしてスポーツドリンクを流し込む姿は頼もしくて、僕はその力強さについ見とれてしまった。
「もし撮れたら大スクープだよ、こりゃあ。ルポライターの血が騒ぐ」
「そうだろうね。これだけ世間も騒いでるんだから」
「優秀な日本警察の鼻先をかすめて、お宝を奪い取る現代の猫怪盗。記事も売れるわけだよ。はーぁ、今回は長丁場になりそうっ」
「また居座る気?」
 先々月、このあたりで飼育されていた大型のインコが逃げ出して騒ぎになったときも、周音は張り込みだなんて言って二週間もうちに滞在した。無印の化粧品セットと、僕のより一回り小さいバスタオルが洗面所に置かれたままだ。
「いいじゃん、迷惑はかけないから。慶介けいすけも料理のし甲斐があって、ギブアンドテイク、だよね?」
 どんなやましさも無罪に帰する無敵な笑顔。食事以外は自分で何でもこなす周音が家にいて迷惑することもないのだから、別にいいのだけど。
「はいはい。わかったわかった」
「さーてと。カメラの設置も終わったし、あたしは周辺の聞き込みに行こうかな。2ブロック先のジュエリーショップ、この間被害にあったんだよね」
 周音は風をまとうように黒いライダーズを羽織り、
「じゃ」
 と階段を下りて行った。まったくお騒がせなやつ。大学の写真サークルの同期だった頃からのの腐れ縁が、綿々と続くわけでも、ぷっつり途切れるわけでもなく、折を見て復活し玄関にまたカメラを担いだ周音が現れる。気負わない、気も遣わない関係の行く先がこれなのだから、人生は説明のつかないところが多いのだ。玄関ドアが閉まる音がして、ちょっと気を抜いたところに、
「今夜はハンバーグがいいなあー」
 と周音の伸びやかな声が届いた。

(つづく)

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