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【連載】東京アビシニアン(1)Roppongi

 ナンパって人生で数多くこなしてきた訳でもなく成功率はフィフティ・フィフティ。ゲーム感覚で挑んでるからほぼ運試しだけど、今日はとりわけツイていた。九月のちょっと気怠い昼下がり。チョコレートブラウンの髪をポニーテールにまとめた彼女の胸元にはクリスタルのネックレスが揺らめき、少し襟を抜いて着たVネックのブラウスと大胆なカッティングのレーススカートが六本木そのものっていう可憐な出で立ちだ。
「お姉さん、時間ある? お茶でもどう?」
 無視や早足で避けられるかと思ったのに、駅構内から出てきたばかりの彼女は立ち止まって腕時計を確かめた。
「お茶はあんまり好きじゃない。クランベリージュースとチーズベーグル、お口直しのティラミスなら」
 そこまで詳細にメニューを指定されたのは初めてだけど断る理由もない。目に入ったカフェのテラス席へそそくさとリードした。俺は気取らずにアイスコーヒーのMサイズを注文する。
「名前、なんていうの」
英恵ハナエ
「かわいい名前だね。六本木にはよく遊びに来るの?」
「遊びにというか、お仕事のついでや用事が多いかな……」
「今日は? この後なにか予定はあるの?」
「まあ、そんなとこ」
 英恵ちゃんはしゃべる時にウェーブがかった長い前髪をいちいち耳にかけ直す癖があった。チョコレートブラウンの内側はもう少し髪色が明るく、そのたびに栗色の層がさらりと明るみに出る。服のテイストも華やかで、にわか着崩しスーツが新入りホスト風になっちゃった俺の迷走スタイルが申し訳ないくらいだけど、彼女は気にする様子もない。こんな女の子と「お茶(具体的なメニューは省略)」したなんて、絶対ルームメイトの奴らに自慢できる。あいつら、どうせ昨日は飲み明かして今ごろ絶賛二日酔い中だろ。英恵ちゃんは証拠のツーショット写真なんて取らせてくれないよな。それがないと俺の虚言と思われるオチだけど。

   夢想を広げる僕の目も前で、ティラミスのブランデーが強かったようで、彼女の頬が高い位置からぼんやりと紅く染まっているのがなんだか色っぽい。これはもしや、あわよくば? いやまだ午後の二時だけど。とりあえず良い事を覚えた、なんて心の中で意気込むと、不意に彼女がきょろきょろと辺りをうかがい始めた。そして何かに気づいたように、すっと手を挙げた。
「どうした? お水でも頼む?」
 俺もウエイターを探した。けれど、気を緩めた隙に英恵は手を挙げたままバッグを抱え、テラス席を離れて路上へ出て行ってしまった。
「えっ、ちょっと、待って」
 状況を飲み込めず、遅れて彼女を追いかけたところで、そばの車道にタクシーが停まった。英恵は躊躇ちゅうちょなく後部座席に乗り込んだ。呆気に取られる俺を横目に、
「外苑前まで」
 と行き先を短く告げた。
「ど、どういうこと」
  ウエイターも、俺を追いかけて路上まで出てきた。「お客さん、お会計まだでしょう。これじゃあ無銭飲食ですよ」
 上腕を掴まれて引き下がるしかない俺を皮肉るように、タクシーの窓が悠長に下ろされた。
「ごちそうさま。素敵な午後を」
 高貴につめたい彼女の微笑みが、時速30キロの残像となって走り去っていった。

(つづく)

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