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【連載】東京アビシニアン(7)Kunitachi

 駅前のパーキングに軽を停め、公衆トイレで肩身の狭い思いをしながら着替えをした。地元の友達の結婚式にも使った、水色のAラインワンピース。ちょっと気合を入れすぎかもしれない、とタイル壁に貼られた姿見の前でまごついた。でも、ここまで来たんだからもう仕方ない。鏡をにらむ一瞥に力を込め、自身を奮い立たせて改札に向かった。
 東京に出るのは何か月ぶりだろう。家が国立にあるのに「東京に行く」って不思議な表現に聞こえるけれど、23区外の住人としてはこれが素直な感覚だ。学生の頃は都内まで毎朝通っていたけれど、実家の近くに就職した今となっては特別な予定がない限り踏み入れない別世界だった。中央線の快速に乗り、新宿まで出る。そこからは万年スーツ臭の漂う山手線とメトロを乗り継いで銀座駅まで来た。
 以前は訪れても入れる店の見つからない、手に負えない街と思っていた。大学生に相応しいのは新宿や渋谷あたり。一年で廃れるような作りの甘い服がはびこり、コーヒー一杯で数時間居座れるカフェも多かった。20代を折り返した今になって初めて銀ブラの眩しさが染みるけれど、その頃には都内へ出る定期券もなし。私は地下鉄のホームに降り立った時から、ハイブランドの独創的な建築やデパートの煌めくディスプレイを想像して心が踊るのを感じていた。眠らない新宿の電飾が原色のLEDなら、銀座の夜を彩るのはダイヤモンドや真珠の内なる光に違いない。
 けれど、地上へ出る階段を上りきって昼間の街中へ放り出されると、すでに惨めだった。午後二時の日差しは予報よりも強く、アスファルトの照り返しもあいまってゴールデンウィークあたりの陽気。フライングで乗り込んできた初夏の中を、人々はTシャツにデニム、鮮やかな柄のリゾートワンピで軽やかに泳いでいた。歩行者天国をゆく足元は飾らず背伸びせず、かかとの低いスニーカーや革サンダル。結婚式ワンピに7センチのパンプス、は堅すぎて場違いだった。私は花屋の軒先に隠れるように、大学時代の友達を待った。
 ゆるりと涼し気な横顔をした集団の、麻耶マヤもその中の一人として街に溶け込んでいた。約束の街角に広い鍔の麦わら帽子を被った女の人が近づいてきた時、「もしや」と胸が高鳴った。風にひらめくサテン生地のIラインドレスに合わせたぺたんこのサンダルは、指を留める細紐が華奢だった。帽子の影から目線を挙げ、麻耶は昔と同じようにくしゃっと人懐こく笑った。
未来ミク、元気だった? 会いたかったよ」

(つづく)

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