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Ha noi 濃厚だった怒涛の東南アジア陸路の旅

僕はそりゃくすぶってるし、熱をおびてるよ。新月の大安らしいぜ今日は。

見出しの写真はハノイのロンビエン橋。旅の青年の東南アジアの旅は、いよいよハノイまで来ている!! 

シンガポールから、陸路でハノイまで本当に来ることが出来ました。

この先は何処へ行くのでしょうか。

じゃあさ、ここまでの話も読んで欲しいからこいつを貼り付けておきます。

お時間ありましたらこちらもぜひ遊びに来てください。

ベトナムのハノイってここです。

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今日は随分と広い範囲を載せた地図をぺたしてみました。


ハノイから、南中国に少し入って、マカオ、そしてこの旅の締めは香港です。

もう少々お付き合いください。それから、新しい旅が始まります。

今日からも新しく始める。さぁ、もう本編にいっちゃいましょう!! 

Ha noi 濃厚だった怒涛の東南アジア陸路の旅

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遂にベトナムの首都ハノイだ。当初、この東南アジアの旅はうまくいけばここハノイまでは行きたいと思っていた。でも、本当に来られるかどうかはわからなかった。不安もあったし、全部がうまくいってたらの話だったから。んで、それが出来たから、調子に乗って香港まで行くことになる。
もうそろそろだ。旅の終わりが近づいて来ている。

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ハノイの事は今日の夜にでも書こうかな。勉強もしたいからさ。と、書きつつも続けて書こうと思う。マジで濃いの、俺にしか書けない物を書こうってイキってる気持ちここに残しとく。俺の友達なんかみんな独立して頑張ってんだもんな。俺もこんなに良い経験してんだからばら撒きてぇし、誰かの助けになりゃ本望だ。誰かの「勢」になればな、こんな奴もいるんだなぁと。この時期俺飛ばしてたからなぁ。……相撲取りの名前だよな、勢って。
どうにか、これ電子書籍でいけないかな。この緩さで、全部下書き書いてから、今までの日記を全部読んで頭に入れてからまとめてく。それから瞑想も入れる。整えてから、清書してやるってば。めっちゃ良いの出来るって。それが作品じゃん。どうにか出来るんじゃないかな。勘だけはある。
就職ももちろんしてやりたい気持ちはあるけど、人よりどうしてやろうってのはないかな。自分の幸せってのは、なんとなくつかめてる。気持ちに「熱」が入らない人生なんて送ったことねぇよな。うるせぇよ。ほら、ハノイ行こうぜ。
この現実にまでこの話が追いつくまで、行ったり来たりで話し続けてく、だから、この前行った北海道の話とか入れてく。
つい最近は銀座だ。そんでもって昨日、俺達のバンド16周年の日だったけど、なんもなく流れてた。なんかしたかったけどな。毎年ライブとかよくやってたなぁ。
生きてりゃ何とかなるってよ! さぁ、ハノイ行こうって。

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観光バス降りたのはいいけど、やっぱり何処がどこかもわからないし、地図もスマホもない。人に聞くしかないんだけど、ハノイはやっぱり首都だけあって客引きや嘘つきが多い。俺もさっそく変なのに引っかかったみたいだ。こんなの後の祭りで、タクシーに乗ってそいつの所の宿に行った。どうやら、町の中心部らしい。値段もそんなに高いわけじゃなかったから、そこで落ち着くことにした。

案内された部屋はホテルの最上階のドミトリー、まずは一息ついてリラックス。シャワーを浴びてさっぱりした後、シャワー室出ようとしたら、ドアが開かない。ドアノブが古すぎていかれちまってた。これは、そんなに俺が悪いのか、ギザギザハートか。なんなんだ。誰だってシャワー入りゃドアのカギくらいは締めるっしょ。それが今度開かないってダメじゃん。もう、こんなの慣れたけど、叫んでも、わめいても誰も何にも反応しない。だってホテルの最上階だから、声が届かない。ドアを壊れるくらいどついたって、ドアノブぐりぐりしたってダメ。たぶん10分くらい戦ってた。この間の10分は長いんだぜ。
むちゃくちゃ叫んだのに、なんで誰もここまでこねぇ。もうダメだってあきらめてた時に、やっと人が来て外から空けてくれた。

宿の人へ、これは直しておかないといけないよ。いけません。俺が初めてじゃないっしょこれ、誰がやってもなる奴じゃん。

ドアノブ内側からカギに絡まないで閉まりっぱなしなんてあかんでしょ。とか、最上階のドミトリーの部屋にグループの予約が入ったから、部屋移動っていうか、他のホテルに行ってくれとか、もう散々だぜって体験をしてしまったよ。
これを見てる人なんかは安宿泊まったりすんのかな。いいホテル泊まったらこんなことないんだろうな。

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ハノイの初日はだるかったなぁ。でもね、そこから移動出来てよかったんだ。移ったところの方が一階だったし、宿の人の雰囲気もいいし、落ちつけたんだ。そっからだよ、ようやくハノイの街に出たんだ。

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それで覚えてっかなー。俺がラオスのバンビエンから、ルアンパバーンまで移動してる時に隣の席に座って仲良くなったドンちゃん。そうそう、その子ハノイに住んでるから、ハノイ行ったら連絡するよって話てたから連絡してみた、「フェイスブック」でメッセージ送ってみたんだ。それで一緒に飯食い行くことになったの。有名なベトナムの料理フォーだよ。しかもドンちゃんローカルっ子だから、いいとこ知ってんだよ。屋台みたいなとこでさ、働いてる人がお代わりの野菜とか、麺とか、わんこそばみたいに足してくれてさ、うまかったし、腹いっぱいだし。もう大満足。「御馳走様でした」っつって、街に出てって観光してた。

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ハノイの街の中心部にはホアンキエム湖っていう大きな池がある。そこに神社みたいに誰かを祀った玉山祠があるゴックソン島があって、木製のフク橋で繋がっている。そこも観光スポットだった。

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ドンちゃんと何話してたんだろなぁ、ドンちゃんちょっと日本語話せるからさ、ベトナムの事も聞いたりしたんだけどなぁ。もうすっかり、忘れてる。

池の南側には亀の塔と呼ばれている小さな島がある。池のそばの大きな噴水、そこは道路の真ん中なんだけど、そこを囲みながらたくさんお店が入ってる建物がある。俺たちもその一角に入ってコーラ飲んでたっけなぁ。

池の周りが観光地っぽくなってて、オブジェとか、古い建物とか銀行とかもあった。

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ベトナムの通貨ドンに両替してくれる人が銀行の前でダフ屋みたいに商売していた。ドンのゼロの多さには目が回りそうになる。

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ドンちゃんに連れて行ってもらって、リータイトー公園も散歩して、リータイトーの像がでっかく建ってた。街の至る所にやっぱりバイクが停めてあったり、片隅では木々が絡まって小さな祠が埋もれていたりした。

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通りに面した店なんかはドアが開いていて中の様子を見る事が出来た。なにやら絵を描いている連中がいる。

二月の終わりから三月の頭くらいの時期、春なんだろうか。東南アジアには日本で言う冬の時期に旅しに行ったけど暖かかったよ。ハノイくらいからは少し涼しくなったけどね。それと、雨にも殆ど降られてない。ずっと青空か、今日のハノイみたいな曇り空。

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ハノイでもサイゴンで見たのと似たような教会を見た。あれの元はフランス、パリのノートルダム寺院なんじゃねーか。ベトナムも統治されてたんだね。これは歴史勉強してくれ。俺はのちにパリにもいってっからな。後々それも書くからね、楽しみしにててほしい。

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ハノイの夕暮れからの夜もハノイ大教会を見ながらだと厳かな感じしてたぜ。俺は何教でもないんだけど、マジで信仰してる人達もいるからな。人それぞれってやつだね。

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ハノイでもランタンを見たよ。夜になるとネオンが眩しいぜハノイ。

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アジアの人達って自宅兼店みたいのが多い、自分らでやりくりしてんだろうな。だからなのかもしれないけど、店舗狭いのさ、そんで商品たくさん売りたいんだか何だか、天井からぶら下げたり、店の中ぎゅうぎゅうにしてておもろいね。なんかやっぱどっか、自由感じちゃう。

バイク乗る時ノーヘルの人たくさんいて何人も一緒に乗ってる。こっちの人だってスピード出すだろうし、事故だってすると思うんだけどな。日本はそういうところ厳しいからなぁ。それで助かってる命とかいっぱいあるよね。ノーヘルって高校生の頃を思い出すから、なんかいいんだよな。

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そーか、ここでか。中国まで陸路で行けるなんて思ってもみなかったことが出来たんだ。陸続きなんだし、バス出てんだろってのはあったんだけど、マジで出ているかは確認も出来なかったし、人の顔見て実際に話聞くまで半信半疑だったんだ。移動した宿のフロントの人とか旅の人達と話していて国境を通れることがわかった。謎が解けて中国まで行ける道が出来たのがこの中国入国一日前だった。現地に着いてから目的地決めるっていう旅。

南中国の南寧って所まで夜行バスが出ているらしい。

そろそろ日本への帰りの飛行機も予約しなきゃいけないっていう時期まで来てる。でも、このまま香港まで行けるのかもわからないし、僕は予約を出来ないでいた。不確かな事が多すぎて楽しい。

この時は、勢いで南寧までのチケットをその宿で取った。「勢」って力士いるよね。もう一回ここで推しとく。

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翌日もドンちゃんと一緒にハノイの街を観光してる。タンロン水上人形劇場の中には入らなかったけど、近くの屋台でまたおいしいベトナム料理の店を教えてくれた。

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中心地から少し離れた所にも見どころがあるみたいだ。俺はもう中国までの夜行バスのチケット買っちゃってたから、ハロン湾には行けなかった。すっげー良い所らしいからお勧めしてもらったよ。

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ドンちゃんは俺をハノイでとても古い歴史を持っているという旧市街にある東河門とか、ふるーい鉄橋ロンビエン橋にも連れて行ってくれた。

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橋の下にはなにかの畑、それと鬱蒼と茂った森。橋の上ではとうもろこしを売っている人が道端に座っていて、その前の狭い道をバイクがひっきりなしに通っている。

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この橋はどうもフランスのエッフェル塔みたいな鉄が使われてて、ベトナム戦争時代からもあって有名みたいで、たくさんの人がセルフィー撮ったり、みんなで写真撮ったりしていた。

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鉄骨むき出しの歴史ある橋、至る所が錆びていて、小さな隙間もたくさんある。

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橋の下をホン川が流れる。いつ崩壊するかわからない、けどこういうのがけっこーしぶとい。そこは線路になってて電車が走ったりするんだけど、みんな線路の中にまで入って写真撮影してる。落ちて死ぬなよ、おい! って、ハノイって電車あったんだなぁ。知らなかったぜ。

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ロンビエン橋からの帰り道、ドンスアンマーケットを通って街まで帰ってきた。マーケットの中はもちろんもうご存じのカオス状態。物で溢れかえってたし、やたらと人もいた。

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ホアンキエム湖の畔では新婚さんが街用のウエディングドレスを着てカメラさんに写真を撮ってもらってる。二人ともいい顔してる。何とも微笑ましいそういう結末。

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きっとドンちゃんとラオスで出会ってなければハノイでもこんなにたくさんの観光地を見られてない。いろいろ教えてくれてたし、まじで感謝してる。助けられてばかりの旅だ。そんなドンちゃんともここでお別れ、そして通貨の方のドンともハノイともお別れだ。

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今夜の寝台バスで俺は中国は南寧まで出る。いけんのか中国。ちょっと怖かったぜ。用意も何もないぜ、パースでタイワニーズのみんなに救われていたから、ちょっとマンダリンに興味を持っていたけど、ぜんっぜん喋れないぜ。

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最高に楽しかった東南アジアの旅。怒涛の移動にも若いから耐えられた。

ありがとう若さ。

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ここからは東南アジアの旅の延長戦、大国中国だ。

どんな冒険が待ってんだ、しゃかりきやったるぜ! 

編集後記

本編でどうやら「勢」さんという力士の事を推しているようですので、ここで「日本相撲協会公式サイト」より追加の情報をお伝えしますね。

勢さん、絶対ケンカ強いよなぁ。

noteを書いている方で、相撲好きな方はぜひ教えてください。

いつか相撲を一緒に観に行きましょう。


よし、今日は自分で書いてる電子書籍をお伝えする日です!!

君が今読んでいてくれているハノイの話は、こちらの真っ赤な表紙の『光の中を旅してた』-第二章 東南アジア編-に載っています。

あーやられた!! ここで話そうと思っていたことがもう、前説で貼り付けた【こっからの旅もあつい!! 東南アジア編を書き始めます!!】に全部書かれてる。

もう、いまから俺が書こうとしたのに、先に書いちゃってくれてるよ。

頼むぜ。

もう一回貼り付ける丁寧さ。良い子!!

『光の中を旅してた』-Only Time Will Tell-の事もいい具合に書いちゃってて、もう。僕はどうしたらいいの今日。

オーケー。それでは少し時間をください。


一回、じゃあドンちゃんと、ベトナムの通貨のドンドンスアンマーケットを整理しましょう。ドンという文字の上に黒丸付けたかったですね。

何て言ったらいいんだろう。わかってくれるかな。ベトナムでは、「ドン」という言葉がよく使われているのかもしれません。通貨がドンですもんね。

本当の事は、どうかみなさんの目で確かめてください。僕の話は、食卓に並ぶめかぶくらいに聞いといてください。

そっと、noteから皆さんの健康を祈ってます。

なんにも整理出来てませんが、ドンちゃんと会ったルアンパバーンの話はこちらですので、貼っておきます。

『光の中を旅してた』-第二章 東南アジア編-

やっとここまできたぞ。

noteで僕の旅の話をシェアしだしてから5ヵ月が経ちました。

これでもまだ第二章です。ここからのオーストラリア、NZ、TW、The UK、西ヨーロッパ、東ヨーロッパ、ネパール、インドと濃い旅が続いて行きます。

2021年で全話お届けできると踏んでいます。

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こちらの表紙はラオスのバンビエンと言う村で撮った写真です。

自然がたくさんある場所が大好きです。


インドの旅から帰って来たのが、ちょうど5年前くらいの今の時期でした。

そのくらいの時期に東南アジア編を書いていたんです。そして、駄文だらけの日記をどうにか化粧して編集を重ねてたのが1年前。

そいつを電子書籍にしてアップロードして、去年の年末に第二版をアップロードして、今になって第三版をアップロードしようとしています。

少しずつ良くなっていくんです。これは本当にバンドのライブで新曲を演奏するたんびに良くなっていく、あの感覚と似ています。

この例えたまにするんですが、バンドマンだったらなんとなくわかってくれると思ってます。

フリーザが三回目の変身で完全体になったのと同じ感じで、僕の電子書籍も第三版で完成にしたいです。なので、毎日コツコツと続けています。

このモチベーションはどこから来るのでしょうか。


今思い出した。ちょうど5年前は僕は、インドのモスクで瞑想してたんだ。

ずっと。朝起きてから、夜寝るまで、ずっと瞑想。それを10日間。

もちろん誰とも連絡は取れない。

ずっと静かに過ごしてた。

誰の声も聞こえない、誰の言葉も届かない。

散々旅をしていたから、今度は自分の中への旅をしたいと当時は思っていた。

ずっと自分の内側の音を聞いていた。

集中と熱狂の先にあるものは何だったんだろう。


あの時、日本へ帰ったら自分の旅の話を書ききろうと思ってた。

そいつが唯一の希望だった。

時間がとてもかかると思ってた。

それがわかってるんだったら、時間をかけようとも思った。

毎日少しずつ、一行でも書ければたどり着ける。


そう思ってた。

そう思ってたんだけど、東京で仕事をしだしていたら、次第にこちらに熱をかけてあげる時間が少なくなっていた。


このままでいいんだろうか。

な、心情を綴っているのが僕の最新電子書籍、裏ダイジェスト版の『光の中を旅してた』-Only Time Will Tell-です。ぱちぱちぱちぱち!! 

なんだよーおいーちょっといい話するんじゃなかったのかい? 

急に宣伝しちゃって、あんちゃん頼むぜ。

だって今日新月だから遠慮なく宣伝する日じゃん。頼むよ。


OK、みんなまた今日から仕切り直しだ。

気持ちを切り替えて新しく始めよう。

俺は明日もみんなと旅の話をシェアする。

応援よろしく頼みます。僕もnoteからみなさんの健康を願ってますよ。

それでは、スキ、フォロー、コメントいろいろシェアしましょう。

よろしく、またね!!

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