光の中を旅してた

旅人になって、日本そして世界35カ国へ旅に出た話『光の中を旅してた』をシェアしています。 これは全部、僕の夢の中で起こった話ーLiving In The Dreamーがクリエーターページで、後半はーLife Without Limitsーがプロフィールページで巡っていきます。

光の中を旅してた

旅人になって、日本そして世界35カ国へ旅に出た話『光の中を旅してた』をシェアしています。 これは全部、僕の夢の中で起こった話ーLiving In The Dreamーがクリエーターページで、後半はーLife Without Limitsーがプロフィールページで巡っていきます。

マガジン

  • みんなの旅マガジン

    皆さんこんにちは。 僕は『光の中を旅してた』という旅物語noteを書いています。 当時、僕が旅した土地にまつわる諸々の話を、今の皆の視点で捉え紡いでいくと、どういう物語ができるのか知りたく、また見聞を広め、皆と一緒に旅を通して新しい学びを発見していきたい為、今回マガジンを作成させていただきました。 新月、半月、満月、そして今年は偶数日に皆と話していけたら嬉しいです。よろしくお願いします。

  • 光の中を旅してた -The World Needs You-

    旅の中での人との出会いや、様々な出来事からたくさんのことを学んだ。 僕はまた、新しい夢を掴みに旅に出る。 オーストラリアでの日々が僕に喜びをもたらす。 まだ見ぬ世界に魅せられて、東南アジア、ニュージーランドそして、台湾へ。 「ヨーロッパが俺を呼んでいる!」帰国後、ガリ勉を経てさらなる旅に出た。 激動のヨーロッパの旅の延長で、遂にネパール、そしてインドへ。 心も体もくたくたになった僕は日本へ帰国した。 それから、せっせと働きながらバンドや旅、本の制作、勉強を続けていた。 何か物足りなくて、何かを探す毎日。 見えていた「光」が薄っすらと霞そうだ。 そこに流れ込んできた、夢を叶えるための時間。 ひたすら君まで届けたい。 世界を旅した一人の青年の言葉を。 少しでも明るい気持ちになってくれたら嬉しい。 そんな想いからこの、『光の中を旅してた-The World Needs You-』を贈ります。

  • 光の中を旅してた -Life Without Limits-

    それから、2021年までせっせと働きながらバンドや旅、本の制作、勉強を続けていた。 何か物足りなくて、何かを探す毎日。 見えていた「光」が薄っすらと霞そうだ。 Covid-19の影響で大幅に仕事に充てていた時間が減った。 そこに流れ込んできた、夢を叶えるための時間。 こいつが一番大事だ! それからはもう夢中で書きまくり編集を重ねた。 2021年はnoteで一話一話丁寧に編集を繰り返し届けてきた。 2021年末迄に全7章20編202話の『光の中を旅してた』各、第三版を出版してきた。 脳内を何度も旅しているうちに、物語の中から、土地や今までの旅を嚙ませない気持ちにフォーカスしていた言葉を抽出しようと思えてきた。 言葉を削って、磨いて、絞って、整えて、また掬って。 とりとめのないもの。束になってる。 このねごとが届いた方が、少しでも明るい気持ちになってくれたら嬉しい。

  • 光の中を旅してた -Only Time Will Tell-

    「僕は今を生きてんのかなぁ」 何か変えよう。わからなかった。 バンドをがっつりやっていた時みたいに、好きなことしよう。 暖かいところへいこう。 何か物足りなくて、何かを探す毎日。見えていた「光」が薄っすらと霞そうだ。 Covid-19の影響で大幅に仕事に充てていた時間が減った。 そこに流れ込んできた、夢を叶えるための時間。 こいつが一番大事だ! それからはもう夢中で書きまくり編集を重ねた。 2020年の年末に全7章20編202話の『光の中を旅してた』第二版を出版した。 2021年はひたすら君まで届けたい。世界を旅した一人の青年の言葉を。 少しでも明るい気持ちになってくれたら嬉しい。 そんな想いからこの、『光の中を旅してた-Only Time Will Tell-』を贈ります。 Living in the dream. これは全部、僕の夢の中で起こった話。

  • 光の中を旅してた -終章 ネパール&インド編-

    この4年間で、僕は世界30カ国を旅してきた。 バンドが活休(活動休止)してから、地元の友達の勧めもあって就職した。 俺には、俺にしかできないことをしよう。 あの頃の僕が望んでいたように生きてやろう。 旅の中での人との出会いや、様々な出来事からたくさんのことを学んだ。 自然と僕は日本から海外への旅に導かれていたみたいだ。 オーストラリアへの旅に出て、一年があっという間に過ぎて行った。 それから二ヵ月間、東南アジアを陸路で旅した。道中、様々な感情が僕を纏っていた。 二度目のオーストラリアでの日々が僕に喜びをもたらし、 さらにニュージーランドそして、台湾の島々が僕を浄化して行く。 激動のヨーロッパの旅の延長で、遂にネパール&インドへ! それからの日本での日々、旅行も綴る終章が始まる。 Living in the dream. これは全部、僕の夢の中で起こった話。

最近の記事

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Sapporo & Yamagata 意外とうまいこと行ったりする

こんばんは。ネパール&インドの旅から帰ってきた旅の青年は、東京で再就職をして働きだします。そう、意外とうまいこといったりするんです。 ちょうど俺みたいな人が良かったんでしょうね。 うまく行く時はいくし、いかない時は、いかないなりにどうにかしようぜ。 それは、うまくいかなくて良かったって事だ!! どうしたどうした。 函館の湯の川温泉やら、山形の銀山温泉やらにまたいきたいのぅ。 そういや僕は先週、富士山が綺麗に見える温泉に入ったのさ。 こんな感じ。超かっこいい。富士

    • これは全部、僕の夢の中で起こった話

      Epilogueエピローグ 序章の日本編はブルガリアのヴェリコ・タルノヴォという山奥の街で本を書く男に出会ってから、ネパールのカトマンドゥ滞在中までの初夏の時期に旅をしながら書いていた。 第一章オーストラリア編シーズン1はネパール最後の夜からインド、瞑想を経て、日本に帰国直後くらいまでの時期に、旅を終えていくタイミングで書いていた。 第二章東南アジア編は日本での新しい生活が始まるまでに書いていた。 日本中を旅してからオーストラリアでの海外生活への挑戦の後の怒涛の東南アジ

      • 光の中を旅してた-The World Needs You-

        この旅で出逢った、すべてのひとへ。 Thanks for all of you guys who I met during my journey.   そして、これから出逢うすべての人へ。 And to all the people I will meet in the future. この世界には君が必要だよ。 The World Needs You 序章 日本編South Japan 俺たちの夏からのソロプロジェクト Okinawa-Hiroshima編 Japan 

        ¥1,000
        • 生命力に満ち溢れた島

          毎年夏に高校の頃の仲間と行ってる夏の旅行、「俺たちの夏」そっからの派生で俺は長い一人旅に出たんだった。 日本を旅していた時、屋久島には行きたかったんだけれど、スキップしてしまっていた。 ってのをなんとなく話していて、今回はその仲間、あきひとに誘われて屋久島に旅行に行く事にしたんだ。   寝ぼけ眼擦って飛行機に乗って鹿児島まで飛ぶ途中、綺麗に澄んだ空の下の富士山を、俺は興奮して目に焼き付けるようにじっと見ていた。 カフェで昼飯済ませてから屋久島を一周しようってなって、まずはヤ

        • 固定された記事

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          211本
        • 光の中を旅してた -The World Needs You-
          205本
        • 光の中を旅してた -Life Without Limits-
          29本
        • 光の中を旅してた -Only Time Will Tell-
          23本
        • 光の中を旅してた -終章 ネパール&インド編-
          21本
        • 光の中を旅してた –第五章  ヨーロッパ編–
          39本

        記事

          極東ロシアで一休み

          ここからウラジオストクの旅を書く。 ちょうど仕事で休みもとれそうだったし、近場で行ってない国もそんなになかったから今回はロシアの極東に行くことにした。 ウラジオストク空港に着いてから早速SIMを買う。 街まで行く乗り合いバスを見つけたので、乗っていくことに。 有名なスヴェトランスカヤ通りが近くにあったので、チェックインする前に行ってみることにした。 初日で運よく夕暮れを拝むことが出来た。 街の雰囲気はもうヨーロッパだ。 海へと続く道の途中で、気の利いたバーに入ってスー

          極東ロシアで一休み

          今までと、これからの事を整えてる

          晩御飯を食べた後、最近は少し眠くなってしまう。 退屈が嫌なわけもなく、『光の中を旅してた』があって良かった。 誰かにとって、少しでも助けになれば嬉しい。 もうここまで来た、死ぬ前の後悔は一つ失くせた。 これは遺書でも何でもないけど、何時か誰かには届くはずだ。 ふぅ、後は時間が教えてくれる。 とにかく、瞑想してから決めよう。

          今までと、これからの事を整えてる

          迎光

          ヤンゴンが中国語で書くと「迎光」って記すのが聖なる場所っぽくてかっこいい。 ヤンゴンは乾季でカラッとしていて天気は最高。 シロちゃんがヤンゴンの歩き方全部知っているから付いて行った。 その後屋台で一緒に辛いミャンマー料理を食べて、俺はその時は変な柄のエナジードリンクを飲んでみた。 バッパーに荷物を置いてから一緒にボージョーアウンサンマーケットまで遊びに来た。 ミャンマーの人達は顔に「タナカ」を塗ってて可愛いから、一緒に写真を撮ってもらった。 ゆっくりと歩いていたら、

          いつまでも若く

          あ、そうだ。 空港降りた時に現地で働く日本人のおじさんとフィリピーナのおばさんに話しかけられて同じタクシーに乗ったんだ。 全然騙されたりはしなかった。 それですぐに宿までは辿り着けた。 車内でおじさんが「鉄砲の打ち方教えてやるっていう奴には着いて行くな」とか、「エロい話には乗るな」とか。 いろいろ教えてくれた。 少し早く起きてマクタンのビーチにマジェラン記念碑と、ラプラプ像を観に行った。 見上げる空はカラッと晴れている。 乾季に来れてよかった。 急に仕事の休みを貰えたから

          天国と地獄

          運転手の名前がマヘンドラで、同僚の名前と一緒でちょっと嬉しかった。 飲みに行ってから帰ってきたら、同じ部屋のドミトリーに一人ニューガイが現れていてさ、そいつがナビッシュ、UKガイでいい奴でさ、「俺明日早朝から日の出を観に行くんだ」って話をしたの、そしたらそいつも一緒に来ることになって、海まで一緒に行ったんだ。 この旅の目的は朝日を見ることと、夕日を見る事。 一緒に海まで歩く。 だんだん明るくなってくる空、もう半袖でいいバリ。 気分は上々だった。 サヌールの海はとても静かで

          いつかまた笑顔で会えるように

          羽田空港まで行って、上海に向かう。 中国は何度か行ったことはあったけど、上海というでかい街はまだ行ったことがなかった。 タクシーを捕まえて上海の中心地南京大往路へ移動する事にした。 街をうねるように歩いて、豫園へ。 地元の若者が連れて行ってくれた小籠包の店が狭くて、小汚くて、安くて、上手くて最高だった。 外灘から見る上海の夜景はとても綺麗で何度もシャッターを押した。 真下から見上げるオリエンタルパールタワーや高層ビル群。 この時僕が来たのは七宝老街。 昔の街の造りの

          いつかまた笑顔で会えるように

          海のある街で休暇を

          日本での新幹線くらい早く移動できる電車に乗って、ぼーっとしていたらあっと言う間に釜山に着いた。 バス停の地下が海雲台の地下鉄で、その真ん前に今日泊まる今俺が働いている会社の海雲台のホテルがあった。 高層階の一番いい部屋。 海も街も見渡せる。 海雲台の街は工事されていた。 駅から一本海まで伸びていく通りがあって、それがメイン通り、コンパクトでわかりやすい街だ。 脇道には小さな海鮮料理屋が軒を連ねている。 海沿いの街の風情があって実にいい。 海風に吹かれながら歩く。 ブリ

          海のある街で休暇を

          仕事をしてても、たまにはこうして旅に出よう

          みんな優しくていい人達だったし、仕事は楽しくやっていた。 その頃、俺は東京に住んでいた。 まだ行ったことのない国へ。 韓国に着いてからまずはビビンバで腹ごしらえをした。 時が過ぎ去るのは本当に早い。 韓国と言えば、ブルーノだ。 ブルーノとは、オーストラリアのパースで出会っていた。 バイクのケツに乗っけてもらって、ソウルの街、ホンデへ。   たくさんのストリートミュージシャンがあちらこちらで演奏していた。 韓国はいたって平和な様子で、雰囲気も日本と似ている。   ソウ

          仕事をしてても、たまにはこうして旅に出よう

          意外とうまいこと行ったりする

          それから。 ここはもうさくっと書く。 『光の中を旅してた』のメインはもう過ぎている。 ここからはあとがき。 家族旅行でばあちゃんの見舞いに札幌へ車で出かけた。 札幌、そして小樽に行った。 帰りに山形の天童とか、銀山温泉に行ったんだ。 そんな夏もあった。 昔からの友達とは伊豆にも行ったなぁ。 日本の夏って風情があって良いんだよなぁ。 夏の終わりに外資系会社での就職が決まった。 日本でしっかり働こうと思うんだ。 あとがきは仕事しながらの旅の話。

          意外とうまいこと行ったりする

          最後の街

          ニューデリーにはデリーメトロがある。 そうして着いたニューデリー駅、そこからがまた大変だった。 ニューデリー駅から大通りを歩いて、細い道を何度も曲がって、やっと日本人バッパーに着けた。 のんびり出来そうな場所だったので、少し体を落ち着かせてから街を探検しに出た。 本を積みすぎて、入り口のなくなってしまった本屋があった。 ニューデリーにもメトロマップがあったんだけれど、全く読めなかった。 コンノートプレイス周辺だけを歩き回って暗くなる前にバッパーに戻った。 そこで日本

          飛行機で首都ニューデリーへ

          思い出した。 ラクノウの駅に着いたら駅の床中が濡れていたんだ。 俺ももうあきらめて靴を濡らして歩く。 インドでの事はだいたい諦めがつく。 もういいんだ。 何個目かのゆるそうな宿に決めた。 それから飛行機のチケットを印刷しておく為にインターネットカフェを探した。 それだけの街、僕にとってラクノウは。 インドの事だから道が意味なく渋滞するものと考えて、嘘みたいにめちゃくちゃ早くホテルを出た。 空港でコーヒーを飲みながら時間を潰している方が僕は好きなんだ。

          飛行機で首都ニューデリーへ

          ヴィパッサナー瞑想

          早速ケタンの先導の元、タクシーでカンプールの奥地のモスクへ。 まずは受け付け、ここで荷物を殆ど預ける。 財布とスマホとか。 だからもう、持っていくのは鞄と洋服くらい。 外部にはコンタクトしないように電子機器なんかも全部預ける。 ここで瞑想に入る。 世界から置いてけぼりにされている感覚に陥る。 「ジャストビーハッピー」それだけ。 人が生活するのに必要な物ってそうたくさんないのかもしれない。 ここはいつか、パースでサラが働いていた精神病棟みたいに何もなくて静かな空間だった

          ヴィパッサナー瞑想